第9話 「……やだなあ、先輩」
「あのー、どこに行くんですか……?」
「お願いします、ちょっとだけ付き合ってください先輩。
長くはお時間とらせませんから!」
白石恵は混乱した表情を浮かべながら、
陽花に手を引かれて廊下を歩いている。
「どうしても先輩に聞きたいことがあるんです。困ってるんです」
「その、私も今全然知らない人に捕まってそれなりに困ってるんですけど」
「そこをなんとか」
「そんなこと言われても……私なんかに何を聞きたいんですか……」
「それはまあ、着いてから……よっと」
階段を上がり、辿り着いた扉を陽花が開き、
日差しの照り付ける屋上に出る。
今日の天気はこの前屋上に集まった時と違って、暖かい。
灼けるほどの日光が輝いている。
春の日差しと言うには少々強すぎる感じはあるが、
この前のような寒さはない。
だが、恵は明らかに嫌そうな顔をした。
「あの、眩しいです暑いです」
「ちょっとだけ、ちょっとだけお話伺いたいだけですので」
「絶対長くなる人の台詞じゃないですか、それ……」
恵は気乗りしない顔をしているが、
こちらとしては何としても話を聞かなければならない。
人のいる教室ではできない話なのでわざわざここまで連れてきたのだ。
多少目立ったがやむを得ない。
「まあまあ会……先輩、とりあえずこっちにどうぞ」
「そうですよほらほら遠慮なさらず」
「あっ、あっ、引っ張らないで、やだやだ」
甲太郎と陽花は屋上の隅で恵との距離を詰めていく。
そのつもりはないが、見た目はいじめの現場でしかなかった。
「えっと……これ、もしかして、いじめとかですかね?」
と思っていたら、本人に指摘されてしまった。
「すみません!」
陽花が頭を下げると、恵はきょとんとした顔をする。
「私は二年C組の佐倉陽花と言います。こっちはB組の水島甲太郎くんです」
「はあ」
「無理に連れてきてしまって本当にすみません。
でも、どうしても先輩に聞きたいことがあるんです……答えていただけますか?」
「……内容次第ですけど……えっと、何ですか?」
恵はもはや諦めた顔をしてこう言った。
話を終わらせた方が早いと判断したようだ。
陽花が甲太郎の方を見る。
どうやら、質問は甲太郎に任せるということらしい。
それを受けて前に出る。
ただでさえ無理矢理連れてきたのだ、
威圧的にならないよう注意しなくては。
甲太郎は考える。
とりあえず、飛ぶ能力について。
そして、あの白い祠についての情報は最重要だ、
確実に聞き出したい。
だがその前に、恵が自分たちのことを知らない、
というのが本当かも確かめておかなければならない。
加えて、生徒会長でなくなっていることや、
明らかな性格の違いについても聞いておくべきだろう。
「……よし」
思考をまとめた甲太郎は、不安げな表情を浮かべる恵に対し、
「えー、先輩に聞きたいのは、
まず、本当に俺たちのことを知らないのかということです。
前に会ったことないですか?」
「絶対ないです」
恵が即答する。かなりの勢いでの断言。
ということは、本当にこの時間では会ったことがないのだろう。
「じゃあ次に、えー、何というか、先輩性格違いませんか?
前会ったときはもっと凛々しいというかシャープというかそんな感じだったんですが」
「私は昔からこうですよ……逆に誰なんですか、それ……」
話したのは数分だったが、はっきり覚えている。
白石恵はこんな話し方をする人ではなかったし、
あの時は生徒会長の立場だった。
今目の前にいる恵とは全く違う。
ゆえに、この謎についてはどうしても本人に尋ねておきたかった。
だが、恵は怪訝そうな顔を崩さずこう言った。
「本当ですか?」
「だから、私はあなたたちに会ったことすら無いんですってば」
「……先輩が生徒会長だった頃の話なんですが」
「生徒会長……? 何ですか、それ。一ノ瀬さんのことですか……?」
「一ノ瀬さん?」
「はい。始業式で挨拶してたじゃないですか、一ノ瀬詩織さん」
「じゃあ先輩は、生徒会長になったことはない……?」
「はい」
甲太郎は恵を観察する。
目はしっかりと甲太郎を見据えており、別におかしな挙動もない。
嘘をついているようには見えなかった。
人を見る目にはあまり自信は無いが。
陽花を見ると、さっぱり分からない、というジェスチャーを返してきた。
と、恵が口を開いた。
「あの、もしかして私と一ノ瀬さんを間違えたとかですか……?」
「いえ、それはないです」
「ですよね……」
人違いなら話が終わるという希望がすぐに砕かれた恵は、
しゅんと肩をすくめた。
単純に時間が戻るだけでは起こり得ない事態が起きている。
これは事実だが、当の本人がこれでは何の解決にもなりそうにない。
次の質問をぶつけてみるべきだろう。
甲太郎は屋上のフェンスに近づいていき、
そこから見える景色の一点を指し示す。
「……あそこに森があるじゃないですか」
「はあ、ありますね」
そこは例の祠がある森であり、
恵が空を飛んでいるのを目撃した場所でもあった。
「あそこに白い祠があるの、知ってますよね?」
「知ってますよね?
