第6話:陽毬とプール②

 翌日は日曜日。


 俺は陽毬ひまりと再びバスに揺られていた。


 向かう先は市民プール。手頃なところに落ち着いたものだ。


 俺は昨日2巻を読んでやったラノベの4巻の朗読をさせられているわけだが、相変わらずコンテンツの摂取にかける時間と速度がえげつないな……。これでアニメや漫画も観たり読んだりしているんだから、どうかしてる。陽毬だけ時間の流れが違うんじゃなかろうか。


 そもそも、朗読なんてことを俺が始めたのは……。


「これって、昔市民プールに行った帰りじゃなかったっけ?」


 俺は章と章の間にそっと話を挟む。もう着くから、今から次の章を読み始めると危ないし。


「これってどれ?」


「バスで朗読するやつ」


「そうなの? なんでプールの帰りにそんなことしてくれたの?」


「いや、覚えてないけど……」




 記憶を辿っているうちにバスは市民プールに着き、俺たちは券売所に並ぶ。今回も陽毬は自分で買ってみるとのこと。


「こここんにちは! チケットをください、えっと、ちゅーじん……あれ、な、なかびと?」


中人ちゅうにんですか?」


「それです」


 プールの券売機のお姉さんは、子供が来ることも多いのか、また『中人』を読めない人が多いからか、難なくにこやかに対応してくれている。


「それを1枚と大人おとな1枚でお願いします」


「はい、合計2200円です」


 ちなみに、券種の場合の読み方は『大人だいにん』『中人ちゅうにん』『小人しょうにん』となる。アクセントを含めて正しい読み方を知らないといけない音響の仕事に就く際に学んだことではあるが、実際これを『大人だいにん』と言う人の方が少ないだろうから、結局アニメとかでどっちで読むかという話になっても大抵は『おとな』と言うことになっている。


 なんていう豆知識を頭の中で披露しているうちに陽毬は俺の渡した財布で会計を終えた。財布は返してもらい、門をくぐる。今日は結構楽勝だったな。


 入場すると、コインロッカー式の更衣室 / シャワーがあって、そこで着替えるとその先のプールゾーンに行けるようになっている。


「じゃあ、プールゾーン向こうで待ってるから」


「うん! 水着着てきたから、すぐに行くよお」


 スカートをめくって見せようとするので、


「分かった」


 陽毬の腕を掴んで止める。


「なんで?」


「なんでもだ」


 ……別に水着自体は見ることになるんだろうから本来問題はないんだろうけど、スカートをめくって見せられるとなんとなく話は別な気がする。


 コインロッカーに入って、水着を着てきた俺はTシャツとズボンを脱いだら、一応水泳帽とゴーグルと持ってビーサンに履き替えてプールの方に行く。泳ぐだろうから、スマホはとりあえず置いて行こう。




 が、しかし。


 待てど暮らせど陽毬が出てこない。水着着てきたんじゃないのか。



「…………あ」



 と、そこで俺は一つ思い当たり、あわててロッカーに戻り、財布を取って券売所側のロッカーの入り口に戻る。


「伶くん、ごめん……」


 泣きそうな顔の陽毬が俺を待っていた。


 何でも全部電子決済の世代(?)の陽毬は、小銭を持ってきていなかった。コインロッカーを使うことが出来ず、かと言って荷物を持ってプールゾーンに入って良いのかもよく分からず、中で右往左往した結果、元のところに戻って待っていたと言うことだろう。


