第7話

 白状するが、俺は変態だ。

 さっき本人に言われたが、確かに、この子が飛び降りようと俺には関係ない。

 しかし、その体にくっついてるおっぱいは、俺と密接に関係しているのだ。

 飛び降りるんだったら、その前に揉ませてくれないと困る。

 俺の本心は、それだった。


 俺の心からの言葉に、ミサキは一気に顔を赤らめ、自分のそれを守るかのように、細い腕で自らを抱きしめるポーズをとった。その動作でかえって胸の形が強調されているのだが、本人は気づいてないようだ。正直たまらない。

 そして彼女は極限まで軽蔑した顔で、


「へ、変態!」


 と俺を罵倒した。

 気が合うじゃないか。俺もそう思っていたところだ。

 だけど、今はシンパシーを感じている場合ではない。


「変態で構わない。でも、飛び降りようとするおっぱ――女性を見過ごすわけにはいかないんだ。それが人情ってやつだろ?」

「……今、おっぱいって言おうとしなかった?」

「おっぱいなんて言うわけないだろ! 人が飛び降りようとしてるんだぞ!」

「でも、さっきあんた、私の胸を触らせろって……」

「……それが人情ってやつだろ?」

「綺麗な誤魔化そうとしてない!?」


 頑なに拒み、ミサキは揉ませようとしてくれない。

 おかしい。俺の中で一抹の不安がよぎった。

 胸を揉ませてくれるということは、それなりの関係を築けているということだ。なのに、俺と彼女の距離は一向に縮まらない。開いていく一方だ。


 俺は、本当にこの子のおっぱいを揉むことができるのか? そんな疑問が脳裏をよぎる。

 馬鹿な。〈パイ視〉で見たじゃないか。この能力が間違えるわけがない。


「あんたに揉ませるくらいなら、このまま飛び降りたほうがマシだ!」


 俺に考える時間はなかった。

 彼女は声を荒げるとその身をひるがえし、煌めく夜景の方へ向き直ってしまった。

 

「待って待て待て落ち着け落ち着いてくれ!」

「どうせ、あたしなんて誰にも必要とされないんだ……こんな人格だから、あの人も、あたしを捨てて……」


 ブツブツと独り言のように彼女は呟いている。俺の言葉なんて届いていない。

 やっぱり恋人に振られたのか。そして傷心の末に身を投げると。

 安直なストーリーだと思ったが、死なれては困るのには変わりない。

 何か言葉を。彼女の気を引けるような、引き留めるような言葉を――。


「――俺は、超能力者なんだ」

「……え?」


 俺の言葉に、彼女はこちらに向き直った。

 あまりにも無垢で透き通った瞳に気圧されそうになって、俺は思わず言葉を詰まらせた。

 ってバカ。ポエミーになってる場合じゃないだろ。

 とりあえず、彼女を死から気を遠ざけないと。じゃなければ俺のおっぱいまでもが天に昇ってしまう。


「女性の胸を見ると、その胸を誰が揉むかが分かるんだ。胸を見てると、こう、ぽわーんと人の顔が浮かび上がって、そいつがその胸を揉む張本人なんだ」


 誰にも言わなかった秘密を、俺は滔々とうとうと話していく。 


「で、今日偶然君を見かけて、胸を見たら俺の顔が浮かび上がって……つまり、何が言いたいかというと……」


 俺は彼女の腕に隠れた胸を真剣な眼差しで見つめ、〈パイ視〉を発動させる。

 ……うん、やはりミサキの頭上には、不吉を呼ぶタイプの背後霊のように俺が微笑んでいる。

 俺はゆっくりと告げる。


「君のそのおっぱいは、今日、俺に揉まれる運命なんだ」

「やっぱり飛び降りる!」

「待って待て待て待ってくれ! そっちを向かないでくれ! じゃあ服の上からでいいから! 直接じゃなくていいから! それならセーフでしょ!」

「勝手に自分ルールを適用しないでよ! ていうか超能力とか意味わかんない! 即興で考えたにしてはキモいし!」

「本当なんだ! 本当にこの能力で浮かんだ奴はそのおっぱいを揉むんだ! だから理屈なんかじゃない! 君のおっぱいが俺を呼んでるんだ! 君のおっぱいは俺の運命のおっぱいなんだ!」

「キモい! あんたになんか指一本触られたくない!」

「分かった! じゃあ俺のも揉んでいいから! それでおあいこだろ!」

「あたしのとあんたのを等価にしないでよ!」

「じゃあ俺のおっぱいはいくらでも揉んでいいから! 君のおっぱいが俺のおっぱいの百倍の価値なら、俺のおっぱいを百回揉んでくれ!」

「ゼロに何を掛けてもゼロだよ!」


 毛を逆立てて威嚇する猫のように、彼女は目をこれでもかと吊り上げて俺を睨みつける。今にも「シャー!」と唸りだしてもおかしくないほどの剣幕だ。

 おいおい、誰にも言ってない秘密を暴露しても駄目なのかよ。秘密の共有は恋の成就の鉄則じゃないのか。俺の常識がどんどん崩れていく。


 ここまでしても、俺とこの子の距離は縮まらないというのか。

 じゃあ、俺はどうやってこの子の胸を揉むんだ? そのおっぱいは誰のものなんだ?

 決まってる。俺のものだ。

 秘密を打ち明けても駄目なら、向こう側に踏み込むのはどうだろうか。好意はあるが、告白されるのを待つタイプの子なのかもしれない。そうに決まってる。


「恋人にフられたからって、飛び降りることはないじゃないか」

「え、なんでそれを……」

「いや、君がさっき独り言でいってたじゃないか……あの人に捨てられたって」

「……ああ、そうよ。私は捨てられたの。向こうの勝手な都合で、あたしのためでもあるだなんて言って……!」


 唇を噛みしめ、また泣き出しそうな雰囲気になったミサキを見て、俺は雑誌に載っていた、女性を喜ばせる台詞を想起した。

『俺は君の味方だよ』『優しいんだね』『うんうん、俺もそう思うよ』『それは向こうが悪いよね』――四つの台詞のうち三つは失敗に終わった。が、最後の一つがイルミネーションのように輝いていた。

 俺は最後の望みに託した。


「――それは向こうが悪いよね」

「違う。あたしにも非があるの……!」


 もうどうすりゃいんだよ。あの雑誌に載ってたこと、全部嘘じゃん。ていうか、女って面倒くせえ。おっぱいを揉むのってこんなに苦労するのかよ。世の中のモテ男――すなわちヤリチンどもは苦労せず女の体に触れるゴミクズ野郎ばっかだと思っていたが、彼らも意外と頑張っていたのかもしれない。


 そこで、俺はまた一歩前進して考えた。ヤリチンにあって俺にないものは一体何なのか。

 分かった。俺に足りないもの。それは余裕だ。

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