第24話

 暗い世界の中で、体は宙を漂っているような感覚の中に包まれていた。


 先程までいたドーム状の空間ではない。


 上も下もなく、全てが真っ黒に染まり、だけどここが暗闇の中という訳ではない。


 右腕を失ったボロボロの自分自身の姿が、何故かはっきりと見えている。

 地面に反射する姿、天井に反射する姿。


 時間が止まった世界、何となくそう思った。

 確証はないが、何故か言い切れた。


 今ここにいるのは、動いているのはアラタとリリィ、二人のみだった。


「リリィ…」


 アラタは、これまでの全てに目を奪われていた。

 アイゼンと名乗る、突然人間らしくなった敵。

 それと対峙し、渡り合ったリリィ。


 何もかもが、理解の外にあった。


「………大丈夫、必ず守るのだ、私が」


 リリィは安心させるように笑みを作る。

 何も心配はいらない、そう言い聞かせるているつもりのようだった。


 アラタに対して背を向けたまま、リリィの表情を伺う事は出来なかった。


「…お前は、戦うのか?」


「戦うとも、私にはそれが出来る」


 アラタは、思わずそう問い掛けた。

 それに対し、リリィは迷いなく言い切る。


「当然である」


 リリィは顔を見せない、表情を見せない、ただその声に乗せた感情は


「必ず守ると、決めたのだ」


 つい先程までの自分自身もそうだった。


 逝ってしまったグレイ・スタープライドもそうだった。


 自らの死を許容している。

 誰も彼もが、自身の犠牲で誰かを救おうしている。


 そうしなければならない様な絶望的な状況が続いている。


 だが、それしかなかったとしても、アラタはもう全部御免だった。




「…何故だ」


「え?」


「何で、お前は……死んでもいいって顔をした…!」


 ヤケクソとなったアラタの声は、この空間でよく響く。


「どうして、来たんだ。俺に愛想尽かして出ていったんじゃなかったか?何も言わずに、いなくなって!」


「…それは」


 どうして此処にいるのか、どうやって来れたのか。

 最初に浮かぶべき当然の疑問もあるだろう。

 だが、その理由は既に察する事が出来た。


 だからこそ自分自身に対する不甲斐なさが、今のアラタの全てだった。


 リリィは僅かにアラタの方へ顔を向けた。


「…負い目があったから、このままアラタ殿の傍にいたら迷惑になると」


「負い目ってなんだよ!何かしでかしたからってか?俺に飯を奢らせて家に居候している事を言ってるんだったら俺は気にしちゃいないんだが…!?」


「…それも違うのだが…」


「じゃあ何なんだっ」


 こんな状況にも関わらず、生死が問われる時だと言うのに


 体面も何もあったもんじゃない、感情が溢れ出すようだった。

 言いたい事を吐き出して、そんなアラタにリリィはただどう反応すればいいのか分かっていなかった。


「……わ、私がアラタ殿の家を出たのは…その…」


「はっきり言えよ…!」


「わ、私は!」


 思わずリリィはアラタの方へと振り返った。

 アイゼンを前にしてた時とは別種の緊張感がリリィの体を震わせる。


 そして一息つき、やっとだった。


「私は機人だ!アラタ殿を追い詰めた、アイゼンと同じなのだよ!私は」


 勢いに任せ言い切った後、リリィは落ち込むように顔を俯かせる。

 肩を震わせていた。発した声にさえ分かり易い程の怯えがあった。


 だが実際は自身の正体を明かすよりも、躊躇することがある。


「……私は、機人の中でも特殊なものでね。全力を出すにはパートナーが必要で」


 俯いたまま、ブツブツと言葉を続ける。

 リリィは覚悟していた、アラタから発せられる言葉を待っていた。


「家族にしろ、恋人にしろ、それ以外にしろ、相手は私から離れられなくなってしまう、私以外の事が考えられなくなってしまう。そして、相手も気付かぬ内に私の意のままとなってしまう」


