挫折の見本

三鹿ショート

挫折の見本

 今日もまた、彼女は酒を飲みながら同じ言葉を吐く。

「実るかどうかも分からないことに対して努力を続けることは、無駄な行為以外の何物でもありません。自分の能力を早々に見極め、それに相応しい人生を送るべきなのです」

 かつての彼女の姿を知っている人間ならば、そのような負の言葉を吐くなどということは、想像もしていなかっただろう。

 私も、そのうちの一人である。


***


 学生時代の彼女は、生き生きとしていた。

 触れるもの全てから常に何かを学び続け、向上心を忘れることがない、まさに見本とするべき人間だった。

 当然というべきか、彼女は誰もが耳にしたことがある会社へと就職し、その場所でも持ち前の勤勉さを発揮するものだと思っていた。

 だが、久方ぶりに顔を合わせた彼女は、自暴自棄と化していたのである。

 頭髪は乱れ、衣服には食事の際に出来たと思しき染みが数多く存在し、片手には酒を持っていた。

 あまりの変化に驚き、動くことができない私の手を掴むと、近くの居酒屋へと移動し、日付が変わるまで飲み続けた。

 その中で、彼女はこれまでの生活を語った。

 一刻も早く会社の力となるために率先して動いていたのだが、やる気に溢れたその姿を快く思わない人間が存在していた。

 その相手から、毎日のように仕事を押しつけられ、わずかな失敗も会社が傾いた原因を作ったかのように叱責され続けたのである。

 当初は張り切っていた彼女も段々と気力を失っていき、やがて精神的に追い詰められた結果、会社を去ることにした。

 彼女にとって、それは初めての挫折だった。

 理不尽な態度を見せていた相手が悪いということは理解していたのだが、それを乗り越えることができなかった自分もまた弱い存在だったのだと考えるようになってしまったのである。

 想像していたよりも弱い自分に嫌気が差したために、彼女はこれまでのように過ごすことができなくなり、自然と堕落した日々を送るようになってしまったということだった。


***


 道端で吐いている彼女の背中を摩るのは、これで何度目だろうか。

 其処で彼女は必ず涙を流しながら私に対して謝罪の言葉を吐き、同時に、自分のような失敗をしてはならないと言い続けた。

 すっかり変わってしまったかのように見えるが、口を酸っぱくして何度も告げるということを考えると、後輩に対する面倒見の良さは変わっていないらしい。

 私は彼女のように常に上を見ることはできないが、憧れていたことは確かだった。

 零落れてしまった彼女を目にした際は驚きのあまり言葉も無かったが、かつての彼女がわずかながらも生きていることに気付くと、なんとか立ち直ってほしいと考えてしまう。

 しかし、それは私の我が儘だった。

 痛い目に遭ったことで、彼女は同じ経験をすることがないように堕落したのだ。

 再び苦しい思いをさせることは、彼女にとって良いことではないのである。

 ゆえに、私が出来ることといえば、彼女の飲酒に付き合うことくらいだった。


***


 かつての彼女が少しでも残っているのならば、いずれは自分の力で立ち直ることも出来るだろうと考えていた。

 だが、その考えは甘かった。

 彼女は、自らの意志でこの世を去ったのである。

 常に酔った状態の彼女と会っていたために知らなかったのだが、素面の彼女の精神状態は、危ういものだったらしい。

 暗い表情で己の過ちを吐き続け、時には大声を出しながら家具を投げ、壁を殴り、そして酒を飲むということを繰り返していた。

 学生時代の彼女のことを知っていた人々は、家族から語られたその姿に驚愕していたが、私はそれほど驚くことはなかった。

 しかし、後悔していた。

 乱れに乱れた姿を目にしていたために、彼女を支える選択肢も存在していたはずである。

 だが、私がそうすることはなかった。

 それはおそらく、憧れていた人間のあまりの変貌ぶりを直視することが出来なかったことが影響しているのかもしれない。

 それでも、すっかり変わってしまった彼女の飲酒に付き合っていたのは、酒が入っているからだという言い訳が存在していたためだろう。

 私は、己の醜さを嫌悪した。

 救うことが出来たかもしれない生命を、私はみすみす失わせてしまったのだ。

 そのような後悔からか、私は彼女のように、酒に頼る日々を送るようになった。

 彼女の末路を知っていたにも関わらず、同じような道を歩んでいるのは、彼女に憧れていたことも手伝っているのだろう。

 しかし、私には、彼女のように助言を伝える後輩が存在していなかった。

 そのような人間が一人でも存在していれば、わずかながらでも良い気晴らしになっていたことだろう。

 それを思えば、彼女は私という後輩が存在していた分、自分という失敗した姿を私に見せることで、少しは報われていた可能性がある。

 彼女の力になることができていたことに気が付くと、自然と酒を飲む速度が増した。

 大事な何かを失ったような気がするが、私はとにかく気分が良かった。

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挫折の見本 三鹿ショート @mijikashort

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