第15話 「どうだと言われても」

 三年生の廊下、恵のクラス、C組の前。

 そこを、何でもないような顔をして通り過ぎつつ、

 目線を室内に投げて、中を確認する。


(……よし、いるな)


 目当ての女子、白石恵は、昨日と変わらない席で、

 昨日と変わらない姿勢で、本を読んでいた。

 甲太郎はそのまま教室の前を通り過ぎ、歩いていく。


 これで、恵の存否は確認した。

 あとは、午前中は普通に始業式に出ておけばいい。

 午後からは、実際に行動する際の打ち合わせを陽花と行う。


(問題ない……はずだ)


 タイムリミットは、午後五時。

 そこで起こる事故から恵を救出する。

 行動が必要になるのは、その時だ。

 とはいえ、自分と陽花は、

 恵がどのような状況で事故に遭うか、事前に分かっている。


 なので、これから起きることに関し、

 かなり冷静に対処できるはずだ。


 正直、恵を助けること自体は難しくないと考えている。

 要は、事故現場に行くのを妨害するなり、

 時間をずらさせるなり、

 とにかく、あのトラックと恵の接触を阻止できればいい。

 それで収まるはずだ。


 また恵とは初対面に戻ってしまった自分たちでも、

 声を掛けて足を止めさせるなり、

 最悪、強引に前を塞ぐなり、

 やり方は幾つも思いつく。


(そう、たったそれだけ……)


 歩いていた足が、重くなる。

 ふと、飛鳥の言葉を思い返す。


『"あなたが""恵を死なないようにする"、これが重要……

 そうしなければ意味がない。そうしなければ……』


 あの後に続く言葉は、何だったのだろう。


 それに、言い方にも引っ掛かりを覚える。

 『甲太郎が』という点を殊更に強調した飛鳥。

 違和感しかないあの口調。


 恵を助ける方法は、単純だ。

 だが、その単純さと飛鳥の言葉に、

 言いようのない齟齬を感じる。


 なぜ、この仕事を自分に任せたのか。

 方法自体が容易ならば、飛鳥自身がそれをしないことの謎。

 『甲太郎でなければ意味がない』、そう言った。

 他人が行うと意味がない、甲太郎が行うと意味がある。

 そんな行為が存在するのだろうか。


(……まだ、分からない) 


 最近の経験で、嫌というほど分からされた。

 情報の無い状態で問題に答えを出すことの難しさを。


 結局、今はやってみるしかないのだ。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 午前中、前回と変わった事態は何も起きなかった。

 陽花のいない始業式に出て、一ノ瀬詩織の挨拶を聞き、

 教室に帰ってきて、二三の細々とした連絡の後、解散。

 そして甲太郎は教室で、陽花と教師の話が終わるのを待っている。


「水島―、お前この後どうすんの」


 そこに、こうやって牧原十瑠が話しかけてくるのも、同じ。

 その眼鏡の角度だって、同じである。


「今日はちょっと、用事があるんだ」

「ん……そうか。

 ……何かあったか?なんか深刻そうな顔してんな」


 十瑠が、何かを見通すような目で覗き込んでくる。

 甲太郎はその目を受け止め、答えた。


「いや、別に何もないさ。

 大したことじゃないし」

「そうかー? ま、それならいいけどな」

「それより牧原、お前この後バイトあるんじゃないのか?」

「よく知ってんな。ああ、そろそろ時間だわ。

 ま、とりあえずまた一年よろしく頼むぜ」

「ああ」


 そうして、十瑠は教室のドアを飛び出していった。


「ふう……」


 椅子にもたれかかる。


 驚いた。

 自分では、普通に受け答えしていたつもりだったので。

 そんなに気になるような、固い顔をしていたのか。

 頬を触った。

 自分ではよく分からない。


(注意しとくか)


