第12話:陽毬と映画館②
* * *
「ちっちゃい頃映画館に連れて行ってくれた時、倒れちゃったもんね」
わたしがそう言うと、
「よく覚えてるな、そんなの……」
と、バツが悪そうに
そんなの、覚えてるに決まってる。
わたしは、あの日から、伶くんがこわいんだから。
伶くんは、昔からとんでもなく耳が良かった。
この場合の『耳が良い』っていうのは、『聴力が高い』とか『遠くの音が聞き取れる』とかそういう意味じゃなくて。
伶くんは、『耳から入ってくる情報を人の何十倍も解像度高く取り込むことが出来る』。
例えば、マンションの前の小さな公園で遊んでいる時、遠くから帰ってくる車のエンジン音を聞いただけで、どこの部屋の誰が帰ってきたか分かってたし、伶くんのお母さんがお菓子を買ってきてくれた時に、そのビニール袋のカサカサ音だけで何のお菓子か当てることが出来た。
わたしは伶くんがそうやって音で何かを言い当てるのを見るたびに、大人になるとそういうのが出来るようになるんだなあ、なんて思っていた。
でも、その話をわたしのお母さんにした時、
『すごいね、伶君は天才かもしれないね』
と驚いていたのを見て、どんな大人もそれが出来るわけじゃないんだと知った。
アニメを見た後にも、伶くんはいつも熱っぽく話をする。
「桃子の『待ってよ修一郎』ってセリフの息吸うタイミング、『待ってよ / 修一郎』じゃなくて、『待って / よ修一郎』ってなってたのが、桃子の必死さが伝わってきたよな……」とか。
「背景を走ってる車のエンジン音が普通車じゃなくて軽自動車っていうのが地域の感じがして良いよな……」とか。
「挿入歌、ギターが4本も入ってたんだな。メンバーに4人もいるのかな?」とか。
そういうネジが外れたような発言を毎回のようにしていた。
その発見を繰り返し聞かされれば、わたしもそういうことに興味を持つようになるし、伶くんの耳に
何よりも、音の情報を強く感じ取れる伶くんは、いつもアニメを観ている最中、物語の世界にいるような表情をしていた。
すべての音が温度や湿度や感触を持って届いているんだ、すごい……と今なら言葉にすることが出来るけど。
当時のわたしは、単純に伶くんが物語の中に入ってしまったような気がして怖かったし、わたしも物語の中に入りでもしないと伶くんと会話が出来ないような気がしていた。
わたしは、物語の登場人物になりたかった。
ある日のこと、
「伶くん、わたし、この映画見たい」
帰りの遅い伶くんのお母さんに頼まれたおつかいをしに2人で近所のイオンに買い物に行った時、壁に貼ってあった国民的アニメの映画版のポスターを指差して、そう言った。
「んー、映画かあ……」
「いや?」
「嫌ってこともないんだけどさ。俺、閉所恐怖症らしくて」
「へいしょきょうふしょう?」
「そう、密閉された空間……もっと難しい言葉か、これ。えっと、とにかく閉じ込められるのが苦手っていうか。陽毬も押し入れに閉じ込められたら怖いだろ?」
「ひまり、押し入れの中は好き。落ち着く」
「落ち着くかあ、たしかにそうかもな……? まあ、とにかく、昔、ここのイオンシネマ……その時はワーナーマイカルシネマズだったけど、そこで映画見た時に気持ち悪くなっちゃって途中で抜けたことあって。それからちょっと苦手なんだよな」
「でもひまりは見たい」
「わがままかよ……まあ、もう大丈夫か。押し入れ大丈夫だし」
「うん!」
伶くんのお母さんが帰ってくるのにも、わたしのお母さんが帰ってくるのにもまだ時間がある。家でアニメを見るかここで映画を見るかの違いだって思ったんだと思う。
「じゃあ、行ってみるか」
結果から言うと、伶くんのそれは閉所恐怖症なんかじゃなかった。
伶くんは映画館でチケットを買うところから段々と顔色が悪くなって、映画が始まって30分位した頃。
……がくん、とわたしの隣で椅子から滑り落ちるみたいに、地面にうずくまる姿勢で倒れていた。
わたしは大泣きして、スタッフの人が来てくれて、伶くんは救護室みたいなところに運ばれて行った。
少し安静にしていたら治ったらしい伶くんに手を引かれて帰る間、わたしは何度も「ごめんね」と泣きながら謝ることしか出来なかった。
伶くんは、間違いなく天才だった。
けど、ただの天才じゃない。
伶くんの耳には、全ての音が情報を持って語りかけてくる。
足音がまとまって雑音になって聞こえたりしない。Aさんの右足とAさんの左足とBさんの右足とBさんの左足とCさんの右足とCさんの左足と……って全部分離して聞こえている。
わたしなんかには聞き取れないような、……ううん、聞こえていても無音として扱っているような風の音とか、エアコンの室外機の音とか、誰かの唾を飲みこむ音とか……。
そういうのを全部まるで意味のある
後でそれとなく色々聞いてみたら、開けた場所なら、音が逃げていくから大丈夫らしい。密閉された場所でも、自分の意図した音ともう数人がいるくらいなら大丈夫らしい。
でも、映画館とかイベント会場みたいな、数十人がそれぞれにポップコーンを食べたり飲み物を飲んだり足を組み替えたり咳をしたり上着を脱ぎ着したりするような環境で、映像作品を観ていると、伶くんの脳はオーバーヒートしちゃう。
伶くんはまるで、慢性的に聴覚過敏に陥っているような状態だった。
……だから、伶くんは。
「映画館は難しいし、それに声優さんの公開収録のイベントになんて来られるはずがないよね? 今回はひとりで行けるようにがんばるよ」
そう言ったわたしに、
「でも、まあそうだよな……」
伶くんはぶつぶつと呟く。
「なんていうか、ずっと、思ってたんだけど」
逆に申し訳なさそうにわたしに伝える。
「映画、観に行けるようにはなりたくて」
「……!」
そっか、映像が大好きな伶くんなら当たり前の考えだった。
「だからさ、陽毬」
その言葉の先、
「俺を映画館に連れて行ってくれないか」
いつもと逆のお願いにわたしは喜びで全身の産毛がざわざわと逆立つのを感じる。
「……うん!!」
…………でも、わたしもあの一回しか行ったことないけど大丈夫かな?
* * *
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