第16話 「いつか分かる時が来るのかな」
白石恵はその日、午後四時半に学校を出た。
それは、前回と全く同じ行動。
特別暑い日の気温に汗をかきながら歩いていく彼女の後ろに、
一組の男女の影があった。
二人はしばらく、彼女の後をひたすらなぞるように歩いていたが、
(……じゃ、ここで)
(うん、頼んだよ)
一言二言交わした後、女の方が分かれ、脇道に消えていった。
男の方は、肩に引っ掛けた鞄をぐらぐらと揺らしつつ、
恵の後を歩いていく。
白石恵は、全くそれに気付いていなかった。
やがて、時刻は午後四時五十八分、
彼女は駅前の横断歩道への道を歩いていた。
目の前の道は帰宅ラッシュということで交通量が多く、
今日も車が雪崩のように通り過ぎて行った。
そして、五十メートルほど先で青信号が点滅しているのを
見ながら足を動かしていた時。
左肩に、衝撃があった。
「あっ」
急なそれに驚いて、恵はよろめく。
と、地面にばらばらと、教科書や文房具が転がるのが見えた。
「ああ、ごめんなさい!」
そう言いながら頭を下げてきたのは、長身の男子だった。
目のあたりまで伸びた髪の奥に、やや眠たげに冷めた瞳。
外見はそれなりに格好良いが、
その目が何となくやる気のなさそうな印象を与えてくる。
制服は、恵と同じ橋爪高校のものだった。
その男子は、恵に謝ったその姿勢で更に地面に屈み、
先程散らばった物を拾おうとしていた。
その肩には、口の開いた鞄。
恵にぶつかり、中身をばらまいてしまったことが、
一目で分かる状況。
「……え、えっと、大丈夫ですか?」
恵が聞くと、彼は顔を上げて、
「すいません、全然前見てなくて……。
あの、痛かったですよね?」
「ええと、平気ですけど……それより、その。
すごいたくさん……ありますね。手伝いますか?」
「あー……」
すると男子生徒は、左腕に着けた腕時計をちらりと見た。
そして、横断歩道の方に一瞬目線を向けた後、
「……すみません、いいですかね……
ほんとごめんなさい」
恵が、その男子生徒と共に荷物を拾うのには、
それなりに時間がかかった。
散らばったのは本ばかりでなく、ペンや消しゴムなど、
小さな物が多かったからだ。
しばらくして、男子生徒はすべての荷物を鞄に収めると、
「えっと、改めてごめんなさい。
今度からもっと気をつけます。
なんか拾ってもらってしまって、ありがとうございました」
「いえ、大丈夫です。
えと、じゃあ……」
恵はもう一度、歩き出した。
横断歩道に差し掛かった時は、ちょうど青信号になるところ。
青信号になったというのに渡ろうともせず、
電柱にもたれてスマホをいじっている小柄な女子がいたが、
そこまで気になることではなく、
恵はそのまま横断歩道を通り過ぎ、駅の方へ歩いていった。
と、それを見届けた後、その小柄な女子がスマホをしまう。
小さな顔に、笑みがこぼれる。
そして雑踏の中、先ほどの男子生徒の方へ歩き出した。
歩道の真ん中で出会い、二人は顔を見合わせる。
「何とか、なったな」
「良かった……」
甲太郎と陽花は、お互いにサムズアップを送り合った。
時刻は午後五時五分。
恵は、生き延びた。
「――――――はっ」
甲太郎は目を覚ました。
横たわっているのは自分のベッド。
カーテンの隙間から光が差し込んでいる。
まどろむ脳が認めたのは、
いつもと変わらない自室の様子。
慌てて、枕元に置いてあったスマホを見る。
起きたのならば、まずは確認だ。
そうしなければ安心できない。
画面に映る、今日の日付。
その数字は。
「四月……七・日・…………!」
呟いて、うつ伏せの体勢のまま、
甲太郎は枕に顔をうずめた。
四月、七日。
六日ではない。
時間が進んでいる。
ようやく、『明日』になっている。
「長かった……」
ここしばらく囚われていた時間の流れ。
その出口をようやく、見つけた。
これでもう、何も問題は無い。
恵はもう、大丈夫だ。
「はああああ…………」
力が抜ける。
あの後、恵が駅に消えていくのを見届けた後。
甲太郎と陽花はしばらくそこに留まり、
突然時間遡行が起きたりしないか確かめた。
だが十分、ニ十分と待っても、
あの、一瞬で視界が歪み、世界が消え去る現象は訪れなかった。
甲太郎と陽花はようやく、
自分たちの作戦が成功したことを確信した。
そしてその日は、そこで解散となった。
確信したとはいえ、これまで幾度となく経験した四月六日だ。
実際にそれが次の日に……七日になるまでは、不安は残る。
甲太郎は、もし飛鳥からの連絡があったなら、
真っ先に陽花に連絡することを約束し、
黄昏色の空の下で帰路についた。
それが、昨日の話である。
そして今、甲太郎は四月七日の朝に居た。
(佐倉に……電話するか)
と、甲太郎が思いついたところで、
「~♪」
スマホの方が先に着信音を鳴らした。
画面を見ると、そこに映る文字は甲太郎の知っている文字列。
通話ボタンを押す。
「……もしもし」
『もしもし。突然ですが今日は何日でしょうか?』