「でも、伶くんラインしたのに出てくれなかった……」


「ああ、すまん、泳ぐからと思って置いてっちゃったんだよ」


 言われて、今掴んできたスマホの画面を見ると……。


陽毬『伶くん』

陽毬『100円ない』

陽毬『ねえ』

陽毬『伶くん』

陽毬『読んでほしい』

陽毬『ねえ』

陽毬『100円ない』

陽毬『伶くん?』

陽毬『ねえ』

陽毬『伶くん』

陽毬『伶くん』

陽毬『伶くん』

陽毬『伶くん』

陽毬『伶くん』

陽毬『伶くん』

陽毬『伶くん』

陽毬『伶くん』

陽毬『伶くん』

陽毬『伶くん』

陽毬『伶くん』

陽毬『伶くん』

陽毬『伶くん』

陽毬『伶くん』

陽毬『伶くん』

陽毬『伶くん』

陽毬『伶くん』

陽毬『伶くん』

陽毬『伶くん』

陽毬『伶くん』

陽毬『伶くん』

陽毬『伶くん』

陽毬『伶くん』

陽毬『伶くん』

陽毬『伶くん』

陽毬『伶くん』

陽毬『伶くん』

陽毬『伶くん』

陽毬『伶くん』

陽毬『伶くん』

陽毬『伶くん』

陽毬『伶くん』

陽毬『伶くん』

陽毬『伶くん』

陽毬『伶くん』


「……いや、怖いよこれ!」






 ということで、100円玉を渡した陽毬|(メンヘラのすがた)は今度こそすぐに着替えてプールゾーンに出てきた。


「ああ、なるほど……」


「なるほどって?」


「玉川さんの言ってることが分かった」


 陽毬の着ていた水着はグレーのもので、片方が肩にかかっていて、片方だけオフショルダー(?)みたいな、要するにあまり谷間が見えないようになっているやつだ。


 たしかに、これならスク水みたいな変な属性もないし、かといってビキニのような扇情的な感じもしない。何より陽毬に似合っている。


 が、しかし。


「玉川さんの言ってることが分かった」


「何で2回言うの? だいじなこと?」


 玉川さんの『……上原さん、世界って不公平だと思いません?』『陽毬ちゃん、あんなに小柄なのに……なんで……なんでだと思います?』という言葉も同時に思い出す。


 いつの間にそんなに成長してたんだ、と思った時には、俺はそっと視線をそらしていた。


『え、じゃあそういう目で陽毬ちゃんを見てるんですか?』


 そうじゃない、そうじゃないんですけど、単純に血縁者じゃない女子高生の水着姿を見るのは多分犯罪なんですよ、玉川さん……。


「伶くん? どうしたの?」


「いや、別に……陽毬、それで、何したい?」


 いや、そりゃプールに来たんだから泳ぐしかないだろと思うところだが、しかし、相手は北沢陽毬。


 彼女はカナヅチだった。


 となると、泳ぐという選択肢はないかな、と思ったのだが……。


「…………水に入る」


「お。泳ぐのか?」


「泳ぐとは言ってないよ? 水に入るだけ」


 それでも陽毬にしてはかなりの勇気と言えるだろう。


 水に慣れるために子供用の浅いプールに行くことも考えたが、さすがに大きなおともだち感が強いため、25mプールへと向かう。


 半分は本気で泳ぐ人用、もう半分は遊ぶ人用になっており、当然遊ぶ用に入ることにした。


 俺が先に着水して、陽毬を見上げると。


「ふええ……」


 いかにも二次元キャラみたいな声を出して、爪先だけをおっかなびっくりちょんちょんと水につけている陽毬。


「伶くん……」


「どうした?」


「わたし、泳げないんだよお……!」


「知ってる知ってる」


「わたしが溺れたら、助けてくれる?」


「当たり前だろ」


「絶対?」


「絶対」


「約束だよ?」


「約束だ」


「ほんとうに?」


「……そろそろ頑張れ?」


 業を煮やした俺の言葉に、陽毬は固唾を飲んで、おそるおそるプールに入る。


「つめたい……!」


「おお……!」


 入れたじゃん! すごい!


 と、思った瞬間、すぐさま俺に正面からしがみついてくる。


「……!?」


 いやいやいやいや。え、まじか……。


 その時、俺も意識したことのなかった、むしろ意識したくなかった膨らみが俺のみぞおちあたりを柔らかく刺激する。


 反射的にそちらを見ると、真上からのみ見えるであろうその谷間が強烈に網膜を攻撃してきた。


 目を閉じて、今視界に入った画像を散らすべく、眉間を揉む。


 嘘だろ、陽毬……。


「ちょっと陽毬、あんまりくっつくな……」


「伶くん、わたしに死ねって言ってる……?」


「俺が社会的に死ぬかもって言ってる」





 結局そのあと15分くらい経った頃、


「もう出てもいい?」


 と陽毬は俺になぜか許可を取り、プールサイドに上がる。


 そのまま歩みを止めず、ロッカーに入ったかと思うと、タブレット的な端末を持ってきた。


「じゃーん! これ、防水機能付きKindle Paperwhiteだよ」


「え、泳ぐのやめたのか?」


「プールサイドで読書だよ? セレブでしょ?」


「市民プールだけどなあ……」

 

「…………」


 あ、この一瞬で物語の世界に旅立ってしまった。


 こうなっては仕方ない、と俺は横に座ってコーラを飲んだ。



 …………それから1時間ほどが経過した。


「……陽毬、そろそろ帰るぞ」


 画面を見て、章と章の隙間で声をかける。


「もっと読みたい……」


「あー、それでか……」


 俺はきっとかなり昔に陽毬に言ったことをもう一回言う。


 朗読のきっかけになった一言だ。


「続きは俺がバスで読んでやるから」


「……うん!」


 陽毬もまたその日のように満面の笑みを浮かべる。




 バスに乗り、約束通り続きを読んでやっていると、とん、と俺の右肩に柔らかい重力が乗ってくる。


 見やると、陽毬が寝息を立てている。呼吸に上下する胸元。


 ……なんか、めっちゃ夏だなあ。



 と、その時。


 師匠からメールが届いた。


大蔵さん『お前の幼馴染が出てるあのアニメ作品、円盤用の特別OVA制作が進んでるらしい。水着回だとさ』

上原伶『キャラは誰が出るんですか?』

大蔵さん『メイン3人と山津ユリハ』

上原伶『人気ですね……』


 俺は隣にいる陽毬を見る。


 ……この穏やかな表情で眠っている陽毬が収録の時にあんなことになるとは、思ってなかったけれど。


〜『陽毬とプール③』に続く〜

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