第5話 調査
それから2週間が過ぎた。
青木は本屋にいた。作業着にカーキ色のジャンバーを着ていた。だぼだぼにしておけば、腰回りの武器を隠しやすく、審問官だとバレにくい。夏の暑さは続いているが、空調ががんがんに効いていた。
「こちら三宅、青木、状況を報告せよ」
「ただいま、現場に到着。客は多いが、不審者見当たらず。異変無し」
「了解。監視を続けよ」
青木は、右足の踵でリズムを取った。トントントトン。
この街の一番栄えている駅の目の前にそびえ立つ複合商業施設。8階のフロアにて営業する本屋『アップライフ堂』。時代は、バーチャルになっていくのに、紙の本はまだ売れている。
奥の棚から入り口側に歩くと、新刊と話題の本の棚があり、本は売れるために様々な題名と表紙に工夫がなされ、作者たちの努力がうかがえる。
「有効な契約を結ぶために」
「老後は狂気度80を切りなさい」
「完全必勝! 絶対内定マニュアル −面接時の狂気制動編−」
その本達の中で、一際目につく本があった。
「狂気度スコアを90に保つコツ! 著 狂気アドバイザー 藤本狂一郎」
平積みになった本の上には、手のひらサイズで『今話題の狂気アドバイザーが紐解く完全処世術! 必読です!!』と店員の手書きのポップアップで強調されていた。そして、その上に『本日トークイベント&サイン会あります!』の文字もある。
今日のターゲットは、この本屋でトークイベントを行う、藤本狂一郎という男である。
******
その1週間前のこと。
会議室で、上級審問官の田中は審問官に対し、机の地図に人間の相関図を示しながら、淀みなく説明した。
「今回、周囲に悪影響を与える《特殊惹起》としてセンに上がってきたのが、この藤本狂一郎という男だ。諸君もご存知のとおり、近頃のネット番組や昼の地上波テレビにもよく出てる。狂気スコアを上げる本やら謎のオンラインサロンやらで金を儲けてる奴だ」
青木、佐々木、三宅らは、相関図と手元の資料を確認しながら、話を聞いていた。
「で、話はここから。正直なところ、ターゲットは、ちょくちょく出てくるタイプのゴロツキと変わらん。問題は上野グループがバックに絡んでる可能性が高い。運がよければ銀行かホールディングス本事業部、悪くて上野ブックスから金が出てる」
署長の内村が口を挟んだ。
「その情報はどこから?」
田中は答えた。もちろん、想定済みである。
「一昨日の宮下議員の秘書の聴き取りから判明しました。下柳という男の口座とマネーロンダリングの資金先を洗って、そこから吐かせました」一言で言ったが、大変な作業量である。審問官が上級の田中を信頼している理由は、この仕事ぶりのおかげだったりする。そして、文書回してるから署長は知ってるはずだった。
「黒いな」
「可能性は高い。できれば、こちらの案件に応援願いたい」
それが、この本屋でのトークイベントである。
「こちら佐々木。一時間前に現場の裏口から入場した。既に中にいる」
青木の2期上の先輩、杉本から連絡が続いた。
「先ほど、このビルの裏門駐車場から上野銀行の副社長、上野正臣《うえのまさおみ》を確認。周りに要人が3人」
息を呑んだ。青木は佐々木に釘を刺した。
「声が漏れてる」
三宅は「なるほどねぇ……! でかした杉本。これは、思ったよりもでかい収穫になりそうだな」
店内にアナウンスが流れた。「青木です。トークイベント始まります」と述べ、青木は、イベント用のミニスペースに向かった。
青木は、相手から悟られないように、棚の後ろに隠れながら、話を聞きながらメモを取った。
青色のスーツで、すらっとした体型に、キッチリとしたポマードで四角い眼鏡の男がいた。藤本狂一郎である。アドバイザーというよりも、気鋭の起業家といった風貌だ。
トークテーマは「狂気と未来の教育について」「不適切な保育を起こさないようにするには」「狂気は人類の進化の過程」など、陳腐なものだった
青木は考えた。
上野銀行が資金供給をしているのであれば、ここから一気に叩ける。自分たちが追いかけているものは、とても大きいのではないか。
「青木、今、ターゲットは?」
「トーク中。予定より10分押している」
『ご来場の皆様、大変お待たせいたしました。それでは、サイン会に移りたいと思います』
司会の女性の大声のアナウンスが響いた。
ドン。青木の後ろから人がぶつかった。
「あ、すみません」と後ろから低い声がして、青木は反射的に「え……? いや」と答えた。
青木は、その背中を見つめ、客に紛れる男を見た。灰色のコートと帽子を被った男。一瞬だけ見えた横顔。もしかして、あれは、前回の逮捕の時、上野銀行側にいた側近か……?
報告すべきか…? ただ、確証は無い。不安要素ではある。
『それでは、お配りした整理番号に順に並んでいただきます。一人30秒としております。写真撮影はご遠慮ください……』
司会の声が通信を遮った。
その時、紛れた男がコートの内側に右手を忍ばせ、何か黒い筒を取り出した。彼のぶら下がった左腕には何も身につけていないことを、青木は見た。まずい。走り出した。先に空気が抜ける音がした。
発煙弾から、大量の煙が撒かれ、あっという間に周りが見えなくなった。
青木は、相手のいた場所まで走ったが−−見失った。青木の左腕の時計が1回震えた。
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