「四月、七日ですか?」
『正解! ……良かった、水島くんも大丈夫だったんだね。
もうさ、起きたら真っ先に日付確認しちゃったよ』
「俺もだ。良かったな、佐倉」
『本当。明日になるってこんなに清々しいことだったんだね。
うーん、今日は嬉しくて朝からコーラ2リットル飲めるよ!』
「その喜びの表現はちょっとよく分からんわ」
陽花と安堵の言葉を送り合う。
『あ、そう言えば、あの後飛鳥って人から連絡はあったの?』
「いや、無かった。
これで良かったのか聞きたかったんだが……結局、何も」
『うーん、そっか……たしか非通知で来たから、
こっちからは掛けられないんだもんね』
「ああ」
甲太郎は昨夜、飛鳥からの電話を待っていた。
だが、結局彼女からは何も来ないまま、
七日の朝を迎えてしまった。
『まあ、大丈夫、なのかなあ……。
そもそも、その飛鳥って人のことも全然分かってないよね。
自分のこと、神様みたいな存在、って言ってたんだっけ』
「そう。
先輩に起きた事故を把握できた、なんて言ってたな」
『うーん……分かるように教える気はなさそうだね。
そうだ、あと、分からないと言えば、白石先輩もだよ』
陽花は電話口の向こうから、不思議そうな声で言う。
『水島くんも見てたと思うけど、あの先輩が事故に遭うとき、
飛び出したって感じじゃなかったよね。
何というか、飛・ん・で・行・っ・た・、って感じだった』
「そうだな、覚えてるよ。
もっと正確に言えば、俺の見てる前で、あの先輩は浮いた。
浮かび上がって、トラックに突っ込んだんだ」
『でもそれって、そもそも全部の始まりだよね?』
「ん? "それ"?」
『あの先輩が飛べるってことだよ』
陽花が言う。
たしかにそうだ。
自分たちはこうやって何度か時を戻される羽目になったが、
始まりにあるのは、恵が森の中で飛ぶ姿だった。
『そもそも、あの能力って何なんだろうね』
『なんで白石先輩は、飛べるんだろう』
『それに、あの祠も。
知ってて私たちをあそこに誘導したとしか思えないよ』
陽花は、疑問に満ちた声で言った。
「……分からないな。
それこそ、本人を調べてみるしか……
……っと、そろそろやばいな」
『どうしたの?』
「俺、今日家事当番なんだ。
やらないと妹に殺される』
『あー、そういえばそんなこと言ってたね……
え、それにしても早くない?』
「ほら、昨日は結局徒歩で帰ったろ?
学校に自転車置いてきたから、いつもより早く出ないと。
だから今朝は時間無いんだ」
『あー、そういうことか。
それじゃ、あとは学校で、かな?』
「ああ。今日のテスト、頑張ろうな!」
『……う、うえええ。すっかり忘れてた……。
うわああ思い出せ……問題思い出せ私……ぶつぶつ……ブツ』
何やらぶつぶつ言いながら陽花からの電話は切れた。
甲太郎はスマホをベッドに放り、部屋を出る。
と、そこで寝間着姿の妹に鉢合わせた。
「あ……甲ちゃん、おはよ……」
眠たそうな目をこすりながら理緒が言う。
「ああ、おはよう。
洗濯とかあったら出しといてくれ」
「うーん、りょうかい……ふわわわわわ」
大アクビをしながら、
理緒はおぼつかない足取りで階段を下りていく。
今日は確か、女子バレーの朝練があった日だ。
手早く朝食と弁当を作ってやらねばなるまい。
「よし、やるか!」
陽花が言ったことは気になる。
だが、まずは生活を元に戻そう。
しばらくこんがらがった日々を過ごしていたので、なおさらだ。
甲太郎はいつもより軽い足取りで、階下に下りて行った。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
弱めの日差しが照らす中、甲太郎は駅前の雑踏を潜り抜けた。
横断歩道を渡り、学校への道を進んでいく。
その横断歩道は、二度の四月六日において訪れたあの道だった。
(何もなし)
つい、車の動き、そして人の往来を確認してしまった。
心配することなど、もう無いというのに。
(はー……歩きは面倒だな……)
徒歩だと、いつも自転車で通学しているのに比べ、
およそ二倍の時間がかかる。
朝の家事はさっさと終わらせかなり早めに家を出た。
この分だと、いつもよりも早く学校に着きそうだ。
と。
自分の歩きに、違和感。
いや、自分と言うより、何かが引っかかる感触。
振り向くと、後ろから服をくいくいと引っ張られていた。
細い指で甲太郎の制服を掴んでいるのは、
おなじみ佐倉陽花である。
「オハヨー」
「ああ、まさかこんな所で会うとは。
そしてなんで掴むの」
「気付いてもらおうと思いまして」
「普通に声かけてください」
陽花は歩く甲太郎の横に並んだ。
そのまま二人で学校に向かう。
「や、偶然だね」
「俺が早く出たから、ちょうどピッタリ重なったんだな」
「いつもはもっと遅いんだ」
「自転車だからな。佐倉は?」
「私はいつもこのくらいの時間だよ~」
「ああ、そう言えばいつも俺より早く着いてたな。
でも、始業時間まで余裕はあるだろ?
