第17話

 彼女の始まりは無機質なカプセルからの目覚めだった。

 母親も父親も、何も分からない、何も知らない。


 あるのは彼女の中に植え付けられた一つの存在意義。


 少女一人が担うには余りにも悍ましい、血と戦いに塗れた宿命。


 薄暗い廃墟、寂れた空間。

 そこにいたのは彼女たった一人で、見つけてくれたのは外から来た見知らぬ男。


 ―――君に名前を付けよう。後は…そうだな、じゃあ俺は君の親代わりにでもなろうか。


 そんな事を言って来たのは何故だろうか?

 その時は何も知らないリリィであったが、彼は依頼を受けてここで彼女を目覚めさせたのだという。


 何故目覚めさせたのか、何で親代わりになると言ったのか。

 そんな事、今となっては分からないのだが


 男は『傭兵』をやっているという事を知った。

 霧の世界と、ミストという脅威と戦う戦士の呼び名だ。



 それを決断したのは気まぐれか否か、男は一人の父親になる決意をした。

 そんな男に拾われた少女は、流されるままにその娘となった。




 ―――君の名前は、クロエだ。俺の姓はオルコットだから…クロエ・オルコットだ。


 若く見える顔立ちに似合わない無精髭を生やし、穏やかな目をした男の笑みに釣られるように、彼女も笑っていた。


 クロエ・オルコット、それは過去に名付けられた名前。


 ただの少女であると思いこんでいた頃の、リリィ・ホワイトの仮初の記憶である。







 アラタが自宅へと帰って来たのは、日が落ちる前であった。


 荷物はグレイ号へと全て預け、細やかな計画の話し合いもとっくに終わらせている。

 後は明日に備えて早く休むだけだ。


 仕事帰りの自宅はとっくに光が灯っていた。

 当然だ、今は此処にもう一人の住人がいる。


 何となく、アラタは一人でない事に安心感を憶えていた。


「ただいま、リリィ」


「おかえり、アラタ殿」


 玄関の扉を開けば、見慣れた少女の後ろ姿があった。

 何か調理の最中なのだろう、アラタへは声だけを掛けるのみだった。

 今の彼女はローブを脱ぎ、今や部屋着代わりとなっているアラタのシャツを着ている。


(あ、今度は袖を通してる…)


 流石に前は閉じきっていないようだが、それはもう、仕方がないだろう。

 アラタが慣れるしかない事ではあるが、流石にいつまでもマトモな服がないと言うのも可哀想だ。


(明日から依頼だからな…依頼が終わった後にでも買い物に行くか)


 それは何気ない考え。

 リリィと共にいるのだろうなと、確証もなく抱く予感。


 いずれ此処を離れると言っているのに何とも身勝手なものだ、とアラタは自嘲する。


(ついて行く…そうは言ってくれたけれど、やはり駄目だな。言葉通りに受け取ってはいけない、甘えてはいけない事だ)


「アラタ殿?立ってないで座るのである。ご飯ももうすぐ出来るぞ」


「ああ、ごめん。すぐに行くよ」


 ひとまず今はこの時間に身を委ねよう。

 まだ考える時間はこれからある、少しは先延ばしにしても罰は当たらないだろう。



「……あ、えと…」


 アラタが席に座ろうとしたら、リリィが調理の手を止めた。


 どうした?と訪ねようとするアラタの傍に小走りに近づいてくる。


「……リリィ?」


「……あー、何というか」


「ん?」


 一瞬躊躇するように手を引っ込める仕草を見せた後


 ギュッと自身の身体をアラタに押し付けるようにして抱き着いた。


「…リリィ、さん?」


「すまぬ、ちょっと色々あってな…こうしたかった」


 抱き着かれた瞬間、身体を強張らせたアラタだったが、触れているリリィの身体が僅かに震えている事に気付く。


 何かあった?アラタは咄嗟にそう尋ねようとした。

 しかし、その口が開かれる前に聴こえてしまった。



「これは偽物じゃない……本物なんだ…本物…本物…っ」



 アラタの胸に顔を埋めてくる、繰り返すリリィの呟き。

 それは彼女が彼女自身に言い聞かせているような、何かに縋るような声だった。


「……リリィ」


 彼女が何に苦しんでいるのか、悩んでいるのか。

 聞き出す事は何時でも出来る。


 彼女は、彼女なりのやり方で感情の整理を行っているのではないか。

 今はそれに自身もされるがままになっていれば、いいのではないだろうか?


