第14話 「ぐえええ、ぬええええ」

『ふーん……なるほど……』


 電話の向こうでうんうんと陽花が頷く気配がする。


『なーんか……あれだね。

 肝心なところだけ何にも分かんないね』

「そう思うよな。

 飛鳥が言ってること、色々情報が抜けてんだよ。

 自分のせいで時間が戻った、みたいなこと言っても、

 具体的なことは何も言わないし」

『でも、情報自体はちゃんと掴んでるっぽいよねえ。

 色々隠してるんじゃないの?』

「ああ、それはそうだろうな。

 だって本人も『今は言えない』だのなんだの言ってるし」


 あの後。

 陽花からの電話に応え、飛鳥との会話を全部教えた。

 やはり、陽花の時間も今朝の段階まで戻されていたらしい。

 戻るきっかけとなったのは、同じく、恵の死の目撃だという。


『……ま、その人の言うことに従うなら、

 もうあんまり時間ないかもね。

 ぐずぐずしてると、また繰り返しちゃう』

「ああ。俺はもう家出る。

 学校で落ち合おう」

『りょーかい。じゃ、また後で』


 電話を切り、急いで学校に向かう準備をする。


 あの時、飛鳥が甲太郎に望んだこと。

 『午後五時に事故に遭う白石恵を助けること』。


 それをしなければ、再び時は巻き戻り、

 甲太郎たちの時間は前に進まなくなると言う。


(……冗談じゃない!)


 今までは、何となく他人事だった。

 過去に戻るという経験をしたとはいえ、

 自分たちが巻き込まれてる事態に、

 そこまで切迫性があるとは思っていなかった。


 だが、今は違う。

 人が目の前で轢かれるのを見た。

 現実味のない出来事だが、現実だ。

 そして、あろうことか、それを助けなければ、

 自分たちの時間は止まったままになってしまうのだ。


(やるしかない)


 制服のボタンを留め、鞄を肩に引っ掛けて立ち上がる。


 助けなければいけないというのなら、助ける。

 それに、何も自分の都合だけが全てじゃない。

 恵が死ぬ間際の、驚愕と恐怖の入り混じった目。

 あれは、放っておけない。

 単純にそう思った。

 助けられる機会が与えられたならば、そうすることに迷いはない。


 階段を降りたところで、妹の理緒と鉢合わせた。

 制服の上にエプロンを着け、右手におたまを持っている。


「あれ? 甲ちゃん、もう学校行くの?

 ご飯は?」

「悪い理緒、今日はもう出るわ。

 急ぎの用事があるから」

「うそでしょ? 

 甲ちゃんに急ぎの用なんてあったことないよ」

「今日はあるんだ! 行ってきます!!」

「え、ちょっと、本当に? お弁当は?

 今日はさ、甲ちゃんの好きなからあげを……」

「学食で済ませる! ごめんな!」


 玄関を出て、自転車に飛び乗った。

 理緒には悪い。とても悪いと思う。

 なんかすごい家中にうまそうな匂いが漂ってたし。

 というか、一回食べたから弁当の中身も知ってるし。


 しかし、今日は余裕がない。

 今、午前七時半。

 恵が事故に遭うまであと十時間もないのだ。


 ガチャガチャとペダルを漕ぎまくり、駅前に差し掛かった。

 そこには、さっき(甲太郎の体感時間で)

 恵が事故に遭った現場の交差点がある。

 当然のように、そこには事故の跡など残っていない。

 朝の登校ラッシュのため、多数の生徒でごった返している。

 戻った時間は、起きたことを全て消してしまった。

 覚えているのは、自分と陽花、それに飛鳥だけ。


(……だけ?)


 そう言えば、と、通学路を進みながらふと思った。

 恵は、覚えているのだろうか。

 当の本人の記憶がもしあるのなら。


(……いや、いや、多分無いだろう)


 飛鳥は、自分を神様のような存在と言っていた。

 そんな存在がわざわざ甲太郎に救助を要請したのだ。

 恵自身にもし記憶があるなら、自分の手で何とかしようとするだろうし、

 甲太郎の助けなど要らないのではないか。


(そもそも根本的に、

 なんであの飛鳥は自分で何もしないのかって問題は残るけどな)


