第4話 生を求めた少女 2
「貴方、わたしが怖いの?」
『……訳のわからないことをベラベラと』
自分は一体何を言っているんだろう、覚悟を決めておきながら激しく後悔した。いつ死んでもおかしくない状況で、いつでもわたしを殺せる人間にそんな言葉を吐いている。馬鹿な自分を呪った。
けれど人間というものは不思議なもので、よくわからないと思いながらもペラペラと言葉を繋げていくのである。
「自分から気に掛けておいて、人が近づこうとすると遠ざける。それって、わたしを掌握していないと心配だからなんじゃないかって、そう思ったの」
『何が言いたい』
「檻の外から見ていたいのよ、わたしのことを。それでいて檻の中のわたしに何かを求めている。けれど、わたしが貴方を気にすることでその関係が壊れるから貴方はわたしを遠ざけたんじゃないかって」
思えば心当たりはあった。例えば愛玩用の動物を飼っていたとして、その動物が飼い主を恨んでいたとする。飼い主からしたら好きで飼っているし、愛しているから自分から何かを与える事を苦だとは思わない。
けれど、相手の気持ちまで知りたいだろうか。折角自分の時間や労力を使ってまで世話をして来た存在が実は命を握られていた、もしくは管理されていたことを恨んでいた、だなんて知りたいだろうか。
「ねえ、貴方はわたしに何を求めているの?」
『黙れ』
「わたしに何をさせたいの?」
『黙れ黙れ黙れ』
「わたしを何のために――」
『黙れえええええええええええええええええええええええええ!!』
ガラス窓が盛大に弾け飛び、粉々に砕けた破片が部屋の中に飛び散る。荒い息遣いと吹き抜けの風が重なった。
『これ以上僕に近づくな。これ以上僕に触るな。これ以上ッ、僕を馬鹿にするなァ!!』
喚き散らして、怒声以外にも何かが壊れるような音が矢継ぎ早に流れてくる。時々耳に刺さる
「苦しいの?」何を聞いているんだ、わたしは。
そんな事どうだっていいだろう、まずは自分がこの檻から出る事が先決。折角窓も空いたのだ、目の前にチャンスが転がっている。さあ、早く!!
「差し伸べられた手が怖いのね」
『僕は何も怖くない。何も間違ってない』
「貴方はわたしに何かを求めている。助けなのか、それとも――」
『これ以上減らず口を吐くなァアアアアアアアアアアアアアアアアア!!』
ああ、言いたくない。それでも言ってしまうのは何故なんだろう。体は自由を求めない、誰かの身を案じている。もう自分で自分を止められない。
「じゃあ、消せばいいじゃない」消えたくない。
不自然なまでに静かだった。雨音が妙に大きく響いた。心臓の音が速い気がする、まだ終わる準備は出来ていない。それでも口を勝手に動かして男の身を案じようとする自分がいる。わたしはそれ以降一言も喋っていない、男の荒い息は消えない。数々の葛藤も苦しみもこの一瞬で消えるわけがない。それなのに、
その時はやって来ない。この男は必死に藻掻いていた。
わたしは生きていた。
ふと思う。
何故わたしを消さないのか。一日経てば消えるこの世界、それが少し早くなるだけなのにそうしない理由。この男がわたしを求める理由、それは。
「あ」
『何だ?』
「そうか。そういうことだったのね」
『何を言っているんだ、君は』
「ふ、ふふふ。あは、あははははははははははは」
『何がおかしいんだッ!!』
「え? 何がおかしいって? 全部よ全部」
笑えてくる、こんなもの絵空事じゃない。何かもうそんな事あり得るのかって言う程に馬鹿げた内容だけど、そもそもこの世界がそうなんだ。大体毎日が雨って何なんだ、一日しか生きられないって何なんだ、そんなおとぎ話みたいな世界。どうして誰一人として疑問を抱かなかったのか。
自分の考えに色が付いて、空しくなって、どうしようか悩んだ。
果たしてベッドの上に書き残した彼女は何を思ってそうしたんだろう。コレを知って書いていたなら最早傑作だ、これ程にまで他人に身を呈した人間がかつていただろうか。
「何でわたしが」
吐き捨てた悲しみが窓の向こうに流れていった。もう誰かの記憶に残ることは無い、ならせめて一生消えない傷を刻んでやろう。
せいいっぱいの憎しみを込めて。
「良かったね。貴方、愛されてるよ」
夜は、やってくる。
結局、あれからわたし達は一言も会話を交わすことなく夜を迎えた。部屋は雨でびしょ濡れ、寝床なんて使えやしない。居場所のないわたしは部屋の隅で雨に当たらないよう震えていた。幸いなのか朝の頭痛はすっかり収まっていたが、この後を考えると気が気じゃなかった。
死にたくない。外に出たい。もっと光を浴びたい。そう思いながらも体は窓から飛び出すことを選ばなかった。落ちたら死ぬとか、生きられたところでとかどうでも良いことばかり考えて、結局何も出来なかった。
わたしはここで終わりらしい。
「ねえ」
返事は返ってこない、もう先に寝てしまったんだろうか。まあ、そんなことはもうどうでもいいか。わたしの役目は終わったんだろうし。
「残るは――」
布団の裏なんて妙な場所に書き残された遺言。どうしてこんなものが消えずに残っていたのか、それはベッド下の隙間に潜ってみて確信に変わった。
何も見えない。けれど見えるだけが全てじゃない。
<死にたくない>
<皆が憎い>
<ここは地獄だ>
<わたしを見て>
<彼を助けて>
裏は木の板になっていて触れると傷が付いていて、なぞるように触れると思い思いの言葉が刻まれていることを知った。
少しだけほっとした。この部屋には何かを隠そうとした人、気付いて欲しかった人、気付いた人、伝えたかった人、諦めた人。色んな人がいたんだ。
落ちていたガラスの破片を使って、先人達に倣いまだ傷の無い場所へ想いを残す。わたしは『伝える』方を選んだ。
「彼想う、故に我あり――」
次のわたしに託した所で辿り着けるかはわからない。けれど、もし叶うなら前を歩く誰かの力になって欲しい。そう願いながらベッドの底から出て窓の前に立つ。
さっきの雨が嘘みたいに収まっていた。少しだけ冷えた夜風が流れて来て気持ち良い。怖さはまだあるけれど、不思議とやり切ったという思いが鎮めてくれていた。
「そっか、本当にわたしが求めていたのは」
遂に眠気がやって来た。目も開けるのがしんどい強烈な奴だ。
寝床もないのでフラフラと部屋の隅に戻って壁にもたれ掛かる。色々なことがあって体はもうクタクタだった、考えることすらおっくうだ。明日のわたしにはお気の毒だけど全部どうでも良かった。
ここにわたしが居たという証明は残した。もう少しだけ生きていたいけど無理そうだ。じゃあ、頑張ってねわたし。
「おやすみ」
空に浮かぶ満月は、雲に遮られることもなく朝になるまでやさしく少女を照らし続けた。
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