第6話 「二日前からの付き合いだからな」
そして、甲太郎は目を開けた。
窓から差し込む朝の日差しを見るにつけ、まどろんだ頭が次第にはっきりしていく。
目の焦点が徐々に合っていき、ベッドに横たわっている自分を確認する。
寝ながら首だけを動かして見渡してみると、
周りにあるのは自分の机、自分の椅子、自分の棚。
そこは、甲太郎の部屋だった。
「……意味が分からん」
開口一番、出てきた言葉がそれだった。
先ほどまでいた森は、祠は、そして陽花はどこに消えた。
そしてなぜ自分は自室のベッドで寝ているのだろう。
(夢でも見ているのか?)
試しに頬をつねってみるが、痛いだけだった。
上体を起こし、軽く伸びをしたのち、スマホの画面を確認する。
時刻は朝六時。ただし、四月六日の。
「……はあ?」
素で疑問の声を発するのは、今日で二度目だ。
(さっきまでは、間違いなく四月二十六日だった)
間違いない。自分が陽花と森に入ったのは、その日だったはず。
それがなぜ、急に三週間近くも遡っているのだろうか。
「……というか、本当に四月六日か? 今日」
甲太郎はベッドから起き出し、居間に向かう。
食卓に入っていくと、既にそこには妹がいた。
確認するにはうってつけの相手だろう。
「理緒」
「あ、甲ちゃんおはよう。ねえねえ私彼氏できたよ」
「今日って何月何に……………………はい?彼氏?」
「そう。昨日告白されたの」
「へ、へえ。どんなやつ?」
「背が高くて、優しいんだよ。
しかもバスケ部のエースでお金持ち。
成績は全国トップでモデルもやっててハーフのイケメンなの」
「設定盛りすぎだろ絶対嘘だそれ」
「嘘だよ」
「今のやり取り意味あったか?」
「エイプリルフールだし」
「マジで? なんだ六日だと思ってたら一日だったのか」
「嘘だよ六日だよ」
「だからその嘘何か意味あんの?」
ぺろりと舌を出した理緒が、朝食を運んできてくれる。
いきなりで面食らったが、理緒の言う通りならば、今日は本当に四月六日らしい。
とりあえず食卓につくが、食欲は全く湧かない。
自分の身に起きたことが理解不能すぎて、体が追いついてこないのだ。
そうとも知らず、目の前の妹は元気に食事を進めている。
そういえば、この謎の時間遡行は自分だけに起きたことなのだろうか。
理緒の態度が普段と変わらないから恐らくそうなのだろうが、一応聞くだけ聞いてみる。
「なあ、理緒。
お前、もし俺が三週間後から来た未来人だって言ったら信じるか」
「えっ」
「いや、信じられないとは思うが、
もしかしたら理緒にも同じことが起きているかもしれないと思って」
「……甲ちゃん」
ふと気づくと、妹が憐れむような眼で自分を見ている。
「うう、かわいそう。
友達と冗談を言い合うような経験を今までしたことがなかったせいで、
こんなバレバレのかなり反応に困ることしか言えなかったんだね……」
「…………」
やめよう。理緒は本当に何も知らないようだし、
これ以上は自分を傷つける結果になりそうだ。
脱力と同時に腹が減ってきた。
理緒のおかげで気が緩んだようだ。
目の前の朝食に手を付ける。こんな状況でも、妹の料理はうまい。
(……しかし、やっぱり何が起きてるかきちんと把握しておかないと。
何でこんなことになったんだ)
自分の感じる時間が戻ってしまっていることは明らかだ。
その原因となるのは、先ほど触れた祠の光以外に考え付かない。
(……というか、佐倉はどうなった?)
自分と同じく祠に触れ、目の前で消えた少女。
彼女ならば、自分と同じ体験をしていてもおかしくない。
(とりあえず連絡……………………できねえ)
スマホから電話を掛けようとして、連絡先を交換していないことに気付く。
(じゃあ家に……………………知らねえ)
電話番号も交換していないのに住所など知るはずもなかった。
(……学校行くしかないな。佐倉と話さないと)
陽花は自分を転校生だと言っていたし、始業式の今日が初登校の日だろう。
(それに、白石恵……会長も学校にいるはず)
恵ならば、何かを知っているのではないか。
確証はないが、彼女の飛ぶ姿と光る祠が甲太郎の脳裏で重なる。
佐倉と合流したら恵に会いに行くべきだろう。
いくつか聞かなければならないことがある。
そう考えて朝食を食べ進める甲太郎だったが、この時はまだ気付いていなかった。
自分が巻き込まれているのは、想像より遥かに厄介な事態だということに。
四月六日の朝八時、橋爪高校の校門前。
自転車を漕いでそこに辿り着いた甲太郎の目に、一人の女子生徒が映った。
小柄で華奢な身体を校門の片方に預け、
俯きながらスマホを操作する姿は、
『一昨日』彼女を初めて見た時と変わらない印象を与える。
もっとも、その一昨日は自分以外の人間にとっては三週間後のことなのだが。
「……よう、佐倉」
甲太郎は陽花の前で停車し、声をかける。
すると、彼女の視線がスマホから甲太郎に移った。
「……おはよう、水島くん」
佐倉陽花はまっすぐ甲太郎の目を見て、挨拶を返した。
「……えーと、水島くん、私のこと知ってるんだ」
「二日前からの付き合いだからな」
「そうだよね……二日前……二日前のはずなんだよね……」
「ああ」
陽花は首をかしげて困惑したような笑みを浮かべた。
「先輩が空飛んでるのを見て、それを追いかけて。
祠に触れたらあら不思議、四月二十六日が四月六日に」
「イリュージョンだな」
「すっごい迷惑だよ。四月にやった小テスト全部やり直しになるんだけど」
「問題が分かってれば楽勝だ。がんばろう」
「というか転校初日の今日が一番大変なんだよ。
また挨拶とかグループ作りとか全部やり直しって本当にきついんですけど」
「社交性がある佐倉なら楽勝だ。がんばろう」
「会って二日で私の何が分かる!」
「違う、正確には二日とマイナス二十日だ」
はああ、と大きなため息をついて、陽花は校舎に向かって歩き出した。
甲太郎も自転車を押しながらその横に並ぶ。
「……でも、すぐ会えてよかったよ。校門で待ってた甲斐があったかな」
「俺も早く会って相談したかった。他のやつに言っても信じてくれないし」
「誰かに言ったの?」
「妹に。哀れみの目を向けられた」
「へえ、妹さんいたんだ。なんかしっかりしてそうだね」
「なんで?」
「兄を見て育つから。反面教師」
「佐倉こそ会って二日で俺の何が分かんの?
