第14話

 薄暗い世界、洞窟のような場所のその奥に非常階段を見つけると、その下の方に歩いて行く。一歩一歩、ヒタヒタと歩く彼女を追いかけて、俺も一歩一歩、恐る恐る降りていく。

 雨漏りがひどいのか、階段を伝うようにちょろちょろと水が流れ、ぽたぽたと垂れて落ちてくる。濡れる階段で滑らないように気をつけながら、周囲を警戒しつつまた降りる。最低限の文明を感じた足元さえも段々と黒く汚れてきていて、ホラーチックな光景になっている。そのうち、コンクリートは木材に変わり、それも腐って岩へと堕ちる。なんとなく、冷や汗が噴き出してきていた。ドッドッと、心臓が強く鼓動を打つ。

 ドロドロとした、粘り気のある緊張感の中、さらに一歩踏み出し、恐れと共に二歩目を踏み出し──やがて、何時間も降ってきたと錯覚するような、緊張感に包まれた短い階段は終わった。地下1階と2階を差し置いて地下3階、と表示されたプレートの奥。ドアの窓から覗けるそこは……ライブハウスになっていた。

 壇上には歌う女と、そして、獣のように交尾を行う、修道服を纏った人間。

 ライブフロアの中心には、呻き声を上げる黒い獣──捕らえられた魔女の姿があった。体躯の半分を占める、胸に大きく形作られた鋭い牙の覗く魔女の口に、生贄なのだろう、拘束された人間が一人、また一人とその身を捧げられていく。まさに淫獄。その光景は、明らかな邪法。今まで見たこともないような、醜悪なる現世の地獄がそこにあった。

 自然、身を包む変な緊張感と目前の光景のおどろおどろしさに、小早川さんに渡された短剣を俺は、カバンの中で握っていた。

 俺が剣を出すのを制して、小早川さんは右手を扉に向けている──そして。

「『アンチ・マジック』」

 彼女が宣言した。

 瞬間、彼女の身に纏われるそれは言霊を受けて、彼女の右手から発生する超質量の圧力へと生まれ変わった。

 アンチマジック反魔術。その本質は、魔力への拒絶。

 しかし彼女の場合、ソレは人間にも作用するある種の結界のような力を持つ。特に、魔力に優れれば優れるほど、その結界は効力を発揮した。魔術師であればおおよそその術から逃れる術はないほどの、圧倒的な暴力──!

 地獄が、ひしゃげていく。なにもかも問答無用で押し潰されていく。それは、掃除のためにゴミを一箇所に集めるかのような行いだった。

 そこに充満していた生が、死が、命を命と思わないような行いで一緒くたにされている。

 俺は思わず瞠目して、小早川さんを見つめていた。

 彼女はそれこそ、ゴミ掃除でもするかのように、なんの感慨も持たずそのカルト宗教を肉団子へと変えてしまった。──あの中に、何十人の生があったのだろう。それこそ、全く接点はなかったが、それでも顔を知っている金光先輩という人間の命もそこにあったはずだ。

「……そこまでしなきゃいけないのか」

 それは尋ねる言葉ではなく。吐き捨てるように、俺は大切な仲間であるはずの彼女に、そう呟いた。

 彼女は顔色一つ変えずに、俺に答えた。

「ここまでしなきゃいけないんだよ」

 魔女という存在が人間に危害を与えることも、放置しておけば何人何十人というのでは済まないくらいの被害が出ることもわかっている。けれど、魔女の抹殺というその命題は、これだけの人間の命に勝るものなのか。

 わかっている、間違っているのは俺だ。これは一を捨てて十を取る行為なのはよくわかっている。それに、この組織の倫理観が腐っているのは、あの光景だけで嫌というほど思い知った。……けれど俺は、情がないはないなりに、それでもある程度の倫理観は持っているつもりだ。殺しはいけない、それがどんな相手であろうとも。そんな当たり前の理想論を掲げることしかできないけれど。……少なくとも、小早川さんの力であれば、殺さずに気絶させることもできたのではないかと、地獄を前にして思ってしまう。

 ──彼女を殺さないといけない理由の片鱗が、少しだけ覗いていた。確かに、彼女は危険だ。魔女になったら何をしでかすか分からないというのもよく理解できた。

 それでも、人間であるうちは殺せそうにない。なんせ彼女は、俺に答える時、悲しそうな表情を作ることさえしなかったのだ。彼女は危険だが、それでも──邪悪ではないし、俺を騙そうともしていなかった。

 思想に耽りながら話していると、突如ゲェップ、と下品な音が鳴り響いた。

 その音の源は、小早川さんが押しつぶした肉団子──否、それを捕食して、丸呑みにしたナニカだった。

 丸々としたシルエットに手足が無数に生えたその姿は、冒涜的という他にない。微睡んでいるような半開きの目は、どこにも向いておらずただ開いているだけだ。

『おォイしかったァ』

 ビリビリと、揺さぶるような声が直接脳に聞こえる。ここ数日何度も味わった、肌が粟立つ感覚。

 脳が警鐘を鳴らす。何よりヤバいのことの証左は、魔力を持たないはずの俺にも聞こえる念話──!

 思わず耳を塞いでしまうと、それに気づいたらしい小早川さんが気にかけながら口を開いた。。

「念話が聞こえるのかい? ……ふむ。君も少しずつだが倒した魔女の魔力を吸収してるのかも。もちろん、奴が高位だからその分小さい魔力にも共鳴させられるのもあるだろうが」

 そう言うと一息ついて、また彼女は口を開いた。よく喋るのは俺への配慮と、あとは彼女の知的好奇心の結果だろう。

「魔女を放置しておくとああなるんだ。謂わば魔女の第二形態、といったところかな。ああして知性を獲得した魔女は厄介だよ。ほら、頑張れ!」

 小早川さんはそう言って俺の背中を押した。まさかコイツ、俺にコレを見せるためにわざとライブフロア全員殺したんじゃないだろうな──!?

 やっぱり俺の仲間は、ちょっとどころでなく邪悪かもしれない。

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