第8話
あいつらは頭の中は女体でいっぱいのくせに、それを表に出さず女の前ではいい顔をする。俺に足りなかったのはそれだ。おっぱいを揉まんと必死になり、女性に対して暴風のような剥き出しの感情を向けていた。
女性の信用を勝ち取るのはそんな暑苦しいパッションではない。心地良いそよ風だ。
北風と太陽だ。ここは冷静に論理的に諭す――それが正解だ。
俺は空を仰ぎ、星座について教えてあげるように、彼女に優しく語りかけた。
「なあ、心は英語でなんて言うか、知ってるかい?」
「な、何をいきなり――」
「そう、ハート――心臓だ。元来、人は心というものを胸の奥にあるものだと認識している。『胸内』、『胸懐』、『胸襟』――心を言い表す言葉には胸が付きものだ。それはすなわち、心は胸の中にあるということだ。そして、心に一番近い人体の部位はどこか。そう、おっぱいだ。おっぱいは心から生えていると言っても過言ではない。そして、おっぱいは人によってそれぞれ形が違う。同じものは一切ない。なぜなら、おっぱいは心という養分から形成されているからだ。女性の心がそこに詰まっていて、その人の人となりが一目で分かるんだ。顔は清楚だけど、体はスケベを求めていたり、逆に色気ムンムンな顔をしてるのに体はそれを拒んでいる――そんな表に出ない心のありよう、いわば人の性質を映し出す射影機を、俺たちは仮に『おっぱい』と、そう呼んでいるじゃないかな。だから、俺は君のおっぱいを揉むんじゃない。君の人としての性質――ヒューマニティを揉むんだ。俺に、君のヒューマニティを揉ませてくれないか?」
物腰柔らかく、紳士が幼子を諭すように、俺は俺なりの純愛論を紡いでいく。
果たして、ミサキの反応は。
「……キモイ!」
だった。今までにないほど顔を歪め、壁を這うナメクジでも見ているかのような心底不快そうな顔だ。
「ムリ! 長ったらしくそれっぽいこと言ってるけど結局胸を揉みたいだけじゃん! 大体、そういう、か、体を触り合うのっていうのはお互いを思いやる真実の愛があって成立するもんでしょ! あんたにはそれが全くない!」
「『真実の愛』なんて、ただの言葉だ。
「じゃあ同じ愛の形を持ってる人を探して揉んでてよ! もう帰ってよ!」
「揉ませてくれたら帰る!」「揉ませない!」「揉ませてよ!」「やだ!」「この分からず屋め!」「あんたが気持ち悪いからだよ!」「こだわりが強いと言え!」「こだわりが気持ち悪いんだよ!」「揉ませてくれないお前が気持ち悪い俺を生んだんだぞ!」「人のせいにしないでよ!」「お前のせいだ! お前のおっぱいもお前が悪いって言ってる! 二対一で俺の勝ちだ!」「勝手に私の胸に自我を持たせて自分に有利な状況を作らないでよ!」
烈々たる論争を繰り広げ、俺と彼女はぜえぜえと息を切らして肩を上下させる。
俺たちの距離は一ミリたりとも縮まらない。二人の間にあるのは手すり一つだけのはずなのに、それがまるで巨大に立ちはだかる壁のように感じられた。
やはり俺には揉めないのか? 俺の〈パイ視〉にも、誤りがあるというのか? おっぱいが遠ざかる最悪の想像が、俺の脳内で繰り広げられる。
落ち着け、諦めるな俺。明胸止水だ。このままでは、この子の胸が誰のものなのか迷胸入りになってしまう。胸見がちな俺でも、そんなことは許されない……だめだ! 頭がおっぱいで埋め尽くされて、どんな言葉にも胸が付いてしまう!
とにかく、何かプランを。ぷるん――じゃない、プランを……事態を好転させるプランをぷるんと!
俺が焦燥の中で策を巡らせようとしていると、
「そ、それに」
ミサキは自分を抱きしめる力を強め、おずおずと何かを言い淀んでいる。
もじもじと、言うか言わまいかをその身で占っているかのように、やけに艶っぽい動きをしている。そういう仕草に男はソソられるって、分かってないのかなあ。フフ。
「そんなに、む、胸を揉みたいって言っても、本当に無理なんだから……」
その言葉には今までのそれのとは、まるで温度感が違った。
虹を掴むことができない。雲の上を歩けない。そういった現実的に不可能であることを言いい聞かせるような、そんな言辞だった。
「あ――」
言葉の頭が出かかったが、息と共に止まった。
かと思ったら、彼女は大きく息を吸い、震える唇で言い放った。
「あたしは男なんだッ!」
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