5 雨音

 夕飯はベーコン入りスープとパンという質素なものだったが、クロードは大いに満足していた。


「ルネは料理上手だな。僕が作ったってこうはならない」


 空になったスープ皿を前にクロードがそう伝えると、ランプに照らされたルネは恥ずかしそうに微笑んだ。


「母さんのやってたのを真似してるだけだ」


 それに、と窓の外を見る。


「……一人だと、そうでもないよ」


 ルネの視線を追い、クロードも窓の外を見た。月明かりに照らされた梨畑では、電球のような梨が収穫を待っている。

 窓は開いているが、意外なことに甘い香りは全くしない。これから甘い梨になるためには追熟が必要になる、とルネが教えてくれたのはこの前のことだった。収穫後しばらく置いておかないといけないらしい。

 ルネの梨が食べられるのは、もう少し先のことになりそうだった。


「ああ……もうこんな時間か。そろそろ帰らせてもらうよ」


 満月に近い月が空高く昇っているのに気づき、クロードは横の椅子に立てかけていた杖をとった。収穫作業は朝早くから始まるようだから、あまり長居しては邪魔になるだろう。


「クロード」


 杖をついて立ちあがると、ルネはそれを止めるように名前を呼んできた。クロードが振り向くと、窓の外を見ながらルネがぼそぼそと呟いた。


「まだ、服が乾いてない、から……泊まっていったらいい」

「え? あ、服」


 クロードはルネから借りているシャツを見下ろした。すっかり洗いざらされたそれは、ふわふわと優しい肌触りでクロードを包んでくれている。ぶかぶかであること以外はとてもいい着心地だった。

 明日か明後日あたりに返しに来るのではだめなのだろうか、とクロードが顔を上げると、ルネはまだ窓の外を見ていた。


「……そうだな。お言葉に甘えて、泊まらせてもらおうかな」


その横顔が寂しそうに見えて、クロードはついそう答えてしまった。途端、ぱっと顔を輝かせたルネが振り向いた。


「ほ、本当か!」

「早起きは苦手だから、明朝迷惑をかけるかもしれないけど」

「好きなだけ寝ていてくれて構わないよ」


 嬉しそうに立ち上がったルネは、クロードを一階の奥の部屋に案内した。


「兄が使ってた部屋なんだけど、時々掃除はしてるから」


 その言葉通り、部屋の中は埃一つなく、からりと乾いた空気をしていた。ただ、長い間誰にも使われていなかったせいか、部屋の広さ以上にがらんとした印象をクロードは受けた。

 戻っていくルネに例を言うと、クロードはベッドに腰掛けて部屋の中を見回した。

 兄の部屋だ、とルネは言っていたが、誰かの生活を感じさせる物は部屋の中に一切なかった。本棚の中は空で、机には先程ルネが持ってきたランプが置かれているだけだ。今しがたルネがシーツをかけてくれるまではベッドもマットレスだけだったし、壁にも何も掛けられていない。

 実際の広さ以上に感じる空虚さは、これが原因に違いなかった。


(梨畑しか残っていない、と言っていたな)


 クロードはランプを消し、ルネが整えてくれたばかりのベッドに潜り込んだ。

 散々泣いて疲れたところに夕飯を食べたせいか、すぐに眠気が襲ってくる。

 とろとろと意識を彷徨わせていると、耳の奥で雷鳴がした気がした。


「……っ!」


 クロードは目を見開いた。感覚のないはずの左足に、しびれるような痛みがある。

 もう雨はやんでいる。分かってはいたが、さらさらと風に吹かれる葉の音が雨音を想起させた。

 すでに睡魔はどこか彼方に吹き飛んでいた。ぎゅう、と強く自分の体を抱きしめる。夏だというのにひどく寒く、凍えてしまいそうだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る