……あ、俺自転車停めてくるから」
「はーい」
甲太郎が駐輪所に向かうと、陽花はとことことその後を着いてきた。
自転車を停め終えると、彼女はまた話しかけてくる。
「こうなった原因ってさ……絶対あの祠だよね?」
「それは間違いないと思う。佐倉は自分じゃ分からなかったと思うけど、
本当に扉を開けた瞬間、パッと姿が消えてたし」
「あー、消えたように見えてたんだ、私。気付いたら時間が戻っててさ。
水島くん同じとこにいたし、絶対同じ目にあってるんだろうなって思ったよ」
「まあ、そうだな。俺もわけが分からんうちに家のベッドの上にいたよ」
「てことはやっぱりあの祠のせいか……。うーん、もう一度調べた方がいいのかなあ」
「とりあえず、白石会長に話を聞いてみるべきじゃないか?
会長が飛んでいたことと、あの祠に直接関係があるのかは分からないけど、
聞いてみる価値は…………あ」
ふと気づいて、甲太郎は自分のスマホを取り出した。
今朝からの混乱で忘れていたが、
空を飛ぶ恵の姿を動画として保存してあったはずだ。
あれも時間遡行の影響で無かったことになっているのだろうか?
画面を指でなぞり、目当ての動画を探す。
だが、それらしきものは一向に見当たらない。
それどころか、四月六日より後のデータはすべて消えていた。
(まあ、そうだよな)
時間が丸ごと巻き戻っているのだから、予想はできた。
なので、そこまでの驚きはない。
スマホをしまおうとすると、陽花が甲太郎の顔をのぞき込む。
「昨日撮ってた動画、やっぱり無くなってた?」
「ああ。佐倉はもう確認したのか?」
「うん、私が撮ったやつも消えてた。
スマホも四月六日と同じ状態まで戻ったみたい。
……うう、せっかくできた友達の連絡先とか全部消えたあ……」
「可哀想に。ほら、俺の番号とアドレス教えるから元気出せよ」
「わーい、百個くらい減ったけど一つ増えたよ。お礼に私のやつあげるね」
「ありがとう。一個も減ってないけど一つ増えた」
時間が戻る前の三週間で百個も連絡先を増やしたのかよ、
と思いつつ、白い電話帳に陽花の連絡先が追加されるのを確認した。
必要な時に連絡ができるのは大事なことだ。
そんなことをしている内に、校舎の前までたどり着く。
「それでさ、先輩に会う話なんだけど……いつ行く?」
「午前中は始業式と新学期の連絡で、午後は授業無しで帰宅だろ?
全部終わったら会いに行こう…………と、さっきまでは思ってたんだが」
「? どうしたん」
「佐倉がさっき言ってただろ、転入初日は大変だって。
なんか色々用事があるんじゃないのか」
「あー、うん、そうだね。でもいいよ別に。
たしかに前のこの日は、新しくできた友達と遊びに行ったりしてたけどね」
「そういうの変えると、未来変わっちゃったりするんじゃないか?」
「いやいや、大丈夫。
今日一日交流なかったくらいでこの後の関係まで変わらないよ、普通に考えて」
「本当にいいのかよ」
「うん、そんなに大したことじゃないし。
今、この状態についてきちんと調べることの方が大事だよ」
「……佐倉がいいなら、そうするか」
昇降口で靴を履き替え、階段を上っていく。
「まあそれなら、後は会長にいかに怪しまれず聞くかだな」
「動画ももう無いし、はぐらかされそうな気がするよ。
というか、私たちが先輩を見たのって先輩にとっては未来の話だし、
この時点だと私たちのこと知らないんじゃないの?」
「たしかに。でも、何かしらの取っ掛かりは探さないと」
「曖昧なことばっかりで、どこから手をつけていいのか全然わかんないからね」
「……本当言うと、下手に動いて藪蛇にならない方がいいのかもな、
なんて思ってたりはする。
今回のことだって、このまま何も起きなければそのまま元の二十六日になるだけだろ?」
「あはは、今更だよ。
私たちがやったことなんて、最初から野次馬根性で好奇心丸出しじゃん。
でも、私はまだまだ調べたいって思ってるよ。それに……」
「それに?」
踊り場で立ち止まり、陽花を見る。
陽花は今までに見せたことの無いような真剣な顔で言葉を紡ぎだした。
「何か……もっと大変なことが起きそうな気がするんだよね」
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