第9話

 どのタイミングで家に帰って来てたのか、アラタはよく憶えていなかった。


 外套は床へと投げ捨てられ、上半身は肌着一枚の姿だった。

 気づけばベッドの上にいて、着替える事もせずに熟睡していたようだった。


(……おかしい、酒場から出て、それからリリィと一緒に城壁まで行って…)


 城壁は守備兵が戻る前にそこから離れ、自宅へとそのまま帰った筈だ。

 それから、リリィの事はどうしてたっけか。


 帰る最中から酔いが回って来たのだろう。

 途中からの記憶は朧げで、道中のやりとりも良く憶えていない。


 ―――いや、除々に思い出してきたかもしれない。


「…いや、違うわ。現実逃避はよしておこう」


 何してたっけ?ではないのだ。

 思い出すまでもなく確認する事は出来る。


 アラタは今、身体が動かせない。

 動かないのではない、彼女に体全体で絡まれてある意味では雁字搦めのようにされている。


 温かい、柔らかい、いい匂いは……酒臭くてしないが。


「―――リリィ、お前起きてるだろ」


「……」


「離れてくれ、暑苦しいから」


「……ふむ、おはようアラタ殿」


 アラタの胸に埋めていた顔を上げる。

 目と鼻の先とも言える程の至近距離で二人の視線が重なった。


 形の良い眉毛、長い睫毛、アラタと同じ金色の瞳。

 恐ろしく端正な顔が目の前にある。


 仮面を外したリリィが人懐っこい笑みで応えた。


「……は、お前、仮面は…?」


「取ったよ、寝る時まであんなの着ける訳なかろう?」


「まあ、それも確かに」


 リリィはアラタから離れ、ベッドから起き上がった。

 彼女も流石にローブは脱いでいたのだろう、上下共に白い下着姿のまま、身体をほぐすように大きく背伸びをする。


 つい、アラタは目を逸した。

 と言っても、彼女の姿はとっくにアラタの網膜に刻み込まれてしまっているが


 当たる機会も多かった故に分かっていたが、予想通りしっかりと実った豊満な果実が彼女の動きに合わせるように上下し

 全身を見てもバランスのいい凹凸の効いた体型、適度な肉付きの良さがアラタの初心チキンハートにダイレクトアタックだった。


 ………いや、まて、これは。

 アラタの頭に突然浮かび上がったのは、今のこの状況から見出される問題。


 酒を飲み、酔いが回り、若い男女が同じ屋根の下。

 何も起こらない筈もなく―――。


「!」


 アラタは急ぎ確認した。下は、ズボンは履いてるか?履いてるな!よし!


 妙に慌てだしたアラタの姿を見たのだろう、リリィは何事かと首を傾げていたが、少しの思考の末に、察した。


「……なあ、アラタ殿?」


「な、なんだリリィさん…?」


 下着姿を見られても恥じらう様子もなく、リリィはニンマリと笑顔を浮かべた。


「ワンナイトで終わるなんて、寂しいとは思わないか?」

「いや待って、何もなかった…何もなかったよな…!?」


 残念ながら何もありませんでした。




 早朝からアラタの感情を揺れ動かす事件ラッキースケベにドギマギとしつつも水浴びをし、一応はさっぱりさせた。


 テーブルを挟み、向かい合う形で席に座れば、後は朝食を摂る事となるのだが


「…恐らくは酒の力だ。本当にありがとうございました」


「感謝の割には頭を抱えておるがなぁ」


 テーブルに肘を付き、頭を抱えるのはアラタ。

 用意されたパンを千切り、水で流し込みながら黙々と食べ続けているリリィは他人事のように彼を見ている。


「なあアラタ殿、私と仲良くなっていく事はそんなに不満か?」


「不満じゃない。ただ、なんつうか…」


「なんつうか?」


「俺達の仲を急速に近づけようとする何らかの意志を感じる…」


「たかが男女二人を近づけるのに仰々しいな、それは」


 アラタにとっても、それは半ば冗談のような話ではあるのだが

 波長が合う、まるで長年連れ添った相手のように、リリィと共にいる事が妙に馴染んでいる。

 昨日の出会いから今日に至るまでの関わり合いの中で、その感覚はより確かなものであるのだと感じていた。


(俺ばかりが意識しているのか?それはそれで何か癪だ)


 黒髪をポニーテールで纏めた眼の前の美少女は平然としている。

 酔った勢いとはいえ一緒の寝床に着いた上、彼女に至ってはアラタにその下着姿を見られているというのに。


 いや、よそう。

 そんな羞恥心があるのなら今の状態にもなってはいない。


「ん?アラタ殿?」


 ただ無言で考え込む彼を見て、不思議そうに尋ねてきたリリィ。


 脱ぎ捨てたローブはベッドの上に畳まれた状態で置かれている。

 今の彼女はアラタの持っていた長袖のシャツを羽織っているのだ。


「何故ボタンを閉じないのか」


 そうだ、袖を通して着ているのではない、ただ羽織っているだけ。

 何故か前は全開だよこんちくしょう。


 それを指摘されたリリィだが、一度自身の胸元を見てから再びアラタへと顔を向けた。


「アラタ殿って思ったより細身であるよな、ボタンを閉じると胸が少々キツくて…ね」


 何て事のないように…いや、違うこれは


 頬を赤らめていた。

 照れ臭そうにしている彼女を前にして、耐性皆無の彼は成す術を知らない。


 残念、アラタ・アカツキはあっさりと返り討ちにあった。



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