第14話:陽毬と映画館④

「ごめんね、れいくん。ずっと伝えてなくて」


 イオン1階のマックで陽毬ひまりが頭を下げる。(マックも陽毬がオーダーしてくれたのだが、その話はまた別の機会に)


「いや、いいけど……。でも、陽毬は分かってたのか? どうして?」


「伶くんとずっと一緒にいるんだもん。分かるよ、それは」


「俺自身が分からなかったんだけどなあ……さすがに陽毬より俺の方が俺と一緒にいると思うんだけど……」


 もはや哲学の域に入っているそんな反論をすると、陽毬はなぜか笑って否定する。


「あはは、そんなことないよお。おかしなこと言うなあ、伶くんは」


「そんなことないんだ」


 うーん、どういう理屈なんだろうな……。


「でも、教えてくれても良かったんじゃないか? ……聴覚過敏なんだろ? 俺」


「そう、なんだけど……」


 陽毬は困ったように少しわきを見てから、


「……伶くんが一緒にアニメ見てくれなくなるのが嫌だったの。大きくなってからは、音響の仕事を目指すのを辞めるのが嫌だったの」


 と申し訳なさそうに、言い訳みたいに口にする。


「……そっか」


 そんなことを言われると、頷くことしか出来ない。


 と、陽毬が不安げに首をかしげた。


「……辞めちゃう?」


「何を?」


「音のお仕事」


「辞めるわけないだろ、そんなことで」


「そんなことかあ、えへへ」


 なぜかにやける陽毬。


可笑おかしいか?」


「うん、おかしい。どうかしてる」


「そういう意味じゃないんだけど……」


「ふへへえ……」


 変な笑い方してるそっちの方がどうかしてるよ。


「でもさ!」


 陽毬は何かを思い出したように満面の笑みを咲かせる。


「観られたね! 映画!」


「……だな」


 完璧な状態ではないが、あの後、ヘッドフォンのおかげで、映画を最後まで鑑賞することが出来た。


 ヘッドフォンをしながらだなんて、製作陣のみなさんに対しては本当に申し訳ない見方だったとは思うが、俺個人としては観られないよりはずっとありがたい。話題になる映画ほどロングランになるため配信に下りてくるまで時間がかかるものなのだ。


 まあ、子供が防音用のヘッドフォン(イヤーマフ)をしてロックバンドのライブを観るのと同じだと考えればそんなに悪いことでもないのか……? お金を払ってないわけでもないし……うーん、でもどうなんだ?


「ヘッドフォンしてたら、イベントも来られるかな?」


 逡巡する俺に、陽毬がその先の話題を投下する。


「うーん……。かもしれないけど、客席でヘッドフォンしてるやついたらさすがに迷惑だろ? 周りの士気が下がるというか……」


「うう、それはたしかに……」


「あ、耳栓でもいいんじゃないのか?」


「だめだよお、耳栓じゃ全部聞こえなくなっちゃうし。ノイキャンのヘッドフォンだから、声は聞こえるんだもん。それに、耳栓でも結構目立つよ? 周りの……しき? テンションは下げちゃうかも」


