第3話 「あの人じゃん」

「ようこそ、生徒会室へ」


 その艶やかな黒髪はしなやかに長く伸びて、

 大人びた顔立ちなのにどことなく少女らしいあどけなさを感じさせる目つき。

 すらりとした手足と、均整のとれたスタイルは、

 彼女の在り方をそのまま表しているようだった。

 十人中十人が美人と答えるだろう彼女の名は、白石恵。

 橋爪高校の三年生で、生徒会長を務めている。


 昼休みに訪れた生徒会室でそんな彼女を前にして、

 甲太郎と陽花は固まってしまっていた。


「私に何か用かしら? それとも、他の役員?

 それなら生憎、今は私だけなのだけれど」


 彼女の声が生徒会室に響く。

 それは綺麗で落ち着いた声だったが、

 その瞳は来訪者をしっかりと捉え、見定めようとしていた。

 甲太郎と陽花はわなわなと顔を見合わせる。


 先に口を開いたのは陽花だった。


「あのー、私ちょっと用ができたので後は彼に」

「おい逃げんな!」


 陽花の肩を掴んで引き戻す。

 向き合った陽花は苦笑いを浮かべていた。


「いや、これ一旦撤退しようよ流石に予想外すぎだよ」

「……まあ、たしかに」

「ねえ、どうしたの? 

 早く用事を聞きたいんだけど。私も暇じゃないから」


 こそこそと話し始めた二人に対し、温度を感じさせない声がかかる。

 すると陽花は引きつった笑いを顔に貼り付けたまま恵の方を向いた。


「えっと、すみません。いくつか伺いたいことがあったのですが、

 それを書いたメモを忘れてきてしまいまして。戻って探してみます」

「……そう? ちなみに何について聞きたかったの?」

「えーと、メモがないので、後で改めて」

「今聞きたいのよ。

 大まかな内容くらい、そんなものが無くても分かるでしょ?」


 椅子に座っていた彼女が立ち上がり、こちらに向かって歩いてくる。

 なぜこのタイミングで立ち上がったのだろう。

 あっという間に陽花との距離を詰めた彼女は、

 陽花より頭一つ分は高いところにある目で彼女をじっと見下ろした。

 なぜこのタイミングでこんなに近づいたのだろう。


(なんか迫力あるな、この先輩。こえー)


 謎の威圧感を放つ恵によって、陽花は上手く言葉を継げない状態になっていた。

 仕方なく、甲太郎は陽花と恵の間に割って入る。


「あー……えーと、同好会設立について聞きたかったんですよ」

「……同好会?ふーん……」


 顎に白い手を当て、恵は息を一つ吐いた。

 長い睫毛の奥の大きな瞳が、甲太郎を捉える。

 ついでに驚いたような陽花の眼差しも甲太郎を捉えている。


「ちなみに、設立目的は何なの?」

「あ、目的ですか。えー、目的は……目的は」


 しまった、そこまで考えてなかった。訝し気な恵の目線が刺さる。


「名前はまだ決まってないんです、ごめんなさい!」


 答えに窮する甲太郎に代わり、今度は陽花が答えた。


「いえ、名前じゃなくて目的を」

「すいません、失礼します!」

「訊いたのだけれど……」


 恵の言葉が最後まで繋がったのは、

 陽花が甲太郎を引きずって部屋の外に出て行った後だった。


「…………はあ」


 一人残された恵は、薄く光が差し込む窓際に移動する。


「……仲良しだった」


 くすりと笑って、空を見上げた。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 生徒会室を飛び出した二人は並んで廊下を歩いていた。

