第27話

 彼女がアイゼンと名付けられた以前、過去の記憶はほんの少しだけ残っている。

 そして朧げながら人間だった頃の名前と、彼女の家族だった人々の名前と顔だけが頭の中に漂うだけだった。


 家族はどんな人だったのだろうか、私は大切にされていたのだろうか。


 私をどんな心境で送り出したのだろうか、私が人でなくなる事を拒まなかったのだろうか。


 家族は泣いてくれただろうか、悲しんでくれただろうか。


 ある男が言った。

 機人エクスマキナの素体と選ばれる事は名誉な事なのだと。

 これまでの私が死ぬ訳ではない、より強い存在へと生まれ変わるだけなのだと。


 ―――お父さんも、お母さんも、君がそうなる事を望んでいるよ。


 なら、もし私が人でなくなったとしても、きっと何時か帰る事が出来る。

 顔や身体、髪の色も変わってしまったけれど、それでも私が私である限り。


 家族の下へ、立派になった私を見てもらおう、きっと離れ離れになって悲しんでいるかもしれない家族も、それで笑顔を取り戻してくれる。


 それが名誉な事であるのなら、受け入れよう。

 私は人から機人となる、そう望まれたのなら


 私は、このアイゼンは我が身を剣へと変えるだろう。

















 眠りから覚めたように、ゆっくり瞼が開かれた。

 アイゼンは、その場に膝を着くようにして気を失っていた。


 憶えているのは、互いの斬撃がぶつかった直後までの光景。

 そこから先は、まるで記憶がすっぽ抜かれたかのように残っていない。


『……いいや、違うか。この様を見れば…当然か…』


 アイゼンは己の身体を見て、理解した。

 横一文字に、刻まれた深い傷。

 そしてそれが、腹部にある壊れかけのエーテルエンジンを捉えていた事を。


 柄だけとなったアスカロンは地面に転がっている。

 エーテル刃が保たなかったか、もしくは単純に力負けしたのか、最早どちらだろうと詮無い事だ。


 アイゼンは己の終わりが見えた。

 だからある意味、安心していた。


「…負けた癖に、そうは見えない顔をしてるな」


 アイゼンが目覚めるのを待っていたかのように、近場の瓦礫に腰掛けていたアラタが声を掛けた。

 彼の傍には、人の姿へと戻ったリリィもいた。


『……何だ、まだいたのか。このアイゼンを倒したと満足して帰ったのかと思ったぞ』


「ふん、お主が動きを止めてからまだ数分と経っておらぬわ。再起動して報復でもされたら敵わんからな、様子を見ておっただけなのである」


「と言いつつも、俺等も精力尽きてその場で意識が飛んでたんだけどな」


「ちょっと、そういう情けない事は敢えて言わないものである」


『……ふふっ』


 激闘の後だと思わせない様な二人のやり取りに、アイゼンも微笑を浮かべた。

 そんな二人の姿を見て、彼女の中の遠い昔の何かを思い出せそうな気がしたが、そこまでだった。


 アイゼンの視界にノイズが走る。


『………悪くないな』


 目に映る全てから色素が抜け落ちていく。


『……人間』


「何だ?機人」


『餞別だ、そこの、アスカロンを持っていけ。半端者に取り込ませるなりすれば、新しい兵装も作り出せるだろう』


「むむむ、さっきから半端者って言い方どうかと思うのだが…」


 首を捻りながら唸るリリィを横目に、アラタはアイゼンに言われるままにアスカロンの柄を手に取った。

 今や実体の剣を持たない、つい先程まで彼らを苦しめてきた巨大な兵装である。


「…じゃ、遠慮なく貰うよ。この戦いの戦利品だ」


『ああ…それで良い』


 アスカロンを手に取った姿を確認すると、アイゼンは安心したように頷く。


『………さて、では、このアイゼンもそろそろ保たぬので、早々に此処を去る事をお薦めする』


「へえ、何故に?」


『ここに霧が充満していなかった理由だが我が身から漏れだすエーテルがこの施設一帯を包んでいたからだ。だが、このエーテルエンジンが止まれば、それも無くなる』


「……此処にもミストが現れると……お前、霧の事、知ってたのか?」


『知らぬ訳ないよ。霧とやらも、それに伴う怪異もまた、元を辿れば……いや、ここは言うまい』


「いや、言わないんかい」


 思わずツッコミを入れるアラタに対し、アイゼンも仕返しと言わんばかりに意地の悪い笑みを浮かべた。


『仲良しこよしではない。我々は死合った間柄だからな。意地悪くらいは、させて貰う』


「……まあ、言う義理はないってか」


『もしくはそこの半端者に聞けばよい。アレも機人ならこのアイゼンとそう変わらぬ情報を…』


「リリィ?」


「―――え、いや、何の話である?」


 話を振られたリリィはキョトンとした表情で首を傾げた。

 何かを隠しているような素振りには見えなかった。


 アイゼンは残念なものを見るような視線を向ける。


『……知識量もまた半端か』


「な、なにをー!」


「落ち着けリリィ、どーどー」


 うがー!と獣になりかけるリリィを抑えるアラタ。

 アイゼンは変わらず、笑みを浮かべたままだったが、何か思う所があるかのように顔を天井へと向けた。


『人間は、いずれ向き合わねばならない。それが大罪を犯した種から数千年離れた無垢たる子孫であろうとも』


「大罪?」


『機人を生み出した事もそう、だが…まだあるものさ。全く…』


 呆れたように、諦めたように、力なく言葉を吐き出すが、その先の続きを言う事はなかった。


『……無駄話は終わりだ、早く行け』


「……同胞よ、最後にいいか」


『何だ、半端者』


 言いたい事は言った、そう言わんばかりのアイゼンにリリィは声を掛けた。

 どこか不安げな、確かめるような顔色を見せて


「お前は、私達との戦いで満たされたか?」


『……………愚問だな』


 リリィを正面から見据えて、彼女は


『悪くなかったよ。多分な』


 少しは満たされたような表情を浮かべて、彼女は答えた。












 それから、二人が去った後

 除々に弱まる自分自身と、周囲に漂い始めた霧が施設を包み始め


 それでも、彼女は一人意識を保つ。

 完全にエーテルエンジンが止まるその瞬間まで


『……ああ、悪くなかった筈だ。機人として、戦士として、私はこの上ないほどの強者と出会い、戦い、そして敗れた』


 一人、記憶を思い起こすように呟く。


『最後に彼らとも言葉を交わした、ただ朽ちるだけの兵器が辿る最期にしては悪くないものだった』


 アイゼンは、それで一度納得し、受け入れた。


 だけど


『………


 不覚にも込み上げてきた感情、それが人間相応のものだとしたら

 年相応なやり取りと関係性を見せつけてきたあの二人がきっかけだとしたら、それを彼女は恨むべきか感謝すべきか、わからないのだ。


『……私は、こうなりたかった訳じゃないよ、きっと』


 昔の記憶は何も残ってなくて、ただ今は溢れ出そうになる感情で一杯になる。


『普通に生きたかったのかもしれない』


 悲しい。


『普通に死にたかったのかもしれない』


 苦しい。


『私は………』


 こんな姿になると知ってたら、止めてくれたのだろうか。


『―――お父さん、お母さん』


 それとも私は、家族に愛されていたのだろうか?

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