「そうか……。じゃあ、やっぱり今回は配信で見るかなあ」


 陽毬の初舞台だから生で観たい気もするけど。


「うーん、うーん、ヘッドフォンをしててもおかしくないところがあればいいんだけど……


「なんだそれ……最後列でも隣がいたら無理だぞ?」


「分かってるよお……えーっと……うーん……」


 ややあって、陽毬は大きな声をあげて立ち上がる。


「あっ、そうだ!!!!!」





 ……ということで、イベント当日。座らせてもらってるのが……。


「すみません、こんなところに……」


「いえいえ、むしろ配線とか手伝ってもらっちゃってすみません」


「とんでもないです、楽しかったです……」


「楽しかったんですか……」


 関係者席……どころではなく、ライブの音響を調整するPA卓の真隣まどなりだった。


「このマイクで指示を入れられるんですか?」


 俺は卓上に置いてあるスタンドマイクを指差して質問する。音響魂がうずくというものだ。


「そうですね、こちらのボタンで、玉川たまがわさんにだけ、北沢さんにだけ、と分けることも出来ます」


「へえ……!」


 その時、ブー……と間もなくの開演を示すブザーが鳴る。






 ゲームコーナー、朗読劇コーナー、クイズコーナー……。


 つつがなくイベントは進行していく。


 しかし、事件は後半のカラオケコーナーで起こった。


 2人の選んだ曲は、以前話題に上がった『かたき / ミミ(CV.竹中たけなか詩織しおり)』。


 これをミミとリリカに見立てて2人で歌おうということらしい。


 どうやら、陽毬自身が歌が得意でないことはどこかで伝わったのようで、今日はキャラソン縛りで行くようだ。


 ヘッドフォン越しにも2人の歌が響く。玉川さんの歌声も、どこか懐かしい感じのする音で、大変に素晴らしい。


 だが、しかし。2番のサビ前あたりで、異変に気がついた。


「あれ、玉川さんのマイク……」


 誰にも聞こえないくらいの音量で呟いて、疑問を確信に変えるべく、俺はヘッドフォンを外した。


 と同時、重圧。


「うおおおおお!!」「ふぁい! ふぁい! ふぁい!」「およぉおおおおおおお!!」「ふぉおおおおおお!!」「あぁああああああい!」……


 一人ずつの上げる歓声が全て別々に聞こえる。分離して、一人一人の熱量が形のある情報になって、俺の耳に届く。くら、と脳が揺れる。


 しかし、今はそれどころじゃない。


 その叫び声をくぐり、拡声されている玉川さんの声にだけ集中する。


 ……やっぱり、間違いない。


 俺はミキサー卓の前に座るPAさんの肩を叩く。「なんですか?」と俺に耳を近づける。その間も俺の鼓膜は刺激され、殴打され続けている。


「玉川さんのマイク、電池切れそうです」


 俺はなるべく簡潔に事実を伝えた。


「はい?」


「ノイズが混じってきているのと、音量がほんの少しですが減退しています」


「ノイズなんて聞こえませんけど……?」


 聞こえない? このノイズが?


「えっと、とにかく、今、ひま……北沢さんに話しかけることは可能ですか?」


「ええ? いや、今演奏中なんで……ってちょっと、上原うえはらさん!?」


「ミミ、聞こえるか」


 俺は先ほど教わった方法で、陽毬……ではなく、ミミに話しかける。


「次のサビまでにリリカのマイクが切れる」


 舞台上の陽毬ミミが眉間に皺を寄せて、こちらを見る。


「リリカの歌をよく聞いておいて」


 陽毬ミミはそっと頷き、準備する姿勢になる。


『あの日の私はただただ』


 そして玉川さんがそう歌う背後で、さりげなくマイクを構えて。




『離れ』

『ていく背中を見るだけだった』




 途中でたち消えてしまった玉川さんリリカマイクから、寸分の隙間もなく、ましてや寸分の被りもなく、あたかもはじめからそう決まっていたかのように陽毬ミミ玉川さんリリカの歌を引き取る。


 玉川さんは、『あれ?』という顔を一瞬したが、空気を読む天才である彼女もすぐに状況を理解したのか笑顔を振り撒いて、観客を煽る。


 会場が『神演出!』とばかりに反応を返す。


 そして、サビ後のDメロが終わったあと、ブレイクして音が止まるタイミング。


 ミミはリリカに言う。


『リリカ、あなたと一緒に歌いたい!』


 それを受け取った玉川さんは呆れたような、でもかっこいい笑顔を浮かべて、ミミのマイクに近づく。


 1つのマイクで2人は歌いはじめた。


 2人の密着や、文字通り息の合ったパフォーマンスに、

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」

 会場のボルテージが最高潮になる。


「……あ、やばい」


 その情報の雪崩なだれに、俺は急いでヘッドフォンを付けようとするが、手が滑ってしまう。


 ——瞬間、視界がブラックアウトした。








「もう、いつの間にそんな無理したの!?」


 気がつけば終演後。


 控室(多分陽毬の?)のソファでくらくらする頭に、陽毬の可愛い声が響く。


「いや、いつの間にって、陽毬だってこっち見てたし、アイコンタクトでコミュニケーション取っただろ……」


わたしとは・・・・・取ってないでしょ!?」


「そんなこと言われても過ぎる……」


「うううううううもおおおおおおおお……!!」


 頬を膨らませる陽毬。牛かな?


 ……しかし。


「……でも、伶くん」


 そこまで言って陽毬は周りを見回してから、俺の耳元に唇を寄せる。


「指示くれた時の伶くん、かっこよかったよ」


 いや、覚えてんのかい……。


 俺は、にへへ、と誇らしげに笑顔を浮かべる幼馴染を呆れ目で見ることしか出来なかった。

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