第5話 「親切設計だねえ」
「あそこにいるよ」
陽花が甲太郎を見ると、甲太郎は小さく頷いた。
森の中は昨日入ったときと同じく、ひんやりとした空気と静寂に包まれている。
そんな中で音を立てて恵に気付かれないよう、
十分に距離をとって慎重に歩いてきたところ、少し開けた場所で恵が立ち止まるのが見えた。
それはまさに、昨日陽花と会ったあの岩のある広場だった。
木の裏から恵の様子を窺う。
「見えるか?」
「うん。……いよいよかな」
そして。
ふわり、と空気の色が変わったような気がした。
恵が大きく深呼吸をしたと同時に、彼女の黒髪が風で揺らめき始める。
とん、と彼女の靴が地面を蹴って。そのまま宙に浮かんでいく。
恵の体は重力に逆らって浮かび続け、そして空中で静止した。
「…………」
甲太郎と陽花はその光景を目の当たりにし、絶句する。
それはまさしく魔法的な現象、と呼ぶのにふさわしく、にわかには信じられなかった。
浮かび上がった恵は、滑らかな動きで森の更に奥の方まで移動していく。
「追いかけないと」
身を隠していた陽花が木の裏から姿を現し、恵が飛んで行った方向に駆ける。
「っ」
甲太郎も飛び出し、スマホを恵に向けたまま追跡を開始する。
追いかけてみると、彼女の飛ぶ速度は非常に速い。
走らなければ追いつけないことは分かっているのに、
目の前には背の高い草や枝が伸びていて、行く手を阻んでいた。
「はっ、はっ」
前を行く陽花の荒い息づかいが聞こえる。
駆けだした彼女もすぐに天然の障害物に足止めを喰らってしまっていた。
「くっそー、邪魔だよ……」
陽花は呟きながら長い草葉をかき分けていく。
先行する彼女が行く道を切り開くのに集中してくれるので、
甲太郎は進みながらも辛うじて恵の姿を捉えることができていた。
だが、その距離はどんどん離れていき、その背中は小さくなっていく。
そして、甲太郎は呟くように言った。
「…………佐倉、すまない」
「え?」
陽花が甲太郎の方を振り向く。
「見失った」
「……そっかー」
はああ、とため息をつく陽花。恵の姿はとうとう視界から消えてしまっていた。
「仕方ないよ。あの速さじゃ無理だよ」
ふっ、と笑ってそう言うと、陽花はまた道を作り始めた。恵の飛んで行った方向だ。
「まだ行くのか?」
「うん。こっちの方向に行ったのは間違いないんだし、ここまで来たら奥まで行くよ~」
「そうだな、手伝うよ」
スマホをしまい、陽花と共に協力して進んでいく。
「あー、これ制服が酷いことになってるね」
「たしかにな。まあ、洗えば済む話だろ」
制服のあちこちには土や葉がついてしまっており、どんどん汚れていく。
これは帰ったら妹の理緒に怒られそうだと思い、甲太郎は苦笑した。
「何だ? これは……」
「ほこら」
「それは分かる。何でこんなものがここにあるんだ」
目の前に現れた白い祠に、甲太郎と陽花は立ち止まる。
「さあ……でも何だろうねこれ。すごく綺麗」
陽花は祠の周りをくるりと回ってそう答えた。
祠を構成している木々の色は、まさしく純白と言っていいほどに白い。
こんな森の中にあるのに、全く汚れた様子がなかった。
「……でも、今は先輩追いかけようよ。ここにはいないみたいだし」
そう言うと陽花はさらに奥に続く道をぴし、と指さす。
陽花は祠にはあまり興味が無いようだ。
それは甲太郎にも理解できる。
陽花の言ったとおり、
昔からあったように見える程度の朽ちた祠があったところで、
そこまで好奇心の湧くものではない。
なので、甲太郎も陽花の示した道の方に歩き出した。
「……なんか、そこは普通に通れそうになってるな」
その道には、草葉の類があまり生えていないようだった。
「親切設計だねえ」
適当なことを言いながら、陽花はその道に向かう。
甲太郎もそれを追うが、ふと振り返り、祠の方を見る。
(……何か気になるんだけどな)
気になるのは本当に何となく、だ。
だが、その祠を見ていると、何か得体のしれない雰囲気を感じる。
「おーい! 置いてくよ~!」
「分かったよ」
今は恵の追跡が先だ。
そう思って甲太郎は陽花の背中を追おうとした、その時だった。
「!?」
背後で白い光が瞬いた。その眩しさに思わず振り向く。
「これは……」
甲太郎の目に映ったのは輝きを放つ祠だった。
その格子状の窓から、数百のフラッシュを同時に焚かれたかのような強烈な光が漏れ出している。
そのあまりの白さに、甲太郎は思わず目を覆った。
「え、なにこれ?」
「知らん、すげー眩しい」
まともに直視すれば目を焼くほどの光を浴びながら、二人は祠の前に戻ってくる。
光は収まる様子を見せない。
陽花は腕を目にかざしながらしばらく祠を観察していたが、
光が消える様子がないと分かると、
「……いつまで光ってるのかな」
「俺に聞くなよ」
「これ、調べてみた方がいいんじゃないかなー」
「それはそう思うけど。
……というか佐倉、けっこう冷静だな。
こういう不思議現象見るとテンション上がるやつだと思ってたよ」
「うーん、まあそうかもしれないけど、
人が空飛んでるの見た後だとなんかパンチが弱い気がして。
だって光ってるだけだよ?」
「絶対おかしいだろ、こんな木造の祠なのに」
「いやー、もしかしたら不思議現象とか全然関係なくて、
中にスポットライトでも入ってるのかもよ」
「相当斬新な祠だな、それ」
「とりあえず、扉開けてみるよ」
そう言うと陽花は祠に近づいていき、扉に手をかけた。
固く閉じられた棺のように、
ギギギと軋んだ音をたてて扉が開き、その中身が姿を現す。
「あれ?」
刹那。
陽花の体が消え失せる。
「はあ?」
甲太郎は思わず素頓狂な声をあげてしまう。
無理もない。目の前の人間がいきなり消えたのだ。
陽花の姿は、今やどこにもなくなっていた。
光の中に溶けてしまったかのように。
「佐倉! どこだ?」
一瞬の忘我ののち、慌てて陽花の名前を呼ぶ。
だが、呼び掛けに応えるものはいなかった。
「くそ!」
悪態をつき、光り続ける祠の周りを探す。
人が一人、目の前から消えた。どう考えても尋常でない事態だ。
危険。
その二文字だけが甲太郎の脳裏に浮かぶ。
陽花がどこに行ったのかは分からないが、
今、自分は何らかの形で危険に巻き込まれていると、そう感じる。
(どうする……)
陽花がいなくなった原因は考えるまでもない。
この祠以外に無い。
祠の中を見てはいけない。
危険の原因は間違いなくこの祠に直結している。
そんなことは分かっている。
だが、陽花を探さなければならない。
そのためには、どうしてもこれを調べなければならない。
(放っておくわけにはいかないよな……)
そう考えて、甲太郎は祠に近づいた。
だが、そうするべきではなかったのかもしれない。
「お……」
陽花が開けた扉の隙間、ひと際強く大きな光を視界に入れた瞬間。
甲太郎の姿もまた、かき消えてしまったのだから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます