第13話:陽毬と映画館③

「れれれれれれれれれれれれれいくん! だ、だだだだだだ大丈夫!? ぐぐぐぐぐぐぐぐぐ具合悪くない!?」


「むしろ陽毬そっちが大丈夫か?」


 うちから徒歩10分の映画館……ていうかイオンの入り口前にやってくると、陽毬がいつもよりも少し大きいポーチの紐を固く握って俺に確認してくる。


「まだここイオンの入り口だからな」


「そ、そうだよね。そうなんだけど……」


「大丈夫だよ。俺の閉所……ていうか映画館恐怖症も、もう俺も大人だしもう治っただろ。逆にあまり怖がんない方がいいだろうし」

 

「映画館恐怖症……うん、そうだよね」


「?」


「ううん、なんでもないの」


 付き合いの長い俺には誤魔化せないほど、明らかになんでもなくない時の声音ではあるが、かと言って詮索を繰り返しても何も言わないことも分かる。


「まあ、いってみるか」


「辛くなったら言ってね?」


 陽毬はポーチの上に手を置く。


「ちょっとね、秘策を準備してきたから」





 エスカレーターで4階、いよいよ映画館のフロアにあがる。


 と同時に、たくさんの音が大音量で耳になだれ込んできた。


 複数のモニターから流れる映画の広告映像、負けじとオーダーを取るいくつものフード&ドリンクカウンター、親にジュースをねだる子供の声、グッズのショップ、中学生と思しき2人組が「うわー映画館久しぶりー」とはしゃぐ声……。


「うおお……」


 この、四方から音に詰め寄られる感覚が、映画館の苦手なところだったな、と思い出す。


 しかし、昔ほど音が鳴るたびに肩がびくっと跳ねる感覚は薄らいでいるような気がする。


 昔はアクション映画をほとんど観なかったたので、広告映像で流れる爆発音や斬撃のSE、それに付随する叫び声、怒鳴り声とかがいちいち刺激的に感じたということもあったのだろう。


 ハリウッド的なアクション映画は今も好んでは観ないが、選り好みしていたら師匠に叱られるし、ファンタジー小説のアニメ化作品などを観ているとそういったシーンは避けられないし、多少耐性がついているらしい。


「大丈夫? 伶くん」


「まあ、昔来た時よりはだいぶ」


「そっかあ、良かった……のかな?」


「良かっただろ」


 ていうか悪かった可能性あるのか?


「そ、そそそそれじゃあわたしがチケット買うからね!! 伶くんは泥舟どろぶねに乗ったつもりで任せてよ!」


「泥舟なんだ」


 ふんっ!と鼻息荒く陽毬はチケットカウンターに向かう。俺も別にここで待っている必要もないのでついていく。陽毬のその気持ちは素直に嬉しい。


 ちなみに、その時にネットでチケットを取ろうかと話したものの、そこはいつもの研究という意味合いと、2人とも会員登録をしていないのでむしろ現地の方が楽なのではないかということになり、チケットカウンターに並んだというわけだ。


 実際リアルで買う人が少ないのだろう、昔はここに長く並んだような気がするが、今日は全く待つことなくカウンターまでたどり着くことが出来た。


「こここここここここんにてゃチケット2枚ください!!」


 こんにてゃ。


「はい、どちらの」「15:20から始まる『ぷかぷかジェリフィ』です!!」


 食い気味に答える陽毬。


『ぷかぷかジェリフィ』はクラゲのジェリフィくんが海の仲間と一緒に過ごしているゆるふわな日常をお送りするアニメ作品の映画版だ。


 映画の時間が1時間20分と比較的短いのと、子供向けなので刺激的なシーンが少なそうだという理由で陽毬が選んでくれた。いつの間にかそんな気遣いが出来るようになって……。


「『ぷかぷかジェリフィ』ですと、5番シアターとなっておりまして、座席はこちらが空いていますが、どちらがよろしいでしょうか?」


「席を選べるんですか」


「? はい、選べますよ? 前方と後方どちらがよろしいでしょうか?」


「前方って……あのあの、前売り券も買わないでこんなこと言ったらすごくいやしいと思われちゃうかもなんですけど……最前列も選べるんですか? 今、空いているという表示に見えるんですけど……」


