第3話 生を求めた少女 1

 最悪な目覚めだ。

 全身の倦怠感が酷くて冷えた空気が頭に響く。鈍い痛みが脈打って気持ちが悪かった。そんな中で見つけた一つのメッセージ。


『酷く不機嫌に見えるけど、大丈夫?』


 労わるような声が癪に障る。白々しい、の事を弄んでおいてよく言えたものだ。しかし、これを表に出す訳にはいかない。この男に知られずに皆に伝えなければならない。この男の、この世界の秘密を。


「ごめんなさい、ちょっと体調が良くないみたいで」


 そう言ってわざとらしく咳払いをした後、逃げるようにベッドの布団に包まった。そして被って目の前にやって来た布団の裏を破れそうな位に睨み付けた。


 <どうか彼を救ってほしい>


 強烈な不快感がせり上がる。今すぐにでもこの布団ををぐちゃぐちゃにしてやりたかった。わたしが生を受ける前にわたし以外の誰かの思いがあって、その思いが他人に向いていたことが酷くやるせなかった。

 自分の人生があっただろう、やりたい事があっただろう、生きたいと願っただろう。それなのに己を顧みず献身的にこの男の身を案じた残滓だけが残されているのは、まるで自分を否定されているみたいで非常に不愉快だった。


『君に見せたいものがあったのに』

「ごめんね」


 謝って欲しいのはこちらの方だ。窓の向こうに赤い花が一面に咲いているのが目に入る。恐らく見せたいものとはコレの事だろう、くだらない。


『これはね、僕の実家の近くにあった花畑なんだ。元々花売りが盛んな地域でね、隣町の人達に売っては生活の足しにしていたよ』煩い。それはわたしに見せたいものじゃないだろう、わたしは花になんて興味はない。


『それとね、旅をしている途中で小さな川を見つけたけど、これがまた心を落ち着かせるものでね。酷く落ち込んだ時は川のせせらぎを聞いては良く癒されたものさ』煩い。どうせわたしには見れないものだ。


『いつか詩を聞きたいといってくれたね、折角だから用意してみたんだ。旅をしている時の思い出を――』黙れ。

「ごめんなさい、今は気分じゃないの」黙れ黙れ。

『……そうか、ごめんよ。ゆっくり休んでくれ』黙れ黙れ黙れ。


 ああ、どうしてわたしはわたしとして生まれてしまったんだろう。折角生を与えられたのに誰かの為に朽ち果てる人生なんて嫌だ。いつかその時が来て、わたしがわたしでなくなるなんて悍ましくて仕方がない。

 何か糸口は無いだろうか、わたしがわたしであり続ける方法。このメッセージを残した『わたし』のように、実は誰かがヒントを残してはいないだろうか。わたしのような誰かが居た筈なんだ。


 重い体を起こして机の上の本をパラパラと捲ってみた。藁にもすがる思いは完全に打ち砕かれる、中身は何も書かれていない白紙のページだけだった。気取られないように息を殺して部屋を物色して回る。何も見つからない、最低限の家具以外何も置かれていない。

 それはわたしに似た誰かは生きた痕跡すら残せず死んでいったという証明にしかならない。鈍い頭痛が更に酷くなる。


 嫌だ。

 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ死にたくないこんな所で終わりたくない。外に出ようにも地上までが高すぎてとても飛び降りられない。生まれたばかりのわたしはこの部屋しか知らないというのに、そんなのあんまりじゃない。わたしだって自分の足で世界を歩きたい。


 せめて一握りの希望だけは摘まれないように。


「聞きたい事があるの」

『どうしたの? 体調は大丈夫?』

「うん、少し良くなった。さっきは強く当たってごめんね。貴方の見ている世界、知りたいな」

『それは良かった。じゃあ――』


 そう言って、男はささやくように言葉をつづった。


 消えゆく命。

 轟轟と唸る焔に天命を見出した哀れな羊達。

 空の台座へ許しを乞うのは誰が為に。

 思い出を贄に、今日も戦火は息吹いている。


『どうだろう?』

「戦争が起きているの?」

『そうだよ、どこもかしこも人の怒号で溢れている。住民は排斥されて、外からやって来た兵士と、それを追い払おうとする兵士が毎日争っている』

「貴方は大丈夫なの? ひょっとして近くに誰か……」

『脅かすのはやめてくれ。誰もいないよ、この森には人っ子一人来やしないさ』


 森の中にいて人目を避けている、一体何から逃げているのだろう?


「わたし、貴方が心配。何か大変な事に巻き込まれているんじゃないかって」

『大丈夫だよ。隠れるのには慣れているからね』

「少しでも何か出来る事はない? ただ話しているだけなんて申し訳ないわ」


 そう言うと、男はしばらく黙って――


「どうしたの?」

『そのままでいい。話相手になってくれるだけで十分だ』

「本当に大丈夫? わたしは貴方が――」

『これ以上余計な詮索はやめろッ!!』


 背筋が凍った気がした。

 その声には明確な怒気が含まれていた。


『次同じ真似をしたら消してやる』


 死ぬかもしれないという恐怖に心臓を鷲掴みにされた気分だった。たった一言で御される自分が情けなかった。だが、呑まれれば本当に言いなりのまま人生が終わってしまう。

 収穫はあったのだと自分を慰める。男の一面を見ることが出来た。素性を知ることが逆鱗に触れる事と同義なら、知られたくない素性があるということ。それを糸口にすれば外の世界へ行くことも出来るかもしれないということを。


 獣のような唸り声が本から漏れ出す。気安く触れたら簡単に喰われそうだ。ここは慎重に行こう、一旦落ち着かせて男について情報を揃えることが先決だ。

 腹を括り、刺激しないようそっと息を吐く。悟られないように平常心を装って話を続けた。


「気に障ったなら謝る。けれど、貴方の危機に対して黙って見てるだけなのはやるせないもの。せめて、貴方の見ている景色をわたしに頂戴」

『……何が狙いだ?』

「詮索されるのが嫌なのでしょう? なら同じ目線に立つことで何かしらの協力できた方がいいかと思って」


 いちいち癪に障る男だ……だめ、余計なことは考えるな。その時が来たら掃き溜めにでも捨てればいい。今は耐えるのだと何遍も心の中で言い聞かせた。


『わたしは貴方の味方よ。言えることだけ言って』

『僕はひとりだ』

「違うわ。貴方はひとりじゃない」

『じゃあ、どうしてこんなにも寂しいんだ』

「それは貴方が心を塞いでいるからよ――その為に、わたしがいるのでしょう?」

『ッ――』


 明確に動揺が見えた。わたしという存在がこの男の心情と何かしらで繋がっている? 考えろ。どうしてわたしはこの男と会話が出来る。何故あの赤い花畑はわたしの記憶になかった。何故わたしはこの日常だけを記憶している――


 何故、わたしと彼は繋がっているのか。


『どうしたんだい?』

「ねえ、聞きたいことがあるの」


 もし、わたしの予測が正しいなら、次の言葉で物語は大きく動き出す筈だ。しかし、それを選べばわたしの命なんて直ぐに消えるかもしれない。現に口振りからは生殺与奪の権利は男が握っている様子だった。


 怖い、本当は言う必要はないんじゃないか。けれど生きる為には前に進むしかない。ここで停滞した所でゆるやかに死ぬだけだ。少しでも長く生きたい、その為には『秘密』に触れる必要がある。


 死んだように体が冷たくなる。

 それを無視して唾を呑み込み、深く息を吸った。


「貴方、わたしが怖いの?」

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