第235話 お引越し⑩

「壁ぶち抜いて来るかもしれねえか……」


 それ以前に、この避難所そのものを破壊する手を使う可能性もあるとジョウは考えていた。ナビの遺産ルーンは破壊されない、強力な魔人の一撃をもってすべてを灰燼とし、それからゆっくりと回収をすればよい。来訪者も血族であれば、貴重な避難所をつぶす愚を犯さないとも思うが、絶対はあり得ないのだ。



「キャコ、ケリがついたらよ、身を守れるナビの遺産ルーンが欲しいとこだな」


「何です、こんな状況で?」


「生き残るには、そういうのが必要だろ」


 軽口を叩き合ってる間に、扉が開かれた。その主がカラフィナであろうかという淡い期待と、敵対者であった場合に躊躇を無用という覚悟、黒鎧を前に出し、いつでも砂虫が食いつけるようにと呼吸を整える。


「あ、やっぱり」


 出てきた顔は、そのどちらでもなかったが、見覚えはあった。


「や、元気だった?」


「お前……」


 爬虫類顔が特徴の、長身瘦躯の蛇少女、にっくきサクラのそれだった。


「まさかと思ったんだけどさ、いやあ、奇遇だねえ」


「お知り合いですの?」


「知り合いは知り合いなんですが……」


「……よう、まあ、入れ。ほら、お前ともう一人いんだろ?」


 自分でも驚くほど、少年は冷静だった。今砂虫で蛇少女を殺すことはできるが、それでは不十分、同行しているはずのエスセナリア家の者も打尽せねばならない。よりによって、《妹》を出汁に欺き金を奪った女と連れ立っている連中。庇護すべきはずのキャコの身内であることも忘れ、殺人の正当性が瞬時に確立していた。


「ほら、いたでしょ」


「おお、ジョウ」


「お久しぶりです」


 その殺意が、もう少しで《妹》を我が手にかけるという最悪の行いを実行に移させるところだった。


 妹と同じくらいの、小麦色の長い髪と純白の肌、新緑の瞳、桃色の唇を持つ絵本の中から抜け出たような少女。マイアよりは年下だが、少女の時代を脱している、切れ長の赤い瞳が輝く、俊敏な肉食獣を連想させる女性。


 二人とも、初めて会った頃と全く変わらない姿で、再びジョウの前に現れた。


「ん? そこな令嬢は……」


「あ、キャコ様。ご無事で」


「カラフィナ……ヨム……」


「知り合いなの? 奇遇だねえ」


「サクラ……さん」


「やあ、クラハ……ちゃんだっけ? 久しぶり」


「なんだか、ややこしくなってますね。あら、魔人もいるじゃないですか? ジョウさん、説明してくれると嬉しいんですけど……ジョウさん?」


 しばしの喧騒の後、静寂が訪れた。カラフィナらと出会ってから、ジョウが一言も発していないことに皆が気付いたからだ。この状況で唯一全員と面識のある少年の沈黙は、一同に不安を募らせた。

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