第232話 お引越し⑦
一行は《食堂》へと向かった。これまた書斎に勝るとも劣らない広さと質の高さが保たれており、ジョウはこの一室だけで住まうこともできると思った。さらに驚くべきことに、《食堂》は一部屋で完結していなかった。あくまで食事をするためだけの場所であり、調理室は別に用意されており、そこもまた広く清潔でいずれの備品も最高級だった。スプーンの柄には宝石の埋め込んである金の細工がしてあるほどだ。
食糧貯蔵庫は圧巻だった。保存食材や缶詰はもちろん、畑、果樹園、生けす、牧畜場までが備わっている。青々とした野菜と果物が実り、魚はのびのび泳ぎ、鳥豚、牛までもが行きかっていた。いずれもが、完ぺきに手入れされている。
クラハに言われずとも、ここが魔法によるものだと少年は理解できた。建物の内部にこれほど広く、かつ整備された空間が人の手を離れて存続できるはずがない。世話や太陽などの問題、つきものである肥料や獣の匂いすらしなかった。
「こんなとこがあんだなあ」
「それなりに、対価は求められますけどね」
蜜リンゴを手に取りながら、キャコは言った。これを実現するため、父は莫大な費用を投じていると繰り返し聞かされてきた。今ならわかる、偉大さと財力の誇示のためではなく、相応の設備には相応の値がかかると教えていたのだ。
「さ、お食事としましょうか」
「おう、そうだったな。キャコはさっきんとこで待ってろよ、俺とクラハで作ってやっから」
「私もですか?」
「ここはキャコのだろ? それくらいしても罰はあたんねえぜ」
「わたくしもいたしますわ、色々勝手がわからないでしょう」
以前のキャコであれば、少年にひそむ気遣いに気付かず、また気付く必要も感じなったはずだった。周囲の奉仕は当然であり、自分はそれを甘受する権利を有していると疑うこともなかった。
逃亡の日々がその幻想を砕き、周囲がそれとなく態度と言動で伝えていた諫めにも今更ながら悟ることができた。あれも試験であり教育だったのだ、選民思想と傲慢、狭量しかない小娘は名家に連なる価値はないのだ、と。
「それもそっか? よし、じゃあみんなでやろうぜ」
領主の座を追われたことは比類なき悲劇なれど、最近では少しだけ感謝もしている。あれがなければ、自分はその血族にふさわしくないままであったろう。そして、これはまだほんのかすかな思いではあるが、この少年とも出会えなかったはずである。
事実、キャコ・ヴァナスホーヴェン・エスセナリアは、《覇王》とも《兄》とも呼べる少年との出会いを機に、その覇道に欠かせぬ強者としての道を歩み始めたのだった。
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