 過去を思い起こしながら、表情を歪めながら

 リリィにはあったのだから、それで犯してしまった過ちが

 ただの人間として過ごす中で、無自覚の内にやってしまった事だ。


「私が顔を仮面で隠していたのも、理由があって」


 何時の間にか右手に握られていた黒い仮面、それで顔を隠すように持って見せる。


「ほら、私は絶世の美少女であるから?この顔を見てしまうと、あら不思議。相手は私の事がとても魅力的に思えてしまう。心当たり、あるのではないか?」


 そして仮面をずらして、リリィは少しだけ顔を見せた。

 からかうように、明るい雰囲気を作ろうとしながら


 何か反応を見せる訳でもない。アラタは無言のまま、リリィを見つめていた。

 その静かな内心で何を考えているのか、リリィは想像する事も怖かった。


 それでも、話を続ける。

 これは言わないといけない事だからだ。


「―――その相手が私をどう捉えるかは、内に抱く欲求次第である。ただの性的欲求を満たす為に矛先を向けてくるか、狂的に信奉してくるか」


 どれもその身を持って経験した、考えるだけでもその身が震えるような事ばかり。

 人が欲望に忠実だった故に、文字通りただの道具と化した意志なき彼等を見た事があった。


「もしくは……親愛と、友愛と、邪な想いを含まない感情。まるで子を想う親の様に、想い人を慕う恋人のように」


 目覚めて一番最初の記憶の中で人としての名前を与えてくれた人、父様と慕った相手。

 何も知らない赤ん坊のような頃の自分自身が、楽しげにしていた。

 ごく短い、あっという間に終わった話。


「アラタ殿と出会ったのは偶然だったよ。そこに嘘はない」


 貰った名を捨てて、人々と関わる事をやめ、兄だとのたまう瓜二つの男の下でひっそりと暮らしていた時、その時はただ何もかもを縛り付けてくる全部を鬱陶しく思って、気を紛らわす為に外へと出た。


 無計画に、更に言えば無一文だったものだから結局何も出来ずにいた。

 途中からは空腹の末に何だか色々と、どうでもよくなってきた時だ。


 アラタ・アカツキという男の気まぐれが、彼女を助けたのは


「私から気になったのは、父様の時以来だった。見ず知らずの、仮面をつけた無一文の不審者に肉串を恵んでくれた奇特な人」


 仮面を胸の前で両手で強く抱きしめる。

 噛みしめるように話し、穏やかな表情を浮かべながら


「きっと、一目惚れだ。だからこそ、私は望んだのだ。あなたと一緒にいる事を、好きになって欲しいと」


 相手も私と同じように想ってくれればいいのに


 そんなつもりじゃなくても考えてしまうものだ。

 私から目を離せないようにしてやればいいと、そうなるように干渉してやればいいと


 そこをあのサレナに指摘された。


 相手が自分を良く想っているのは、君の持つその特性が、そうなるように誘導してるだけなんだよ、と。


 自分自身が感情を弄ぶ事が出来る歪な存在である事はよく知っている。

 だからこそ、その言葉を心の底から否定も出来なかったし、アラタにリリィという少女へと慕情を強制させているのはないかと思った。


「私は、卑怯な女だ。人生を狂わせる事が出来る己を卑下し、だからこそ仮面で顔も隠していたのに、お主の…あなたの前では、この仮面も煩わしくなったのだ」


 もっと私を見てくれたらいい、素顔のままの私をずっと見てくれれば

 あなたはきっと離れられなくなる、あなたはきっと私に夢中になる。


 私の一目惚れは、相思相愛のハッピーエンドで終わる。


 それは、普通の女ならば望む幸せだ。

 だが同時に、自身がやろうとしたのは人の自由意志を捻じ曲げる自分勝手な方法だ。


 きっとアラタなら、そんな事はないと断言してくれるだろう。

 自身の感情は自身のものだと、強制されたものではないと


 だがそんな言葉さえも言わせているだけだとしたら?


