第26話

 翌日10時。宣言通り、小早川さんは俺を迎えに来た。

「どこに行きたいんだ?」

「んー……ちょっとね」

 小早川さんの中では、もう既にプランが立っているらしい。男としては情けないが、ここはエスコートしてもらうとしよう。

 最初に来たのは、駅から少し歩いたところにある、今どき珍しい独立した映画館だった。あんまり入ったことはないが、外観がオシャレで憧れていた施設だ。

 かなりの規模の映画館で、映画の種類も今話題の流行っているものからそうでもないものまで多様に揃っている。独立型の映画館はあんまりシアターの数が多いイメージはなかったから、それだけちょっと意外だ。

 地下一階から地上二階までシアタールームが配置されており、それぞれのシアタールームはかなりの回数の上映予定がある。

 小早川さんはあらかじめチケットを取っていたらしい。流石は小早川さん、エスコートが完璧でデキる人だと感心していると、階段の前で手を差し出された。もはや扱いが女の子だが……まあいい。

 多分手を取らなければ拗ねるし、その手を取るまで動かなさそうだ。諦めてその手を取り、階段の段差をエスコートされる。小早川さんの人並外れたルックスが人目を集め、自然俺にも注目がいく。正直言って気恥ずかしい。

 けれど──これも彼女と一緒にいるための試練なら、乗り越える他になさそうだった。

 階段を上がると、彼女を手を離してくれた。俺はエスコート以上に手を握る意味を見出したいところだが、彼女の配慮だろうか、それとも。

 悶々としながら、小早川さんに連れられてシアタールームに入った。


 彼女が俺に見せた映画は、殺された被害者遺族や、或いは遺された側、さらには屠殺場の授業員なんかに密着するドキュメンタリーだった。唐突に泣き喚く情緒の不安定さは、いかに亡くなった人を大事に思っていたのかの証明で、そこに内包される愛に、思わず涙ぐみそうになる。

 次は、交通事故で他者を助けて死んだ人の遺族。三例紹介されていたが、これは三つとも分かれていた。

 一つが、その英雄的行為を賞賛する遺族。……俺はちょっと、これを深くは語りたくない。その賞賛自体は真っ当なものだし、そうでもして納得しようとする遺族の気持ちも多少理解できる。けれど──俺にはそれは、認められそうになかった。だってそれは、まるで死んでよかったと言っているようで──死んでよかった人なんていはしないと、そんなチープな主張を声高らかに叫びたくなってしまった。

 二つ目は、その行為に怒る遺族。言ってみれば行為自体は自殺なわけだから、怒って当然だ。俺にはこれが、よっぽど自然なように思えた。

 三つ目は、遺族自身が助けられた場合。この怒りは──二つ目の比じゃない、計り知れない。自分が助けられるくらいなら生きてほしかった、自分を遺してほしくなかった、なんて身勝手な気もする意見が述べられている。

 いずれにしても、三者三様に泣いていた。

 小早川さんの遺族はどれなのだろう。それに、俺は彼女を殺した時、泣けるのだろうか。……疑問は尽きない。けれど俺の心の欠陥は、泣くことを許してくれなさそうだ。

 考えているうちに、話は殺す側に切り替わっていた。と言っても犯罪心理を追うものではなく、戦争の兵士の親とか、そういった方だ。

「戦争で生き残るためだから仕方ない」

「国のためだ、殺したことを光栄に思う」

 けれど──誰も、殺したことを後悔していなかった。

 誰かのために、何かを殺す。

 それは、次に流れた豚の屠殺もそうだった。

 食事を得るための殺し。生きるための殺し。自分のため。他者のため。

 生。死。生、死。生、死、生、死、生死、生死生死、生死生死生死生死──。

 生と死が、目まぐるしく流転する。

 二者択一でありながら不可分、流動でありながら結果は固定されていく、そんな二律背反に道徳が揺れる。屠殺場の従業員は肉が食えなくなったと話した。肉を食うために殺しているのに、肉が食えなくなってしまう。

 ならば結局、何のために殺しているのか。

 そんな疑問を残したまま、最後に、動物の殺処分場で幕を閉じる。

 とてもじゃないがデートで見る内容じゃない。俺はドン引きだった。

 けれど──小早川さんがこの映画を選んだ理由が、必ずあるはずだ。

 否、あって当然。なんせ彼女は、もうすぐ死ぬつもりでいる。そんな人間が死を見つめ、死の先を見つめようとするのは当然だった。

 それを今更否定するわけもない。……いや、否定してはいけない気がした。

 だって、死ぬのが彼女なら、殺すのは俺だ。

 俺は俺なりに、彼女に、そして死というものに向き合わなければいけない。

 そんな妙な真面目さがある一方で、少しだけ不謹慎な好奇心も残っていた。

 ──彼女は死を見つめて、その先に何を見るのだろう。

 劇場が明転し、陰鬱な顔、考え込むような顔をした観客たちが退場していく。

 その中で、小早川さんはこっちに向いて話しかけた。

「今の映画は、敢えて触れていない死があったよね」

 その言葉に、俺は頷く。

 ……さっきの映画、病死に触れていなかった。というかわざと避けていたように思える。映像に映っていたのは、誰かを助けて死ぬ行為。誰かのために殺す行為。人の人による生と死。ならば病死に意味はないのか。……否、きっと否だ。意味があって欲しいと、そう願っている自分がいる。

 だって、病死こそまさに、この世界にありふれた当たり前な死。誰しもにいつか訪れるもの。──それは自然の摂理としての死だ。まるで魔術師が魔女になるくらいに、当たり前のもの。

「……どっちなんだろうね」

 何が、とは聞けなかった。聞く必要もなかった。それは、俺も薄々勘づいていたからだ。

 彼女がどっちを選んだのか、それだけが少し気になった。

「……どっちだと思う?」

 気になったことを、そのまま口に出していた。それを少しだけ後悔した。彼女がどう答えたとしても、俺も、彼女も傷つくだろう。

 小早川さんは曖昧な笑みを浮かべて、そして──。

「……ない派、かな」

 ──そう、口にした。

 ありとあらゆる死に、意味はあるのか、それともないのか。

 誰かを殺す、誰が死ぬと言っても、そこに意味があるとは限らない。むしろ……うん、むしろ、意味はきっとない。

 それでも、俺は。

「……俺はあると思うよ」

 俺の言葉に、小早川さんは、儚げに、そっか、と顔を傾けて笑う。

 ……だって。死ぬことに意味がないなんて、これから死にゆく人に対して、あんまりにも残酷だ。

 俺は、それが俺自身が今までに心の欠陥ゆえに持ち得なかったものであったことに、つまり──少しずつ心が潤っていっていることに、ついぞ気づくことはなかった。

 きっとこの時──俺は彼女に、すでにもらい始めていたんだ。

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