 しかしそこは、教えてくれる様子がなかった。

 はぐらかされて、謎のままだ。


 学校まであと五分ほど、

 そこで呆れるほど大きな屋敷の前を通り過ぎる。

 市内随一の金持ちが近年になって建てた家だ。

 甲太郎はよく知らないが、富裕層になった経緯のために、

 噂では『成金屋敷』などと呼ばれている。

 娘が甲太郎と同じ高校に通っているらしいが、生憎会ったことはない。


 と、その時甲太郎の隣を、


「ぐえええ、ぬええええ」


 などと奇声を上げながら、自転車に乗った生徒が駆け抜けていった。

 それもそのはず、

 そこからは自転車で橋爪高校に向かう者にとっての最難関、

 100メートル以上も続く坂道である。

 何かしら声を出さないとやっていられないので、

 登る生徒のうめき声が絶えない。

 通称、うめき坂である。


「…………」


 甲太郎はおもむろに自転車を降り、歩き出した。

 急いでいてもそうするべきなのだ。

 正直なところ、この坂は歩いた方が結果的に疲れず、早く着く。

 それを証明するかのように、坂の中ほどで、

 さっき奇声を上げていた生徒がひっくり返って荒い息を吐いていた。


 長く、急な坂道。

 ガードレールで仕切られた道は、

 いわゆるヘアピンカーブになっている。

 ちょうどその折り返し地点は下との高低差が激しく、

 ガードレールを越えるとその先は崖のように切り立っている。


 そして、坂の頂点に辿り着くと、

 もう学校は目の前である。

 すぐそこに校門が見え……


「ん」


 ついでに、校門の側に女の子が立っているのも見えた。

 相変わらず小柄で華奢な身体である。

 触れると折れてしまいそうだ。

 いつもと違うのは、スマホをいじっていない。

 立った場所から、登校する生徒を眺めている。

 佐倉陽花の姿である。


 そして、二人は目を合わせた。


「佐倉!」

「水島くん!」


 甲太郎が呼びかけるのと、陽花が呼びかけるのと、

 ほとんど同時のタイミングだった。

 甲太郎は彼女の側に自転車を寄せる。


「……大丈夫か?」

「二度目だし。

 ……とは言っても、前よりずっと焦ってるよ」

「そうだな。

 でも、やること自体は単純だと思うんだ」

「へえ?」

「とりあえず、これからどうする?

 始業式とか、出る必要あると思うか?」

「それなんだけど……」


 陽花は申し訳なさそうな様子で甲太郎の顔色を窺った。


「私、一応、今日初めて学校に来る転校生ってことになるんだよ」

「ああ……そういえばそうだったか。

 その辺忘れがちになるな」

「そう。

 で、やっぱり、転校初日にさぼるのは流石にまずいのかな、って……」

「……そうか」


 陽花の言い分は、理解できる。

 時間を先に進められた場合のことを見据えた考え。

 こんな状況で悠長なことを言っている場合ではない

 という気持ちは、少しあるが。


「……落ち着いて考えることが、重要だな」

「え?」


 急いで自転車を駐輪所に停める。

 陽花と共に校舎内に入る。

 そして、人気のない廊下の隅に向かった。


 一対一で陽花に向き合う。


「飛鳥が言うには、白石先輩が事故に遭うのは午後五時だ。

 それは、恐らく決められた事実なんだろう。

 そして、俺たちがやらなくちゃいけないのはその時先輩を助けること。

 それが全部だ」

「……うん、そうだね」

「でも、先輩が昨日と同じ行動をとるなら、逆を言えば、

 学校にいる内は安全だってことになるんじゃないか?

 むしろ、何かイレギュラーを起こして先輩の行動を変えてしまう方が、

 良くない気がする」

「……つまり?」

「今は、とりあえず先輩が教室にいるかどうかだけ、確認しておこう。

 後は、前回体験した通りに、俺たちも行動するんだ。

 佐倉も、きちんと初日の転校生として過ごした方がいい」

「……そっか。うん、ありがと」


 陽花は、少しほっとした顔を見せた。


「……でも、今回は、先輩を問い詰めるのはやめた方がいいかもな」

「あ……そうだ。そこをどうしようか、気になってた」

「どうなるかは完全に想像になるけど、たぶん、助けるときは、

 先輩を呼び止めるなりなんなりして、

 事故が起きないようにするのがいいと思うんだ。

 その時無駄に警戒されてると、うまくいかないかもしれないからな」

「……そうだね。さっそく、前回と違う行動になっちゃうけど……。

 でもきっと、私たちが声を掛けなかったら、

 帰るまでずっと本を読んでるだけだよね」

「そういうことだ。

 ……後は、始業式が終わったら改めて決めよう。

 大丈夫だ。きちんと考えれば、先輩は助けられる」

「……うん、頑張ろう、水島くん」


 陽花が真剣な顔でサムズアップをしてきた。


 あとは、慎重にやるだけだ。

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