間話──23.5-1話──

 ──嫌な予感というのは、当たるものだ。

 ザアザア降りの、雨だった。

 雨の魔女はいないはずだ。

 けれど小早川さんは、どこか、ソワソワしている様子だった。彼女にしては珍しいと思……いやそうは言っても何回かみているな、なんて思った時、こんな彼女の姿も随分と見慣れていることに気づいた。

 ……けれど。雨が降るとどことなく身構えてしまうのは、俺も一緒だ。小早川さんのことを笑えない。雨はどこまで行っても、俺たちにとって、魔女の証。

 そして、小早川奏との別れの刻限を、示すものであったんだ。


 椅子で目が覚めた時、机の上には菓子パンが置かれていた。

「おはよう、近江くん」

「ああ……おはよう……」

 状況についていけず、ぱちぱち、と瞬きをする。

 そうだ……そういえば、昨日、雨の魔女を倒したんだ。

 そして、そのまま、眠ってしまって……実体か虚像かも分からない美原と会話したのだ。

「……美原は?」

 俺の言葉に、小早川さんは答えず、ただ首を横に振るのみだった。

 何かを知っているのか、それとも何も知らないのか。その動作だけでは、俺は判断がつかなかった。

 ただ、いるはずの美原がいないというのは、机の上の菓子パンで一目瞭然だ。小早川さんの食事に美原が菓子パンなんて、彼女が自分を許すはずがない。

 だとしたら、これを買ってきたのは小早川さんだ。机の上にある二つのパンと、一つの空袋が、妙に印象的だった。

「魔女退治の件だけどね」

「……ん?」

 唐突に……本当に唐突に。ポツンと、不意に思い出したことを言うように、小早川さんは口を開いた。

「魔女という生き物はね……いや、魔女だけじゃないな。人間もそうだ」

 それは、俺にか、それとも自分にか。何かを言い聞かせるように、小早川さんは言葉を続ける。

「魔力を持つものは、生まれた瞬間が、もっとも魔力を身体に保持した状態なんだ。大きな怪我や肉体の損傷の修復には魔力が使われることもあるし、生きる限り常に魔力は減り続ける。もっとも、魔術師でもなければ大抵は先に寿命が尽きるけどね」

 それは暗に、この世の生きとし生ける生命のほとんどが、魔女になりうることを示していた。中でも魔術は、そのリスクを高めるものである、という解釈で間違いないだろう。

「食事、睡眠、そう言った健康な生活で魔力が回復することもない。……魂の外殻は、余剰な精神エネルギーを覆う被膜は、魔力を使えば使った分だけ小さくなるんだ」

 それはつまり──俺たちはもう戻れないことを意味している。

「けど、魔女はね──魔力の最大値は常に減り続けるけど、魔力保有量自体は多少回復はできるんだ」

「……ええと?」

「魔女が生命活動を維持するのに必要なエネルギーは、魔力だけ。その肉体を構成するエネルギーも、ほとんどは魂が変換された魔力だ。その魔力が失われた時、魔女は心身ともに完全に消滅すると言っていい。生きる限り、減り続ける魔力だけがそのエネルギー源なんだ」

 魔女になった後──魔術師だった生命体が、どうなるのか。

 彼女は多分、そんな話をしようとしている。

「魔女の肉体は魔力だからね。魔力を覆っていた被膜は、人間で言う皮膚に相当する器官に置き換えられる。言ってみれば、その肉体全てが魔力貯蔵庫に変わるんだ。脳も、内臓も、そのつま先から髪の一本に至るまで。魔女の肉体は魔力で再構成される。そんな魔女だが、魔力がなければ生きていけない。では、どうやって魔力を補充する?」

「どうやって……って」

 どうやって魔力を補充するのか。

 食事や睡眠といった、生きているだけで勝手に回復するものではない、というのは小早川さんの言だ。

 それは──きっと、人間に食物から魔力を生成する能力が備わっていないからだ。

 いや、それだけじゃない。既に幾度も魔女と対峙して、その性質を理解し始めているはずだ。魔女は……戦闘の最中でも、俺に対してヘイトが向くことはあまり多くなかったような気がする。

 それは、俺が魔女にとって本来脅威となり得ないから、だけではなく──。

「あ」

 ──そうか。

 食物が魔力を持たずとも、魔力を保有するものがあったはずだ。

「魔女は……人間を食らって」

「うん、その通りだ」

 これまで、魔女を狩るという行為には、小早川さんの指令以上の動機が俺にはなかった。

 けれど、その根本から、根っこのところの本質的に、魔女は人間と対立する生き物だったのだ。

「魔女は自分の肉体を維持するために、人間を喰らって魔力を補充する。魔女が人間を喰らうのは、そういう生存競争なんだよ」

 だから、人類は魔女と争って生きている。互いに殺し合い、弱肉強食による適者生存を図っているのだ。

 けれど……魔女と争えば争うほど、人間は魔女に近づいていく。生きていけば生きていくほど、人間は魔女に近づいていく。

 なんという矛盾、なんというDNAの設計ミスだ。神とやらが実在するなら、その顔を思いっきりぶん殴ってやりたかった。


 ──じゃあ。

 小早川さんは、どうして生きているのだろう。どうして戦っているのだろう。

 自分が魔女になるリスクを負ってまで、魔女を倒している。

 きっと、きっとそれは魔術師の責務というだけではない。いつか……否、もう、死がすぐそこに迫っているとわかっていて、それでも彼女は魔女を狩る。

 一体それに、どんな意味が、あるのだろう──。

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