第10話 「思えば遠くに来たものだ」

「……で? 先輩がついてる嘘って?」


 ガサガサ、と木の葉の触れる感触を足に覚えながら甲太郎は聞いた。

 先行する陽花がちらり、とこちらを向く。


「えっとね、まず、白石先輩はやっぱり前とは別人だと思うんだよね」

「ああ、それは俺も同感だ。

 いくら何でも同じ人間があそこまで違うとは思えない」

「だから一応、別人って前提で話すけど……何というか、

 前の先輩は"特別"な感じがしたけど、今は"普通"な感じがしたんだ」

「まあ、ニュアンス的にはそうだな。

 でも、それと嘘とどんな関係があるんだ?」

「質問の答え方だよ」

「……? どういうことだ?」

「先輩、けっこうこっちの聞いたことには即答してくれてたんだよね。

 水島くんが質問したこと、分からないことは分からない、

 知らないことは知らないって、聞いたらすぐに」

「たしかに。答えるのは早かったな」

「あれって、

 本当に何も知らないからこその反応だったんじゃないのかなって。

 知らないことだから迷いがなかったんじゃないかな」

「まあ、そう装ってるだけかもしれないけどな……

 でも、嘘ってのは?」

「うん。基本的に答えに淀みが無かったんだけど……

 でも一つだけ、『空を飛んでいたかどうか?』って聞いた時だけ、

 一瞬だけど、はっきり黙ったんだよね」


 甲太郎は記憶をたどった。

 たしかにあの時、恵は返答に窮していたような気がする。


(けど、それは……)