 アラタがやる事は一つだけ。


「……っ」


 リリィが小さく反応した。

 アラタは今、彼女の頭をゆっくりと撫でている。


 気が済むまで抱き着く彼女が元通りになれるまで、

 アラタは彼女の頭を撫で続けた。






 調理をほっぽりだしての事だったので晩御飯の時間が少し遅れる事となったが、少しだけ穏やかな表情になったリリィ。

 今はベッドに腰掛けたアラタの足の間に収まるようにして彼に寄り掛かっている状態だった。


 互いに水浴びをして、今日の汗もしっかり流してからの事である。


「何か、甘えん坊具合がより強くなった気が…」


「気にするな」


「いや、気にしないけどさ」


「!……私にドギマギするような魅力がない……ってこと!?」


「情緒不安定か。おちつけーおちつけー」


 髪を梳きながら宥めるアラタ、リラックスしたのかよりぐてーと力が抜けるリリィ。


「猫だな、気まぐれな感じ」


「?最初は犬と言われておったような……」


「すまんな、よりそれっぽい知り合いが出来たんだ。わんこの称号は二代目へと引き継がれます」


「えぇ、なんじゃそれぇ…!」


「ちょ、やめろ、髪の毛が鼻に…ははっ」


 頭をグリグリと背にいるアラタへと押し付けながら抗議するリリィ。

 その抗議にこそばゆさを憶えながら、梳かし終えた彼女の髪の毛を纏め、サイドテールにして見せた。


「よし、後ろにいる俺がこそばゆいから、今日はこの髪型な」


「おー……?どんな感じになっておる?」


「はいはい、少し待て…ほら、手鏡」


 手渡された手鏡を眺めてみると、側頭部の片側のみに髪をまとめられた自身の姿。


「おー…我ながら愛いのでは?」


 リリィが納得したように頷く姿にアラタは苦笑いを浮かべる。




「少しは、マシになったか?」


 そう尋ねられると、リリィは一度顔を伏せた。


「―――うむ、少し落ち着いた…と思う」


 伏せた顔を上げた。

 アラタの方へ身体を向けると上目遣いで目の前の彼の顔を見つめる。


 リリィの表情には、まだぎこちなく作った笑顔があった。


 まだ、彼女の中で燻っている。

 彼女にしか分からない不安が、恐怖が残っている。


 それがどんなものか、アラタは知らない事だ。

 今は話そうとも思えない…話す勇気が、持てない。


「まだ、吐き出せやしないか?」


「……いや、私は…はは、そんな、分かり易いか?」


 アラタの真っ直ぐな視線がリリィへと向けられた。

 彼も流石に分かるのだ、彼女が未だ何か抱えている事くらいは


 気遣われている。

 アラタは私をどこまでも心配してくれる。


 そう考えただけで気持ちが昂ぶる。

 リリィは求めた、より近くにいたいと、より深く繋がりたいと。

 きっと彼も、そう望んでくれている。




 ―――けどそれは、君の体質が相手にそうさせてるだけじゃない?




 別れ際の忌々しい男の言葉。


(…ぁ)


 それは刻み込まれた呪い、己を戒めるようにリリィの脳裏を過る記憶。


 ―――私達はパートナーを求める。その為に適正のある人物を拐かす。


(違うっ)


 ―――定めた相手の感情に干渉するんだ。こちらに対してプラスの感情を向けるように半強制的な誘導が行われる。


(違うっ、私はそんな事していないっ)


 ―――するしないじゃないよ。食物連鎖の中にいる動物が、己が種族を繁栄させる為に、生き残る為に、本能的に番を求め、繁殖行為を行うように


(違うっ!!)


 ―――私達は求めるんだ。敵を滅ぼす矛へとなるに相応しい、都合のいい人間道具をね


(ちがっ…!?)


 ―――恋愛感情なんて、こちらの意のままに相手を操る為のカモフラージュでしかないんだよ。


(私は…!)



 ―――だから、おめでとう。


 ―――さすが、私の同型機だ。


 ―――上位傭兵か、君はとても良い道具を見つけたね。




















 彼女の表情は変わらない。

 アラタへ向けるのは、誰もが見惚れるような綺麗な笑みだ。


 アラタが好きだから、決して道具としてなんかじゃなく

 一人の異性として惹かれたから、絶対にそれで間違いなんてないと―――


 ―――言い切れない。


 私は普通の人間じゃない。

 だから、皆が普通に出来る事が出来ない。


 やることすること、全部が所詮ただの模倣でしかない。


(父様は、私に人間性をくれた。だから、それで私は人間になれたと思った)


 だが、そうではないと言うのなら

 私がそう求めているから、相手も同じ様に求めているだけだとしたら


 最終的に行き着くのはきっと、リリィ・ホワイトという人でなしがアラタ・アカツキを死ぬまで使い潰す最悪の未来しかないという事だ。


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