 もう駄目なのだ。

 一度考えてしまえば、何も信じられなくなる。


 だが、自分の気持ちに嘘偽りはなかった。

 相手がどう思おうと、相手にどう思わせようと、リリィの抱いた感情は本物だからと言い切れた。


 だから、せめて守ろう。


 今は兄にも感謝してやると、リリィは思った。

 アラタの向かった先、どこでその情報を知ったのか知らないが、それを自身へと教えてくれたのだから


 あの男にとっては、おそらくリリィにとって都合のいい強い駒が失われる事を避けたかっただけなのだろう。

 どこまで言っても、機人としての存在意義にしか興味を持てない男なのだから


 だが、兄の思惑通りにはならない。

 彼を救えば、リリィはアラタの下を去ろうと決めている。


 いや、生き残ればいいが、相手は自身と同じく機人であり、手負いの死にかけだが、恐らくあの炎の中から現れるのは戦闘形態として完成されたモノとなるに違いない。

 対して自身は全力を出せない状態だ。


 ああ、これは死ねると、同時に安堵も出来た。

 これで何か間違いが起こる事もない、自分自身が破壊されれば、アラタに執着する事も、それでアラタに迷惑を掛ける心配もなくなるのだ。


 アラタを生き残らせ、アイゼンの機能が停止するまで粘る。

 自身の安全は度外視してもいい。


 ああ、なんて簡単な事だろうか。


「だから、アラタ殿」


 最後にこうやって話すつもりはなかった。

 この互いの波長が合わさって出来た空間で時間を気にせずに話せたのは予想外だったが、これもせめてものと自身に掛けてくれた情けなのだろう。


「あなたを守って、そして私は――――」


 終わりにすると、そう言おうとした時だった。

 アラタは突然動いた、早足で、リリィの意表を突くように、そして









「言いたい事は、それだけか?」









 唯一残った左腕でリリィの体を自身へと抱き寄せていた。

 リリィは目を見開いた、突然の行為に体が固まった。


「――――な、は、離せ!私渾身の罪の告白、聴こえておらなんだ!?」


「長過ぎて途中で聞き飛ばしてたな!」


「ひどい!?後そんな長くなかった筈であるし!」


 我に返ると、ジタバタとアラタの腕の中で暴れるリリィ。

 そして彼女の表情は、見てられない程に荒ぶっていた。


「何故だ!何故なぜなぜなぜ…!!」


 突き飛ばそうと思えば、簡単に出来るのにしない。

 強引に抱き寄せられ、自身はアラタの胸に顔を埋めるようになっていたが、離れる事が出来なかった。


 しないと言うよりも出来なかった、出来なかったと言うよりもしたくなかった。

 こうしたかった、アラタの温もりはいつでも、いつまでも感じていたかった。

 そんな本音に抗えていなかった。


「機人として、俺を求めたとしても、それでもいい」


「……うぅ」


「これは運命だ、多分、きっと…」


「け、けど、たった数日一緒だっただけで、こんな気持ちになるのって」


「俺がチョロかっただけだ!」


「チョロいって何であるか!私があなたの感情に干渉して!」


「俺はそんなもので操られたりしない!」


「そんなものではない!私は機人だ!普通の人間とは違う!」


 アラタの胸の中で水滴が落ちた。

 リリィの顔はグシャグシャだった。


 そこまで否定してくれる事が嬉しいやら、けどそんな事普通言う訳ないと悲観で涙を流すやらで、彼女の情緒はボロボロだった。


「…なあ、リリィ、俺は別に、お前が辛いなら俺の下から離れてくれたって構わないと思ってる。それがお前の望む事なら俺が否定する事じゃないから」


「……………」


「だが、それでも死ぬなんて選択は絶対に取るな。機人だが兵器だか、そんな事はどうだっていい」


 リリィは答えず、泣いていた。


「俺も、もう御免だよ。こんな短期間で、気にかけた奴が死んでしまうのは」


「………ううぅ」


 暴れる事も既にやめて、アラタの胸に顔を埋めて、涙を流し続けていた。

 その両手でアラタを力一杯に抱き締め返していた。


 アラタは左手を離し、リリィの頭を撫でようとしたが、当のリリィがアラタの腕が離れることを嫌がる。

 思うように出来ずアラタは顔を顰める、片腕とは、こうももどかしいものだとは


「…………私は、離れようって心に決めてた」


 鼻を啜る音が聴こえ、涙声ながらもリリィは言う。


「だが、はは…やっぱり、無理だなぁって……今日改めて思っちゃったのだ」


 埋めていた顔を上げ、真っ直ぐにアラタを見た。

 赤く充血した目、だけどその金色の瞳は変わらず輝いていた。

 とても綺麗で、見る者が全て惹き込まれるような光だった。


「私は、一緒にいたいのだ。もう、強制だとかあなたの感情を操作したとか、そんな無粋な事は言わない」


 背伸びして、つま先で少し立って、アラタとの距離を近づけた。

 顔を、もっと間近へと寄せていく。


「アラタ殿の、あなたのその言葉を信じる。それが本物だって、私は思う事にする」


 実際にどうかなんて分からない、リリィもそうだが、アラタ本人だって分からない事だ。

 だが、別にいいじゃないかと思う。難しく、自虐的に考え過ぎていただけかもしれないのだから


「…リリィ、こんな言葉があるから、憶えておけ」


「……教えて欲しい」


 アラタはそんな彼女に対して、伝える言葉を決めていた。


「終わりよければ全てよしだ。OK?」


「……ふふっ!うむ、オーケー!」


 あっさりと、そんな言葉で片付けたアラタに、リリィは吹き出すように笑う。


 ならばと、リリィは考え方を改めようと思った。


 過程なんてどうでもいいと思おう、自分が好きになったならそれでいいんだと考えよう。

 お互いが結果的に満足して、幸せになったのなら、別にそう仕向けた事が始まりだとしても構わないと、そう決めておこうと


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