と言われても私そんなの知りません……よね?」
むしろ知らない自分の方がおかしいのではないか、
というトーンで恵が答えた。
よね? などと疑問形で返されるとこちらも困るが、
恵はこれに関しても何も知らないようだ。
甲太郎は考える。
今まで話してきたことについて、
恵は全て知らない、分からないと答えている。
本当に知らないのならば仕方ないが、これでは埒が開かない。
なので甲太郎は一歩踏み込み、直球で聞いてみることにした。
「先輩、あの辺りで空飛んでませんでした?」
「…………」
恵はぴく、と眉を上げ、呆れたような顔を返してきた。
そして、一呼吸置いたのち、至極真っ当な回答を口にする。
「……えーと、本の中ならともかく、人は空を飛べないと思うんです……」
「…………」
甲太郎はポケットの中のスマホを握りしめる。
撮っていた動画さえ残っていれば……と思う。
論より証拠、恵が何を言ってもあそこに映っていたのは恵本人なのだから。
(けど……)
甲太郎は思う。
今目の前にいる恵はやはり、前に会った恵と別人のように感じてしまう。
自分が質問したことは、どれも空回りで終わってしまっている。
立場も、性格も異なる、外見のみが同じに見える存在。
(もしかしたら、ここにいる先輩は本当に知らないんじゃないか?)
そんな疑問が生まれてしまう。
単に時間を戻るだけでは起こり得ないことが起きているのが現状だ。
何が起きていてもおかしくはない。
たとえば、前の恵と今の恵は、実は別人。
たとえば、人間の外見だけはそのままに、
中身だけが入れ替わる……。
もしくは、自分と陽花が目撃し、
体験した超常現象など、無い世界に来てしまったとか……。
この恵に聞いても、何も望む答えは得られないのではないだろうか?
「あのー……もう質問が無いんでしたら、
そろそろ私帰ってもいいですか?」
「え?」
黙ってしまっていた甲太郎の前で、恵が言う。
「もう少しだけ聞きたいことが……」
「いえ、本当に私もそろそろ帰らないといけないんです。
……よく分からないことばかりですし、もう、失礼します」
「…………」
踵を返した恵の背中が遠ざかっていく。
だが、まだあの祠についてきちんと聞いていない。
今までの態度から見て期待は出来ないが、聞くならもう今しかない。
「じゃあ、最後に一つだけ! いいですか?」
甲太郎は恵を呼び止めた。
彼女の歩みが止まり、こちらを振り返る。
「……何でしょうか……」
「その、さっきの祠についてなんですが、
実は時間が戻る機能があるみたいでして。
何かご存知ありませんか?」
「えっ? 時間……が? 戻る?
知りませんそんなの……さっきから私をからかってるんですか?」
時間が戻る、という言葉を口に出す。
恵はそれまで以上によく分からない、という表情で目を瞬かせている。
口に出した後も甲太郎は迷っていた。
時間を遡ったことについて言ってしまってよかったのだろうか。
ただでさえ警戒されているのに、
これ以上おかしな人間だと思われるのも……。
額の汗をぬぐう。
振り返って陽花を見ると、右手でゴーサインを出してきた。
大丈夫、と言っているようだ。
何が大丈夫か分からないが、とにかく続けろということらしい。
甲太郎は恵に向き直り、更に話を進める。
「えーと、本当なんですよ。
その祠に触れたら時間が戻ってですね。
実は俺たち、えーと、三週間後の未来から来たんですよ。
えーと、それで……」
「あの、もしかして、体調悪かったりしますか?
さっきから暑いですし……大丈夫ですか?」
最後のは、どう聞いても「頭大丈夫ですか?」の意味だった。
やはり、まともな話でない以上、
まともに受け取ってはもらえないようだった。
「……やだなあ、先輩」
と、ここで今まで聞いているだけだった陽花が前に出てきて、
甲太郎の横に並んだ。
「…………やだなあ、先輩、今のはさすがに冗談ですよ。
おかしなことばっかり聞いてしまってすみませんでした」
「はあ……あの、もう行っても」
「はい、ごめんなさい、お時間を無駄にしてしまって。
答えていただいて本当にありがとうございました」
「……いえ」
そして、恵は屋上から去っていった。
陽花は、屋上の扉が閉まるまで頭を下げていた。
「……ふう」
扉が閉まる音を聞くと、
陽花は顔を上げ、甲太郎の方を見る。
「おつかれ」
「ああ……佐倉も」
「……全然性格違ったね、先輩」
「うん……同じ人間とは思えないくらいだ。雰囲気も何もかも」
「前の方が怖かったけど、今も話しづらそうだったなあ……。
まあ、変なことばっかり聞いてる私たちが悪いんだけどさ」
「たしかに」
何も知らない自分が同じような質問ばかりされたら、
多分その場を早く離れることしか考えられなくなるだろう。
「……ごめんな佐倉」
「ごめん? なんで?」
「聞き方が悪かったと思う。
もう少し警戒心を解けるような話術が俺にあれば、
もっと収穫があったかも……」
「え? そうかな……収穫はあったと思うよ、
気のせいじゃなかったら」
陽花が丸い目をこちらに向ける。
「? 何か分かったのか?」
「多分だけどね……」
顎に白い指を当てて考える素振りを見せる。
小さな輪郭を流れる雫が、その指を伝った。
「あの人、嘘ついてるよ」
陽花はそう言って、腕を組んだ。
ぽたぽた、とその袖に水滴が垂れる。
「……嘘?」
「うん、反応おかしかったかなーって。勘だけど」
「そうか……俺はよく分からなかったから、
後で聞かせてもらっていいか?」
「うん、いいよー」
「よし! ……じゃあ、中、入るか」
「うん、そうだね……」
春の日差し、というには強すぎる日光から逃れるように、
扉から中に入っていく。
二人とも頭から汗を流していた。
「めちゃくちゃ暑かった……なぜ屋上に……」
「なんか誰もいなさそうだったから……」
「先輩にすげー悪いことした……後でちゃんと謝ろう……」
校舎内の涼しさを存分に味わいながら、二人は階段を下りて行った。
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