 あの時の恵の顔を思い出す。

 僅かに口を開け、不信に満ちた目。


「あれは完全に呆れさせちゃったのかと」

「まあ、質問自体はかなりおかしなこと聞いてたもんね」

「そうなんだよな。だから一瞬間が空いたんだと思った」


 陽花は歩きながら額に手を当てて目を閉じると、


「んー、私も最初はそう思ったんだけどさ、

 祠のこと聞いた時さ、あの人即答じゃなかった?」

「……そういえば。

 たしかに、あの時はすぐ知らないと言っていたな……」

「『空を飛んでましたか?』と、

 『時間が戻る祠を知ってますか?』っていうのと、

 奇抜さではあんまり変わらないと思うんだよね。

 でも、反応がちょっと違う」

「つまり、一瞬迷った質問には何かあるってことか」

「そう。飛ぶことについては、

 やっぱり何か知ってると思うんだよ、白石先輩」

「……けど、それだけだと弱い気もするな。

 答え方なんてそんなに法則通りに当てはまるとは限らないし」

「そうだね。……だからこそ、もう一度現場検証しなくちゃ。よっと」


 陽花が細い枝をかき分け、進んでいく。

 現在、二人は学校の裏手にある森に来ていた。

 あの白い祠を調べ、可能な限りの情報を持ち帰るためだ。


 歩いていくと、前方に木々に囲まれた広場が見えた。

 中央には大きな石が鎮座している。

 そこは、初めて陽花に会ったあの場所だった。


「ふう、ようやく中間地点か」

「けっこう早かったね」

「ああ。というか、なんか涼しいなこの森」

「外はけっこう暑かったのにね」


 森の中では、学校にいた時とは打って変わって、

 ひんやりとした空気を感じていた。

 植物が多い場所では、

 木の葉の中の水分が蒸発する時に周りの熱を奪うため、

 涼しく感じるのだ。


「さて、祠はどっちだ?」

「あっちだよ」


 陽花は周りを囲む木々の一点を指さした。


「よく覚えてるな」

「えへん。この前先輩が飛んでた時、

 ちゃんと位置関係も把握しておいたのだ」

「流石佐倉さん! 頼りになるなあ!」

「そんな褒めないでくださいよ~、さあ、行きましょっとととと」


 と一歩を踏み出した陽花のつま先に、運悪く障害物があった。


 地面から少し顔を出した木の根につまづき、

 体勢を崩す陽花。

 ぱたぱたと前に伸ばした手はむなしく空を切り、

 彼女は頭から地面に落ちる。


「きゃふ!」


 転んだ衝撃でスカートが翻り、その白い太ももが露になる。

 辺りを静寂が支配した。


 しばらくの沈黙の後、陽花が地面に突っ伏した体勢のまま口を開く。


「……えーとですね、今ちょっと見ないでくれると嬉しいなって」

「あー、見てない見てない」

「転んだ恥ずかしさも然ることながら、

 ちょっとお尻と太ももが涼しくてですね」

「あー、わざわざ言わなくていいし見てないから早く立ち上がるといいぞ」

「えーとその、具体的にはですね、パ、パパパパンツツツツが」

「具体的に言わなくていいっての早く起きろ!」


 後ろを向き、陽花がよろよろと立ち上がるのを待つ。

 振り返るとそこには、制服のあちこちと、

 鼻の頭に土を付け、顔を赤らめた華奢な少女がいた。


「……服、すごいことになってるな」

「え? あ、ほんとだー。ひどいなあ、これ」


 ぱたぱたと制服をはたき土を落とす陽花を見ながら、

 ポケットの中のハンカチを取り出す。

 近づいて彼女の顔を軽く拭いてやる。


「わっ」


 急に肌に触れた布の感触に陽花は驚いたが、


「顔に土ついてる」

「あ、ありがとう……そんなに汚れてた?」

「顔からいってたし……他にケガとかないか?」

「うん、他は平気」


 顔の土を綺麗に落とした後は、ハンカチをしまい、

 中央の岩にもたれかかった。

 そのまま陽花が身支度を整えるのをしばらく待つ。

 何もせずにいると、自然と今までのことが思い出された。


(思えば、遠くに来たものだ)


 別に物理的にはどこにも行っていないのに、

 何となく世界から浮いてしまったような感覚。

 人が空を飛び、ここで陽花と会い、そして祠によって時を遡った。


(……祠か……)


 ふと、祠に飲み込まれた瞬間のことを思い出した。

 と言っても、覚えているのは、視界を真っ白に染める目映い光だけ。

 他のことは何も覚えていない。


(けど、確かにあそこで時間が戻ったんだ。

 何か……思い出せないか……)


 目を閉じて記憶を辿る。

 あの時、祠を開いた瞬間、

 自分の体が溶けていくような感覚があった。

 自分が白一面の世界に放り出され、そこからまた意識が途切れ……

 気付けば、自宅のベッドの上に寝ていた。


 あの時起きたことは、そういう解釈をするしかない。

 あの光は何なのだろう。

 あの白い世界は何なのだろう。


(…………?)


 思い出す内に、気づく。

 あの白い視界の中では、

 何か塵のようなものがキラキラと光っていたような気がする。

 具体的には分からないが、

 無数の光が幽かに瞬いて、そして消えていく風景。

 何かに似ている。あれは、そう……


「雪……?」

「お待たせー」


 目を開けると、そこには陽花の小さな顔があった。

 大きな瞳がこちらを見つめている。

 もう、土はついていないようだ。


 今まで考えていたことを頭の片隅に追いやる。


「行けるか?」

「うん、もう大丈夫だよー」

「じゃ、行こう」


 もたれた背中を岩から離し、

 陽花が先ほど指差した方向に歩いていく。

 ここからは自分が先行しよう。

 また転ばれたら困る。


「もう転ばないってば」


 ばつの悪そうな顔をして言う陽花を見て、甲太郎は微笑した。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 しばらく歩いていくと、また開けた場所が見えた。

 背の高い木の枝葉が日光を覆い隠し、まだ昼にも関わらず薄暗い。

 光が届いていないので、じめじめと湿った空気に満ちている。

 そして、どこか静けさを感じる雰囲気。


 間違いなく、前に恵を追いかけた時にたどり着いた場所。

 あの祠の鎮座していた場所だった。


 だが、甲太郎と陽花がそれに気づくのには、多少の時間がかかった。


「……本当にここか?」

「距離的にも、時間的にも間違いないよ。ここだよ」

「……本当に?」

「……ごめんちょっと自信無くなってきたかも。

 あ、ちょっとどころじゃなくかなり自信無くなってきました!」

「きました! ってとこだけそんな自信満々に言われても。

 ……あ、いや、別に佐倉を責めてるわけじゃなくて、

 念のための確認だ。だって、なあ……」

「うん……」



「なんで、祠が無くなってるんだ?」



 あの白い祠は、影も形も無かった。

 何も残っていない広場の中心で、二人は立ち尽くした。

 しばらくの沈黙の後、声が漏れる。


「……ははははは」

「あははははははは」

「「わはははははははははは」」


 笑うしかなかった。


「いや笑ってる場合じゃないよ」

「急に素に戻るなよ」

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