 陽花がじっとりとした目付きで甲太郎の方を見る。


「……同好会って何ですか、水島くん」

「いや、なんかすごい咄嗟に出てきたというかなんというか」

「最初に考えてた言い訳じゃまずかった?」

「会長の迫力のせいでかなり吹き飛んでた。

 というか普通に無理があったと思うけど、あれじゃ」 


 生徒会室へ行こうと決めたのは、今日の朝。

 眠い目をこすって登校すると、教室の前に陽花が立っていた。

 聞けば、在校生目録が生徒会室にあることを教師に確認してきたのだと言う。


 そこで目録をチェックするため陽花が用意した理由は、

 『学校から自宅に届いた手紙の住所が一部間違っていた。

  今回は届いたからいいものの、

  転入してきたばかりで情報にミスがあるかもしれないので、

  目録を確認したい』

 というものだった。


「う。たしかにけっこう怪しい理由だったかもしれないけど」

「相当怪しいぞ」

「……だいたい、普通に学校通ってて目録見たがる人なんかいるわけないもん。

 ある程度の不自然さは許してよ」


 陽花は頬を膨らませて甲太郎に抗議した。

 甲太郎はため息をつく。


「分かったよ……それに、どうせ全部意味が無くなったしな」


 頭を掻きながら甲太郎が言うと、

 陽花も微妙な脱力感を漂わせながらため息をついた。


「そうだよねえ、これ……」


 陽花はスマホを取り出し、甲太郎に画面を見せる。

 映っているのは、黒髪のロングヘアで制服を着た女子が、

 宙に浮かんで木々の間を通り抜けていく姿。


「あの人じゃん」


 二人で生徒会室の扉を振り返る。

 自分の記憶と映像だけではたしかに顔は分からなかった。

 だが、実際に会ってみれば分かる。

 この動画に映っているのは、

 間違いなく先程まで話していたあの生徒会長、白石恵の姿だった。


「……探す手間が一気に省けてしまった」

「昨日散々案を出しあったのは何だったんだろうね、一発目から大当たりだよ」

「なんか持ってるんじゃないのか、佐倉」

「私が? むしろ水島くんでしょー」

「いやいや才能あるよ佐倉……出会い系の才能」

「何それ超いかがわしい響きなんですけど」


 陽花は呆れたような顔を甲太郎に向けた。

 けれどそれも一瞬、すぐに真剣な面持ちに切り替わる。


「……さて」

「どうする?」


 歩いて向かった先は、学校の屋上。

 陽花が扉を開けると、少し強い風が吹き込んできた。

 微かに日が差した屋上に足を踏み入れて、背の高いフェンスにもたれかかる。


「正体は分かった。後は、本人に直接訊いてみるのがいいと思うが」

「……怖いなー」


 陽花は大げさに肩を震わせた。


「何か謎の圧迫感があったよな」

「すごい美人なのにね。いや、美人だからこそ?

 綺麗なバラにはトゲがある、みたいな」

「……そうかもしれない」


 言いながら、甲太郎は髪を抑える陽花を見る。

 伏し目がちに下を向く陽花の表情は、やはり儚げだ。

 陽花も十分綺麗だと甲太郎は思うが、

 それはどちらかと言うと美人というより可愛らしい、の部類だ。

 あの冷たい雰囲気はなかなか出せないだろう。


「何であの人、森の中で飛んでたんだろう」


 風ではためくスカートを抑えながら、ふと陽花が疑問を口にした。


「……練習とか?」

「練習か―。何のために?」

「そりゃ、上手く飛べるようになれば色々便利なんじゃないか」

「便利って……普通に町中とか飛んだらあっという間にバレますよ。使う機会ないよ」

「何かあるかもしれない、たとえばほら、サーカスとか」

「『橋爪高校生徒会長、空を飛ぶ!』『空飛ぶ生徒会長!』

 って煽りで学校の知名度アップが狙えるね。

 ……ってそんなわけあるかい」


 ぴし、と甲太郎を指で突っつく陽花。


「……まあ冗談はさておき、その辺は本人に聞いてみないと分からないな」

「あ、やっぱり行くんだ」

「もちろん。俺の中では、

 あの会長に会って能力のことをきちんと聞くまでがこの調査なんだ」

「どんなことを聞くつもりなの?」

「ん……たとえば、いつから飛べるのかとか、

 人の目を気にすることはないかとか、

 何か飛んでみていいことはあったかとか、そういうこと」

「へえ……」


 陽花は指を唇に当て、考えるような仕草を見せた。


「飛ぶこと自体よりも、白石先輩がそれについてどう思ってるか、

 みたいなところが気になるんだね」

「……ああ、そうだな。言われてみれば……」


 甲太郎にとってそれはある種、同情のような感情からかもしれなかった。


「私はどっちかっていうと言うと飛ぶ方法の方が気になるなー。

 どういう感覚なんだろ」


 好奇心に目を輝かせ、陽花は顔を上に向ける。

 その視線の先には、弱い日差しに彩られた、青く澄んだ空。


「……やっぱり、先輩に話を聞かなきゃ。でも……」

「でも?」

「実際のところ、『きのう空飛んでましたよね?』って聞いても、

 先輩素直に答えてくれると思う?」

「……うーん……」


 考えてみる。恵の冷ややかな表情と刺すような目線が思い浮かんだ。


「……無理そう」

「だよね」

「あ、でも佐倉の動画あるだろ。あれ見せながらなら、何とか」

「見せた途端『程度の低いいたずらね、馬鹿じゃないのかしら?』とか言われそう」

「……言いそう」


 目を閉じて腕を組む。証拠として動画があるのは事実だ。

 だが、強引にでもはぐらかされてしまえば、

 その後の追及が難しくなってしまうかもしれない。


 しばらく考えた後、甲太郎は口を開く。


「現行犯逮捕しようぜ」

「私たちはいつから警察になったの」

「俺が言いたいのはつまり、飛んでいる現場を押さえようってことだ。

 言い逃れできないだろう」

「……なるほど。もう正体も分かったから、張り込みもできるしね」


 うんうん、と頷く陽花。


「いつ会長が飛ぶかは分からないが……気長に張ってみようぜ」

「うん。二人いるし、頑張ろう」

「よし、これで決まった! …………だから、中、入ろう」

「…………賛成」


 春の日差しはそれなりなのに、屋上に吹く風は想像以上の寒さだった。

 甲太郎と陽花は震えながら扉の中に入る。


「……なんで屋上来たんだ」

「……なんか作戦会議っぽかったから」


 寒さに奪われた熱を取り戻しながら、二人は並んで階段を下りて行った。

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