第23話
「……帰ってたんだ。お帰り」
不意に、声をかけられて意識が覚醒した。
瞼が開かれた先には、心配そうにこっちを覗き込む美原の姿があった。
小早川さんが深く眠っている……というか気絶しているのを恐る恐る確認した後、ゆったりと口を開いた。
「……カップ麺、食べる?」
その質問に、俺はこくりと頷いた。
作ってる間、そういやさっきもラーメン食った気がするな、とぼんやりと思っていた。
美原はお湯を入れたカップを、俺の前にだけ置いた。
「お前の分は?」
「私は──今日はいいかなって」
「……そうか」
だとしたら迷惑をかけてしまった、と思いつつ、ダルい体をのそのそと動かして、カップ麺の蓋を抑える箸を手に取った。
3分とか待ってられないくらいには、体の消耗が激しい。疲れと痛みが酷く、空腹も絶頂を迎えていた。とにかく何か口に入れたい一心で、カップ麺をかき込むように貪り食う。
それを──美原は、安堵したような目で見つめていた。
少し食物が胃に入って、それに気付けるくらいには体も回復してきた。
「……どうした?」
「……ううん。カップ麺をそんなに美味しそうに食べる人も珍しいなって」
確かに、とは思わないでもなかったが、それだけ貴重なリソースであるとも言えた。今だったらどんなものでも美味しく食べられる。それに、カップ麺も久々に食べるとそんなに悪くない気もする。……ラーメンはさっきも食べたから、半分で飽きが来てはいたけれど。でも、半分食うまで飽きが来ないほど消耗していたとも言える。
食事をして、意識が覚醒してきていた。
未だに半分程度残っているが──その中で、今日の話を、そして何より、これからの話をしたいと思った。
「……今日は、ごめんな」
小早川さんの反魔力の短剣。それが彼女に、どんな影響をもたらすのか分からない。右腕を包帯で覆ってはいるが、血が滲んでいるのを俺は見逃さなかった。魔術師にとって反魔力というのは、呪いみたいなものだ。特にあの時の美原は、全身に魔力が充満して強化された状態だったから、尚更そのダメージも大きいんじゃないかと思う。
「謝らないで。私も分かっててやったもの。それに……嬉しかったよ、私は二人と一緒に戦えて」
「……そっか」
美原のその言葉に、ほっと安堵の息を漏らした。
小早川さんには怒られてしまったけど……それでも彼女が嬉しいと言うのなら、それでよかったと思う。
それ以上喋ることもなくて、沈黙が起こる。
今日のあの魔女は、そしてそれを呼び覚ましたあの邪教は、語るのも憚られる地獄だった。特に女の子には、キツい部分もあるだろう。
あと、話すべきは……。
「……雨の魔女、倒したよ」
「そっか。……倒しちゃったのかぁ……」
俺の言葉に、少しだけ、ほんの少しだけ残念そうに、美原はそう言った。
その気持ちは、本当によく分かる。俺も同じ気持ちだった。
──雨の魔女を倒すということ。それは即ち、小早川さんとの別れを意味する。
……けれど。
それでいいのか、と思ってしまう自分もいた。
「美原は、どう思う?」
「……私は──」
ほろり、と涙が流れていたような気がした。
気がしたというのは、床に涙の粒も落ちているのか、分からないのだ。
さっきカップ麺を持ってきてくれたはずなのに、どこか彼女の姿は、朧に見える。
……幻術か? だとしたら、カップ麺は誰が?
けれど、彼女が口を開いて、俺は現実に引き戻された。
「──分かってるんだけどさ、私だって魔術師だし。……分かってるよ。分かってるんだよ! 魔術師は魔女になってしまう、そうなったら酷い結末しか残されてない。ううん……魔術師になった時点で、そんな結末しか残ってない。こんなの、ワガママだって、無理な願いだって、分かってる。けど……それでも私は……奏ちゃんと一緒にいたいよ……」
そう、美原は言った。その叶わない願いを言ってしまって、最早感情は止めどなく溢れ出してしまったのだろう。嗚咽を上げて、両手で顔を隠して、泣き出してしまった。
ポタポタと溢れるはずの涙は、やはり地面を濡らさない。
そんな彼女だから、俺は触れることさえできはしなかった。
この映像は、俺の願いが生み出した夢なのだろうか、と自問するも、明らかに彼女の想いは本物のソレだ。
……彼女と小早川さんには、実は目に見えない深い溝がある。
けれど彼女たちは同時に、お互いに足りない部分を補い合う良きパートナーであり、仲のいい友人でもあったのだ。そんな相手を殺すのは──。……いや、自分の手で決着をつけるならまだいい。けれど、死ぬのを黙って見ていなければならない──それは、どれほど辛いだろう。
「……俺もさ」
ぼんやりと、呟くように口を開いた。
「やっぱり彼女を、殺したくない。……ううん、殺せる自信はない」
その言葉に美原は涙を流したまま、俺を一心に見つめていた。
怒りと悲嘆に震える唇が、妙に印象的だった。
「……でも、俺は──」
その言葉に──幻が生み出した彼女は、顔を傾けて、泣き腫らした目で、慈しむようにニコリと笑った。
「……そっか、分かった。……何かあったら、私が力を貸してあげる」
その言葉と同時、美原はフッと姿を消した。
そこには、一匹のトカゲと、空になったカップ麺が残されているのみだった。
なんとなく、自分一人でカップラーメンを貪っていたような、そんな空虚さに満ちていた。
お揃いで買った箸が。
カランと片方、地面に、落ちた。
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