「ええ、一応選べますが……」


「あ、やっぱり追加料金とかかかっちゃいますよね。じゃないと、こんなにガラガラなはずないですし……」


「いえ、追加料金はかかりませんが……最前列をご希望ですか?」


「えええええ、本当にいいんですかあ……!?」


「こちらこそ、本当によろしいんですか?」


「それは、もう……あ、だめでした」


 了承しかけて、陽毬がこちらをちらっと見る。


「今日は、出入り口が近い席がいいです」


「? かしこまりました。出入り口がシアター最後方にございますので、それでは一番後ろの席の通路側のお席でいかがですか?」


「はい、一番後ろで大丈夫です」


「かしこまりました。一般2枚でよろしいでしょうか?」


「あ、わたしは高校生です。もう一人は一般のかたです」


 言い方。いや確かに一般のかたではあるし陽毬は芸能人だけど。


 その後お金を支払って、無事にシアターに入ることが出来た。


 入場前に、

「ポップコーンとかジュースとか買っとかなくていいのか?」

 と聞いたものの、

「伶くんの横でそんな音の出るものを食べたり飲んだり出来ないよ」

 と遠慮された。


 俺、どんだけストイックだと思われてるんだよ。




 上映前に、劇場の案内や映画の広告などが流れる。こういうのはシネアドというらしい、と専門学校で習った。


 子供向けのアニメだからか、親子連れのお客さんが多い。というか、おおきなおともだちは俺と陽毬だけかもしれない。


 まばらとまでは言わないが、満員というほどではない。最後列の右端のブロックの通路側2席が俺と陽毬だが、陽毬の右には誰も座っていないし、ちょうどいい回に来られたな、と一安心だ。


 劇場が暗転して、後ろから重い扉が閉まる音がすると、なんとなく息苦しさを感じるが、これなら大丈夫そうだ、と思った。


 思ったのだが。


 本編が始まって2、30分くらいした頃だろうか。


 子供たちが集中力を欠き始めて、一つ一つ、音が増えていった。


『ぷかぷかの人生は楽々だねぇ〜』「ねーママ」サクサク「しずかに」ボリボリ『もう、ジェリフィはいつもそればっかり! たまには』ズゴぅぅぅぅ『サメさんみたいに』ガタン、ガタン、『シャキシャキシャクシャク生きたらどうなの?』パタパタパタパタ、ガン『いやぁ〜』ドタン!『ボクには気が重いよぉ〜』ゴぉぉぉぉぉぉぉぉぉん……「トイレいきたい」ガサガサガサ「外に出よっか」トットットットット『なぁんにも考えないっていうのも』「ママぁ、このあと」『結構コツがいるんだよ〜?』「ワキャメちゃん出てくる?」『分かるわよ』ブブブブ、ブブブブ、『私には』ブブブブ、ブブブブ、「出てくるよきっと」ブブブブ、ブブブブ、タカタカ、ギィー『出来ないもの!』パタン「はい、鈴木です。ちょっと今映画を……」『だろぉ〜?』すぅ、すぅ……『褒めてないわよ!』ガチャ……『何の話してるのです?』「ワキャメちゃんだぁー!!」「しぃっ!」ガサ、パチン「しずかに!」『ワキャメちゃんも聞いてよ』ゲホっゲホッ『ジェリフィったらまた』「伶くん?」『のんびりしてデートに』ゲホっゲホッ!「伶くん……!?」『遅刻したの』『それはダメ』「大丈夫?」『ですよ、ジェリフィくん』


 段々と視界がぼやけて、意識が遠のいていく。


 ダメだ、これ、このままじゃ……。


 そう思ったその時。









 ———————全ての音が、一気に遠のいた。









 あんなにいろんな音が鼓膜を刺激していたのに、それがほとんど無くなる。


 目を開けると、弾力のある暗闇。


 ……気づくと俺は陽毬の胸の中にいた。陽毬の着ているパーカーの生地が俺のまぶたを撫でる。


 顔面を圧迫するその柔らかい感触とは別に、両耳を何かが塞いでいるのに気づいた。


 これは……ヘッドフォン?


『ちょっとね、秘策を準備してきたから』


 さっきの陽毬の言葉を思い出す。


 恐る恐ると言った感じで俺は自分の耳に触れると、それは、陽毬がいつも使っているノイズキャンセリング機能付きのヘッドフォン——俺が初任給で陽毬に買ってやったヘッドフォンだった。


 そのヘッドフォンは雑音をカットし、そうではない音はしっかり耳に届けるような構造になっている。


 ヘッドフォンに口づけするほどの近さで、陽毬がささやく。


「大丈夫だよ、伶くん」


 その声は、弱った俺には甘く、柔らかく、全ての緊張を解きほぐすように優しく響く。


「わたしの声だけ聞いて」

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