第32話
翌日。初めて魔女と出会った、駅前のあの広場。
高層ビルに囲まれているそこに、突如それは飛来した。
連盟による情報規制で、それの存在はまだそこまで知られていない。
けれどそれにも限度があって、特にSNSの影響も相まって、竜のような飛行生物はネット上で話題になっていた。
駅のロータリーの上に設置された高架から降りるのに、人智を超えた巨大生物の襲来に逃げ惑う人々が、雑踏をなしている。口々に出る悲鳴や叫び声、それに怒号は、人が生に執着する姿そのものだ。
その群れをなんとか掻き分けて進むうち、やがて反対側に走る人はいなくなり、俺と小早川さんはようやく駅前の広場に到着した。
何が気に入らないのか、駅前広場の石のオブジェに、尻尾を振るう。途端、オブジェは真っ二つに切断された。
その姿を認めて、オブジェが地面に滑り落ちるようにして崩れ落ちきった直後。小早川さんは、口を開いた。
「──識別名、通称、竜の魔女。……いや、美原」
広場の中心に高慢な姿で、何者も意に介さずに眺めていた竜の魔女は、その声に眼球だけジロリと下に向ける。
そして──細身の竜が、羽を広げる。それだけで暴風が発生し、街灯やアーチがなぎ倒されていく。
竜はコンクリートに爪を食い込ませて、威嚇だろう、金切り声を上げた。
もはや衝撃派と違わない竜の放つ金属音に耳を塞いで耐えながら、その右腕が赤いヒビ割れた火傷で覆われているのを見て、やはり目前にいるのが美原であったものだと認識する。
同時、ドラゴンと俺たちを支える高架というバトルステージが、その反響、衝撃、そして暴風に耐えかねて、ついに崩れ落ちた。
「なんてムチャクチャな……」
本当に、過去一番と言っていい厄介さだ。
俺は嘆息しながら、短剣を取り出し、構えた。
「君を──悪魔の象徴にはさせないよ」
俺の近くに落ちた小早川さんはそう言うと同時、俺より一足早く瓦礫の上を駆け出した。
竜の物理攻撃が小早川さんに襲い掛かる。
されど、魔力でできたその肉体は小早川さんには通用しない。
尻尾での攻撃も、爪での一撃も、全て反魔力に弾かれて終わり。
口から放つ魔弾も効かない。その相性の良さに油断するのも束の間、竜は口元に何か光を溜め始めた。美原の幻術は、光を直接屈折させるものだった。だから俺は、彼女の幻術を見ることができたんだ。だとすれば──あれは鏡面を利用した光の増幅装置のようなものだ!
つまりあの極光は魔力が生み出したものではなく、純粋な熱量で輝いていることになる。要は──レーザービーム!
反魔力では対応できない攻撃であることを察知した俺は急いで駆けて、小早川さんを伏せさせた。──その、直後。
竜の
「な──!」
高層ビルが崩れてくる。既に避難は済んでいるから、無人であることが不幸中の幸いだった。小早川さんを抱き上げ、崩れてくるビルが倒壊してこないであろう、地下鉄の入り口に逃げ込んだ。
間一髪だった。すぐに轟音が襲ってきて、地下のこの場所さえ酷く揺れる。
小早川さんは──無理に抱き留めた時に頭でも打ってしまったのか、気を失っていた。
しょうがない……けれど、都合がいい。なるべくなら、彼女にはあまり戦ってほしくなかった。だって相手は、魔術師の宿命とはいえ、あの美原だ。それに──美原をこんな魔女にしてしまったのは、俺自身なのだ。
轟音が止んでから、俺は瓦礫から抜け出して地上に出ると──自分の不運を恨めしく思う。けれど、標的がすぐ見つかるのは互いに幸運だ。即ち──竜が、そこにいた。
獲物を見つけた竜が、俺に対して右腕を振り下ろしてくる。俺は瞬時に短剣のスイッチを起動、反魔力の刃はその右腕を切り落とした。まるで豆腐を斬るかのような感触に反魔力の恐ろしさを実感するも、もうすでに反魔力は停止していた。……構わない。一度だけ残っていれば、あとはもうこの戦いで全て使い果たしてもいい。
『ギイイイイインッ!』
金属音のような悲鳴をあげながら、竜は一瞬だけ飛び退き、すぐさま俺に噛み付かんと迫る。狼ほどではないせよ、凄まじい速度の攻撃。急激に上がったそのスピードに対応できず、頭に噛みつかれるのはなんとか避けたものの、左腕は餌食となった。食い込む牙、熱のような激痛、夥しい出血量。このままいけば、左腕は持っていかれるだろう。──全て、構わない。これももう、必要ない。
竜は俺の推測通り左腕を食いちぎらんとするが、それは俺にとってむしろ都合が良かった。俺もそのまま竜の顎を掴んで拘束し、短剣を起動して竜の首を斬り落とす。竜が俺の腕を持っていくのと、俺が竜の首を獲るのは同時だった。
されど──そんな簡単に奴を落とせるのなら、竜は最強生物などとは呼ばれまい。
それだけじゃない。あの竜は、これまでも理不尽なやっかみに耐え続けていた美原なのだ。そのしぶとさは本物だ。
首の断面から、竜の頭が再生する。その隙に、小早川さんが瓦礫の下から抜け出してきた。
「──近江くん。奴の動きを止めてくれ」
俺は小早川さんのその言葉に頷くと、のたうち回りながら頭を再生させる竜に近寄る。そして、9度目の反魔力を起動し、一息で四肢と翼を斬り落とした。さっきと違って、逡巡さえもしなかった。それだけがこの一振りを許してくれた。
──そうできるほどに、この攻撃に迷いはなかった。……彼女なら、当然のように、その魔女を、必ず殺す。──それでいい。彼女がやると言うのなら、その方がいい。
頭を再生させながら、ガラガラと音を立てて瓦礫の上に竜は転び、そのまま立ち上がれなくなる。五感のほとんどを奪われ、突然地面に腹がつき、痛みと状況変化に混乱している竜。
その上に、小早川さんによって反魔力の十字架の墓標が作られた。巨大なその十字の杭は、竜を丸ごと、核も残らないほど、隅から隅まで押しつぶし──竜の肉体が、光となって霧散していく。
それは、あまりにも綺麗な景色だけど、俺たちの友人との別れの瞬間でもあった。……狼の時もそうだったが、この光の美しさは、鎮魂や慰撫するように優しくて、だからこそとても残酷だ。
それはある意味で、命が生み出した景色だった。彼女の最後の輝きを、噛み締めながら目に焼き付ける。その光の粒子の一つが、俺の手元にふよふよと飛んできた。それは触れると、さらに細かく砕けて散った。
「……竜の魔女、討伐完了。……安らかに眠れ、美原。私もすぐに、そっちに行くから、ね」
小早川さんは泣きそうな目でそう宣言すると同時に、膝をついた。
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