第24話

 あの雨の魔女との決戦、あの夜から一週間が経った。

 あの日のことは、何度だって思い出せる。

 ──そして、あの日以降、美原とは会っていない。

 美原は誰かに襲われたのか、それとも自分から姿を消したのか。

 前者だとしたらあの幻術に説明がつかないし、何にせよその犯人を赦しはしない。後者ならばなんでそんなことをするのか問い質したい。それほどまでに、小早川さんと美原と、3人で過ごした日々は、激しく辛くも、楽しい毎日だったのだ。

 唐突にそんな楽しかった日常が奪われて、俺は──自然、学校から足が遠のいていた。

 小早川さんはいるし、彼女だけでももちろん楽しい。けれど、物足りなさのようなものを覚えてしまう。……この物足りなさ、それは恋かと問われれば──多分、違う。

 だって、未だに小早川さんを殺す決心も揺らぐほどに、俺はやっぱり、小早川さんが好きなのだ。彼女ほど世界を楽しそうに生きている人は居ない。孤高の存在で、ありとあらゆる柵から解き放たれた、何者にも縛られぬ者。

 そんな人を追いかけ続けるのは本当に骨が折れてしまう。けれど、そんな人だから、小早川さんはどこまでも美しく、無垢で──俺の心を奪っていくのだ。

 俺と彼女は、共に学校という社会における異物だ。同類だから分かることもあると、そんな風に思っていた。それは、真っ赤な思い上がりだった。俺と違い、彼女は孤独に苛まれるのではなく、孤高を楽しむことができる人。だから俺は、そんな彼女に惚れたのだ。

 学校での俺は、友達は多いが、それでもどこか孤独だった。

 自分の欠陥を、渇きを理解する人なんて、いないと思っていた。

 けれど……小早川さんは、それでもあんなに楽しそうにしている。

 そんな彼女が好きなのだと、俺は一緒にいて気づいた。

 だからこそ。

 俺には今、美原が必要だった。

 この感覚を共有できる相手はいない。

 小早川さんに対して、君を殺したくないなんて、そんな言葉は漏らせない。

 だって……幾度も魔女と戦って、それがまさしく人類の敵であることを教えられた。魔女に人間だった頃の記憶があるかは分からない。されど魔女にも人格があり、それでも尚、同じ知性体として人類と対立している。

 魔女は人間を喰らわなければ魔力を補充できない。魔女が人間を喰らうのは、そういう、ある種の生存競争で、弱肉強食の適者生存なのだ、だから互いに殺し合うことは仕方のないことなのだと、雨の魔女を倒した翌朝、小早川さんは俺に教えてくれた。その説明は──俺が小早川さんを殺すことへの抵抗を、少しでも和らげようとしてくれているのかもしれない。

 確かに、魔女になるというのはもはや人類とは別種の存在への変化のようにも思える。……けれどそれでも、俺は魔女となった彼女を殺せる気がしない。

 それがなんでか、と言われれば──上手く説明はできなかった。

 理性では理解している。小早川さんが自分が守ってきた人々を殺すことを避けるために、俺にお願いしているのも理解している。彼女を殺してしまうことが、俺にとっても彼女にとっても、後悔しない道筋であることは分かっている。

 分かっている。分かってはいるのだ。

 けれどこういう時に限って、欠陥しているはずの心が、渇いていたはずの心が、正常に機能してしまっているのだ。

 世界を恨んでもどうにもならない。雨の魔女という脅威もない。魔女を殺すのに、それを止める倫理は存在しない。正義の天秤は、最大幸福は、殺すことに傾いている。

 ならばこれは──あとは俺の、覚悟の問題だ。

 そう自覚してしまった時、俺は学校に行けなくなった。

 美原がいなくて物足りないから、だけじゃない。

 これから殺さなければならない女の子、その生を見つめ続けるのが苦しいのだ。

 この一週間、彼女を殺す理由を考え続けていた。

 けれど、時間が経てば経つほど、彼女を殺す覚悟や決心からは離れた位置に向かっていくような気がしてくる。

 いつまでもごちゃごちゃとした、スッキリとしない思考回路。

 どこまでも終わらない迷路のような堂々巡り。

 それらを吹っ切るために家に籠っているはずなのに、妹のいない、静寂に満ちた、俺だけの家は、なんだか妙に陰鬱として、思考の一巡を加速させる。

『18時になりました。天気をお伝えします。一週間前の突然の梅雨明けから、東京ではカラッとした晴天が続いており……』

 不意に、垂れ流しになっていたテレビのニュースが18時を教えてくれた。

 ああ、そろそろ帰ってくる……。

 嘆息すると同時に、ガチャリと扉が開かれ、元気の良い声が響いた。

「兄さんただいま! まだ引きこもってんの!? お客さん来てるんだからシャンとしてよね!」

「お邪魔しまーす、近江くんいるかい?」

 喧しい妹の声に続いて、凛と通る声が二階まで伝う。

 それは幾度も聞いて、ずっと切望していた小早川さんの声だった。

 その声に思わず飛び起きて、高校の制服に早着替えして下に向かった。

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