第8話 勝手に納得しないで!

「た、ただいま」


 恐る恐る家の中に入る僕。リビングに続く扉を開けると、母さんが、ソファーに座ってテレビを見ていた。ソファーの真後ろにあるダイニングテーブルには、いくつかの食器がラップをかけて置かれている。


「おかえり。遅かったじゃない。母さん、先に晩御飯食べちゃったわよ」


「そ、そうなんだ。父さんは?」


「今日も仕事で遅くなるって」


「ふ、ふーん」


 いつも通りに会話する。玄関扉を開ける前、そう何度も心に誓ったはずなのに。僕の声は、自分でも分かるくらいに震えていた。


 僕を一から育ててくれた母さんが、そんな僕の変化を見逃すはずもなく。


「どうしたのよ。あんた、今日はなんか変ね」


「へ? そ、そうかな?」


「怪しい……。もしかして、エッチな本でも拾ってきたの?」


「どうしてそうなるの!?」


 僕の声がリビングに響き渡る。母さんの前でこんなに声を張り上げたのはいつ以来だろうか。


 焦る僕を見て、母さんはニヤニヤと悪い笑みを浮かべていた。


「隠すことないじゃなーい。思春期なんだから、それくらいあって当然よ。あ。今日遅かったのはそれが理由なのかしら? 本を持って帰るかどうかで悩んでたわけね。納得納得」


「勝手に納得しないで!」


 すでに母さんの頭の中では、僕がそういう本を拾ったことになってしまっているようだ。しかも、否定すればするほど、逆にそれが真実であるかのように思われてしまう。この世の中はどうしてこんなに理不尽なんだろう。


「あ、でも、春野ちゃんには内緒にしときなさいよ。あんたがエッチな本を拾ったなんて知ったら、絶対怒るから」


「な、なんでハルちゃんがそこで出てくるのさ」


「えー。だって、ねえ。ふふふふふ」


 母さんが春野の名前を出した理由も謎だし、春野が怒るというのも謎。僕の頭の中は、焦りとはてなマークで埋め尽くされていた。


「ぼ、僕、自分の部屋に行くから。晩御飯は後で食べるよ」


「りょーかい。いやはや。わが息子もそういう年かー。嬉しいような寂しいような」


「だから違うって!」


 叫びながら階段を駆け上がる。二階にある自室に入り、母さんが入ってこられないよう鍵をかける。扉に鍵のかかるガチャリという音が、いつもよりも大きく感じられた。


「はああああ。疲れた」


「ここが宗也君の部屋かー。あ、本棚に漫画がいっぱい。知ってるやつあるかなー?」


 僕の背後から聞こえる声。「疲れた」なんて漏らしてしまったけれど、きっと序の口。これからもっと疲れる。そんな予感、いや、確信がある。


 振り向いた僕の視線の先。一人用のベッド。物が積み重なった勉強机。移動式のクローゼット。本がぎゅうぎゅうに収まっている本棚。そして、本棚を物色する詩音しおんさん。


「どうして連れてきちゃったかなあ」


 押しに弱い自身の性格を、今更ながらに呪う僕なのだった。

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