もう少し遅く出てもいいんじゃないか?」
「うーん、けっこう好きなんだよ、朝早くから歩くの。
なんとなく、気持ちいいじゃない?」
「……あんまり分からないな。
寝てた方が気持ちいい」
「寝てるだけなんて、つまんないもん」
談笑をしながら、歩いていく。
学校まで残り五分ほど、そこで大きな屋敷の前を通った。
「でっかいね。この家」
「相当な金持ちが住んでるんだろうな。
でも割と最近できたばかりだぞ? ここ」
「そうなの?
うーん、こんなとこ一度くらい住んでみたいなあ」
大きな門に、広い庭、豪奢で芸術的な邸宅。
市内でも有名な富豪の家。
近年で急速に富んだ家なので『成金屋敷』などと揶揄されている。
甲太郎もそれは知っていたが、
わざわざそんな名前を陽花に教えることはないと思った。
「……で、ここからは『うめき坂』か」
「え、そんな名前なの?
たしかに皆うめいて上ってるけど」
陽花は苦笑いをした。
目の前には、屋敷を過ぎると姿を現す、高校までの長い坂道。
今日も今日とて、へとへとになった生徒の姿が見える。
「……うーん、いつも思うけど、ここ景色いいよね」
陽花はまるで疲れた様子もなく坂を上り、
ガードレールを越えた先の市内の様子を眺めて言った。
「まあ、こんな高い場所にあるからなあ。
全く、なんでこんなところに高校なんて造ったんだか」
甲太郎は同じ景色を眺めて答える。
その景色は、崖のように切り立った急勾配あってこそだ。
たしかに眺めはいいが、眺めよりも疲れない道が欲しい。
「そんなの簡単だよ。
できるだけ生徒を苦しめたかったからだよ」
「さらっと性格の悪い発想出すんだよな……。
……ん? あれ、白石先輩じゃないか?」
「え、ほんと? ……ほんとだ」
甲太郎と陽花の歩く20メートルほど先。
そこに、彼女の姿があった。
すらりと伸びる手足と、特徴的な長い黒髪。
白石恵の後ろ姿だった。
その姿を見て陽花は、
「……良かった、ちゃんと生きててくれて」
「そうだな」
恵の足は、しっかり地面に着いている。
彼女の身には何も危険は無かった。
それを確認し、かなりほっとした。
「なんか自然に先輩見かけるのって、初めてかも……」
陽花が恵を見つめながら、ぽつりと呟く。
「そういえば……。
今までずっと、強引に会ってきてたもんな」
「うん、追っかけてばっかりで。
……朝も言ったけど、先輩の謎も全然分かってないね……」
「ああ。それに、あの祠もだ」
前を行く恵は、ヘアピンカーブの坂道の、
折り返し地点に辿り着く。
「答えを探せば、いつか分かる時が来るのかな。
時間が戻ったのも、急に性格が変わったのも。
……それともちろん最初の時の」
市内を一望できるカーブを曲がり、
学校へ歩いていく恵。
「先輩が」
その足が。
「森の中で」
何の前触れもなく。
「空に」
目の前で。
「――――――――――――っ!!」
浮いた。
これで、三度目。
恵の身体が宙へ浮かんでいく。
(そんな、馬鹿な)
甲太郎は走り出した。
考える暇もなく、走っていた。
横にいた陽花が反応する間すらなく。
宙へ浮く恵の顔が見えたからだ。
それは、驚き、そして恐怖。
前と全く同じ表情。
……死の寸前の、表情。
そして浮き上がった彼女の身体が向かう先は。
「あっ……!!」
そして、走りながら伸ばした手は何も掴むことはなくて。
ガードレールを越えた先の、遥か下の地面へ。
至極当然に、吸い込まれるがごとく。
恵の身体は、墜ちていった。
そして。
俺と佐倉と空飛ぶ少女と 雨後野 たけのこ @capral
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。俺と佐倉と空飛ぶ少女との最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます