第31話
二人で言葉もなく、洞窟の奥へ奥へと進んでいく。
そこまで深くもない。途中、見覚えのあるトカゲがいて、その先導について5分程度歩くと、最奥にたどり着いた。
そこにあるのは、儀式のようなもので使いそうな台座。あとは──手錠や空の注射器、それにメス。人体実験でも行われた後のような光景をしている。
──その台座の上に、魂と形容するべきものが、そうとしか形容できないものが存在していた。丸い水晶のような球体。アレは見覚えがある──最初の魔女のときに見た、核だ。ただしそれが、碧い炎のようなものを纏っている。それは、生きている核と形容して差し支えない。
小早川さんや美原の話もあって、魂という奴なのは確実だろう。なんでここにこんなものがある。狼の話では、美原がここにいるという話だったハズだ。
美原の姿はどこにもない──否。違う。違う違う違う!
本当は気づいている。小早川さんは沈痛な面持ちで黙っている。分かっている。分かっている、分かっているのだ。
けれど──認められるはずがない。認められるはずがないだろう!
俺はふらつき、頭痛と眩暈と共に、不用意に、その輝きに手を伸ばしてしまった。
指先が魂の殻と……俺たちが普段核と呼んでいるものと交差する。
コツンと軽い音を立てて、それはコロコロと転がって、僅かに開かれた台座の隙間に落ちた。
気づいていなかったが、台座は柩だったらしい。
動転しながら、その箱を開ける。
柩の中に、右手が赤い光に侵され、目の開いた渇いた女がそこにいた。幸い、虫は這っていない。どこまでも綺麗に、土気色になった肌さえも潤いを失わず美しいまま保存された、それでいて遺体としか言いようのないものだった。……ヴァンパイアがいるとしたら、きっとこんな姿をしている。
台座の上に置かれていた魂の、元の持ち主なのだろう。胸の中心縦一文字に、切開したのを丁寧に縫合した跡が残っている。
その景色に、思わず狂いそうになる。いいや違う、元々狂っていたのかもしれない。だって俺は、その景色をマジマジと見つめていた。その美しさに恍惚としていた。
……現実逃避は、よそう。この景色は、俺が招いた結果だ。俺があの時、この短剣を猛毒だと、呪いだと知りながら渡したからだ。
そこにいたのは、柩で起きながらにして眠っていたのは、渇きながら瑞々しかったのは──美原だった。
「……なんの冗談だよ、コレ」
その現実を直視して、俺は思わずつぶやいていた。
あの男の……ラファエルの言葉を思い出す。
──小早川奏を殺す前に、君は最大の悪を見る。
奇しくも、その予言通りになったというわけだ。
小早川さんも美原も、何も言うことはない。
ただ──美原の魂が落ちた先だったのだろう、美原の、呪いの火傷に染まった右手の中に、それが収まっていた。
「──ッ!」
拾い上げようとしたその瞬間、魂はその炎を失った。魔女の核となった水晶の中心に、淡い光が残るのみで──俺が取り上げるより早く、ソレは美原の右手に吸収されていくように見えた。彼女の言葉を思い出す。──魔女化とは、魂と肉体の融合なのだと。
「近江くん離れてッ!」
叫びながら、小早川さんが反魔力の墓標を作る。けれどそれよりもずっと早く、美原の肉体は右手の核に凝縮され、美原の胸の中心に刺さった墓標は核を射抜けなかった。
そして。
魔女の核は、神話の時代からこの世界で最も強い生物の姿を模って顕れた。神の敵対者。至高にして究極の生命体──ドラゴン。
あのラーメン屋で、思いもよらず、自分がとんでもないことを言ったのだと理解した。
──美原が変容したドラゴンは、俺と小早川さんには目もくれず、凄まじい速度で洞窟の天井を突き破り、そのまま何処か、視認できないほどの遥か彼方へと飛び去っていった。
呆気に取られている暇もなく、洞窟の天井が崩落してくる。
小早川さんの術の特性上、魔力の通らない自然物に対して防ぐ術はほとんどないだろう。小早川さんの手を取って洞窟の出口に急ぐも、思う通りの速度が出ない。
「ああもう!」
「任せるよ近江くん」
「喋ってると舌噛むぞ!」
俺の方が脚が早いこともあり、彼女を抱き上げて、急いで洞窟から退散した。
来た時には夕焼け空だったのに、今ではもうすっかり暗い。
パニックになっていたが、今更ながらとんでもないことをしていたと我に帰る。けれど、小早川さんは気にしていないようだ。少しだけ寂しい気もするが、それだけが救いだった。
「……」
「……」
小早川さんと俺は、二人とも、何も話せなかった。
美原が魔女になったこと。その魔女を取り逃がしたこと。それが、俺の心にズッシリとのしかかってくるようだった。
「また明日、だね」
「……ああ」
小早川さんの言葉に頷く。
俺たちの物語の結末は、明日に持ち越されるようだった。
当然だ。あんなことになった美原を放置してはおけない。それに──魔女になった魔術師を殺すのがパートナーの役割ならば、小早川さんと俺が、なんとしても彼女を殺さなければならない。
「……ごめん。次に魔術を使う機会があるとしたら、それが私の最期だ」
あの質問の答えを聞かずに、小早川さんは帰り道に俺に対してそう言った。何か、彼女にそう予感させるようなものがあったのかもしれない。
或いは──猫が自分の死期を悟って人前から姿を消すような、
「……大丈夫だよね?」
そういう、漠然とした予感だったのかもしれない。
「……何言ってんだ、まだわかんないだろ」
「いいや。分かる。それに──」
戯けて見せると、それをはっきりと否定した。それに合わせて彼女は、あの懐中時計を取り出し──。
「これが答えだ」
──それは、真っ赤に染まっていた。
一瞬、頭が真っ白になる。けれど、けれど……覚悟はできていたはずだ。
泣きそうになる。思わず瞳孔が開かれる。それでも、下唇を噛んでそれを堪えた。
小早川さんも、あの質問の答えを聞かずに自分の死期を俺に対して言うということは、今日の流れで俺の覚悟を感じ取ってくれたのだろう。
俺の方にも、なんとなくの予感があった。──明日必ず、美原は現れる。
「もう一回聞くけど……大丈夫だよね?」
「ああ。覚悟はできてる──」
さっきの問答もあって、やっぱり不安だったのだろう。らしくないような、じつは彼女らしいような。小早川さんが思い直しての質問に、俺は頷いた。
明日。美原が再び現れたならば、
「──君は、俺が殺すよ」
小早川さんは明日、魔女になる。
その時俺は、彼女を、殺す。
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