 これから、どこかしらで恵に接触することにはなるだろう。

 その時緊張が伝わったら、警戒されてしまうかもしれない。


 と、その時教室の扉が開き、陽花が姿を現した。


「ごめん、ちょっと遅れた?」

「いや、全然。

 むしろ前より早かったんじゃないか?」

「先生の話、もう三回目だからね。

 めちゃめちゃ相槌打ちまくって早く終わらせてきたよー」


 と、陽花は甲太郎に向けて笑いながら言う。


「ま、そこ座れよ」

「お邪魔します」


 隣の空席に陽花を促すと、少女は足を揃えてちょこんと座り、

 甲太郎を大きな目で見上げた。


「じゃ、今が十二時半だ。

 先輩が事故に遭うのが五時だから、あと四時間半。

 この間に、助け方を考える」

「そうだね。

 ……あ、ここに来る時一応先輩の教室見てきたけど、

 ちゃんといたよ。ずっと本読んでたよ」

「なんか、何も無いときはずっとそれだな」

「本の虫って感じの人なのかもね、今の白石先輩」


 と、陽花が真剣な顔を甲太郎に向けた。


「えっと、そう、午前中に考えたんだけど」

「ああ」

「結局、先輩を事故に遭わせなければいいんだから……

 やっぱり、今回も後を尾けない?

 で、あの横断歩道に来たら、とにかく何とかして、

 先輩をそこから引き離せばいいんでしょ?」

「そう、問題はそこだけだ。

 どうやって先輩を引き離せばいいか……。

 この前話した時、あの先輩、意外と頑固というか、

 そこまで流されないように感じたんだ。

 だから普通に声を掛けただけだと、

 そこまで長く足止めできないかも。

 ……で、俺も考えたんだが、まずはこの鞄を見てくれ」

「?」


 甲太郎は机の上に自らの鞄を置いた。

 何の変哲もない、どこかのデパートで買った鞄だ。

 口はファスナー式になっている。

 使い込んでいるので、見た目はあまり綺麗ではない。


「これが、どうかしたの? ちょっと汚れてるね。

 もう少し綺麗に使わないと、あ、ほらここもここも」

「今はそこはどうでもいいのだ!

 ……重要なのは、口が開いた状態だということだ」

「ふむふむ」

「順序立てて説明する。

 まず、俺たちは学校を出た後、先輩の後を尾ける。

 そして例の横断歩道の前で、佐倉は先回りして待機するんだ」

「待機、うん。

 水島くんは?」

「俺は、この鞄を持ったまま、先輩の後ろから早足で歩いていく。

 するとその内、先輩の背中に追いつくだろう」

「はい」

「そこで俺は追い越しざま、おもむろに先輩に鞄をぶつける」

「え、ぶつけるの? 当たり屋?

 お金請求しちゃう感じ?」

「違うしそれ逆じゃね? ……ええと、とにかくぶつかる。

 すると口が開いているので中身が散乱する。

 俺、謝る。先輩、拾うのを手伝う。

 事故に遭うはずの時間は過ぎる。


 ……どうだ?」

「どうだと言われても。えーと、どうなんだろう。

 ちょっと強引な気がするよ……。

 確かに足止めにはなるかもしれないけど。


 …………というか私、何もしないの?」

「佐倉は、もしこれが上手くいかずに先輩がスルーしたら、

 話しかけたり羽交い絞めにするなりして、とにかく止めてくれ。

 二人いっぺんにやるより、そっちの方がいい。

 命が懸かってるからな、単純なことに見えても失敗できない。

 二段構えにすれば、万一の時でも大丈夫だ」


 うーん、と陽花は腕を組んだ。

 そしてしばらく考えた後。


「うーん、そうだね。

 たしかに、保険も必要か……。

 ……そうだよね、先輩の命が懸かってるんだもんね」

「ああ」

「……よし、私も覚悟を決めたよ。がんばる」


 言葉の通り、陽花の目に力が宿った。


 さあ、始めよう。

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