第6話 現と虚と

 ジョウが狂気に疑問を持ち始めたのは翌朝からだ。眠りと言えぬ眠りであったが、多少は彼の頭を明晰にする手助けをしてくれた。


「おはようございます」


「おはよう」


「おう」


 狂気は消えず、朝の挨拶までしてきた。その上、昨晩女性が提案した通りに、食堂の机には料理が並んでいた。昨晩と同じ品、血入り腸詰と油魚の干物、野菜のスープ。しかし、盛り付け香りともにまるで別物だ。


「ささ、食べてみてくださいよ」


 二人が幻覚であれば、この料理はジョウが作ったか、あるいは料理そのものが存在していないことになる。しかし、この芳醇な香りと、鈍った味覚でもはっきり美味と認識する味もそうなのだろうか。腸詰は噛むと脂がひろがり、油魚は香ばしい。スープにもはっきりうま味がある。


「うまい」


「良かった」


「うむ、美味じゃ」


「昨日のよりもおいしいですよね? カラフィナ様」


「ん~、いまいちわからんが、どっちも美味じゃ」


「もう、味音痴なんですから。あ、ジョウさんこれはジョウさんの悪口じゃないですよ、私の意地の問題なんです」


 初めての味わいと、狂気同士の掛け合い。幻覚とは言え、ここまで生きた人間らしいものなのだろうか。二人は実在しているのではと、ジョウは揺らぎ始めていた。


 しかし、判別する手段がない。人数分出された食器、使用された調理器具、食後にそれが女性によって洗浄され仕舞われる。歩き回り本を貪る少女は足音を立て、時折外へ出て体を動かした。はっきり地面には、その時の足跡が残ったが、全て幻覚と言われれば否定できず、村には他者がいなかった。


 耕作の真似事で日中を過ごし、その間も二人を観察し続ける。その振舞は生きている人間にしか見えず、夜になって女性が一から作った根菜シチューを目の当たりにしたジョウは、二人が食卓に座った機会に、直接聞いてみることに決めた。


「なあ、お前ら本物の人間か?」


 少年は素直に、二人が狂気の生み出した幻覚と思っていたことを告げ、それが揺らいでいると伝えた。まず、二人はジョウをしばし見つめ、今度は互いに目くばせをした。その後席を立ち、寝室にこもって、シチューが冷めるまで出てこなかった。温め直そうかとジョウが考え始めたころ、二人は出て来てまた座った。


「わたしたちは幻覚などではないぞ」


「少なくとも、カラフィナ様も私も実在してますよ」


「う~ん……」


 ジョウは今更ながら、元から二人が狂気の産物であったら、否定したとて何らの意味があろうか後悔していた。この問いかけは、二人が確実に実存していなければ成立しない。


「うむむ、迷っておるなジョウ」


「迷うよ、そもそもお前ら誰なんだ?」


 少年にとっては、浮世離れした二人だった。美貌と高価そうな衣服、間違っても村に元々いた訳もなし。だとすれば、どこから、何を目的にやってきたのか。


「ラー」


「おうあうあうっ、色々事情があるんですよ。その、えっと……あんまり人に言いたくない系の」


 よどみなく話そうとした少女を、女性が手で制して必死に濁した。

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