第4話:陽毬と相合傘

「え、相合傘あいあいがさ、知らないの!?」


 玉川たまがわ瑠璃るりさんの生配信番組『タマにはゆルリと!』で、ホストMCの玉川さんが素っ頓狂な声を上げる。昔流行ったおまじないの話をしていたところだ。


 俺はスタジオの廊下の溜まりになったところで晩飯を食べながらスマホで配信を見ていた。陽毬ひまりもすっかり準レギュラーだなあ。


「し、知ってるんですよ!?」


「えー本当かな? じゃあ、やったことある?」


 意地悪な顔してるなあ、玉川さん。


「や、やりかたは、しらないですけど……!」


「やり方とかないよ! 出た、天然記念物キタザワヒマリ!」


「うう、動物みたいに言わないでくださいよお……!」


 まあ、知らないだろうな。

 

 小学生時代から陽毬はコンテンツの消費に忙しかったため、休み時間はずっと図書館で借りた本を読んでいたらしい。


 玉川さんは「まじかー」と、ちょうどそこにあったスケッチブックに、上矢印のような相合傘のイラストを書いて、その傘の下に『ひまり』『るり』と書く。


「こういうの、見たことない? こうやって書くと2人がカップルになれるっておまじないなんだよ」


『なんで俺の名前はルリでもヒマリでもないんだ……』『ちょっと明日改名届出してくるわ』『百合の相合傘尊い』と白い文字が流れていく。


「へえー……。でも、書くだけでカップルになるとかそんなことありえますか?」


「いや、全おまじないに謝って!?」


「す、すみません……!!」


 陽毬はあわわと謝る。


「ていうか、アニメとかでも出てくるよね? 甘酸っぱいシーンとかでさ」


「はぁっ!!!」


「いや、いきなり声大きいな」


「今、やっと意味が分かりました!!!!」


 陽毬が立ち上がる。「え、やば」と玉川さんが真顔でつぶやく。


「あの青春アニメで負けヒロインが日直になった主人公とメインヒロインが並んだ黒板を見て、下唇を噛んで泣くのをこらえていたシーン、何度見返しても意味がわかんなかったんです!! 日直に一緒になれなかったのが悲しかったのかな?って思って……。でも、あれは、あの日直の2人の上に相合傘が書かれていたのがショックだったんですね! 好きな男の子の名前の横に書かれていたのが自分の名前じゃなかったから、つまり、周りから公認のカップル扱いされていたのは他の子だから、っていうことだったんですね……!!」


「うおお、語るね。ていうかその話、甘酸っぱいって言うよりほろ苦い……」


「『上矢印 名前』とかで調べても全然出てこなかったので、やっと謎が解けて嬉しいです! ありがとうございます!」


「お、おう。てか今、やっぱり知らなかったって認めたよね?」


「はい!」


「あははー、良い笑顔ダナー……」


 呆れ顔の瑠璃さんを見た頃、


上原うえはらー、ちょっといいか。この間の作品について……」


 師匠の音響監督・大蔵おおくらさんが俺を呼んだ。


「はい!」





 数時間後、帰り道。


 さっき途中で止めた配信の残りをタイムシフト視聴しながら、電車に揺られていると、今ちょうど早口言葉を言おうとして全文字噛むという芸当を見せている天才(なはずの)声優からラインが来る。


陽毬『伶くん』

上原伶『どうした?』

陽毬『おうち?』

上原伶『今電車乗ってる』

陽毬『雨降ってきちゃった』

上原伶『傘ないのか?』

陽毬『ない』

上原伶『今駅にいんの?』

陽毬『そう』

上原伶『分かった、10分後に着くから待ってて』

陽毬『うん』


 陽毬はいつも、怒ってるのかと思うくらいラインのメッセージが淡白だ。


 別に不機嫌なわけでもなんでもなく、文字でのコミュニケーションが(も?)上手じゃないだけなのだが。


 その証拠に……。


「あ、伶くん!」


 改札を出る俺を見て陽毬は嬉しそうにはにかんで笑う。高校時代に同じクラスの子にこの笑顔を向けられてたら確実に誤解しちゃっただろうな。


「陽毬、俺に駅まで迎えに来させようとしたのか?」


「まさか! 駅にいたらいいなって思っただけだよお」


 まあ、分かってて言ってるんだけど。陽毬が厚かましい系のワガママをいうことはあまりない。


「ほら、いくぞ」


 とはいえ、傘が一本しかないのは、どうしたものか。


 と思っていると。


「あ、伶くん! これも相合傘だよね!」


「ちょっと静かにしてね」


 君の声はよく通るんだから。




 新しい傘を買うのもバカらしいので、結局相合傘で帰ることになった。


 歩き出すと、俺の右側から、陽毬がもじもじしながら聞いてくる。 


「伶くん、聞いた?」


「うん」


 付き合いが長いからか、これだけのやりとりでも伝わる。


 先ほど俺も師匠から聞いたのだ。


 先日陽毬が演じた、山津やまづユリハの主人公の背中を押すシーンが話題になり、アニメではゲストキャラ扱いだったはずのユリハがまた登場することになったのだという。原作では密かな人気キャラなので、原作ファンは大喜びだろう。


 陽毬の演技がやっぱり群を抜いていたのだと思う。


「でも、わたし、嬉しいって思って良いのかな」


「どうして?」


「だって、あれ、一応代役っていうか、他の声優さんが休養したからわたしが演じさせてもらえてる話で……」


「そんなの、別に陽毬が毒を盛ったわけでもあるまいし。今後、陽毬が体調崩す時もあるかもしれないだろ? 持ちつ持たれつだよ、良くも悪くも」


「そっかあ……でも、うーん……」


「それに、今回の話は陽毬の演技が確実に評価されたって話だし」


「うーん……じゃあ、ここでだけ喜んでも良いかな?」


「? どうぞ」


 俺が促すと、小声で、雨音にしのばせるように、傘の中の世界にだけ響くように、


「やった、伶くん」


 と小さくガッツポーズを見せる。


「なんか、秘密の話に向いてるね、相合傘」


 にひひ、といたずらっ子みたいな笑い方をする陽毬が珍しくて、そっと目に焼き付けた。




 そして、その回の収録当日。


 奇しくもそれは、相合傘をするシーンだった。


 主人公が急な雨で昇降口で立ち尽くしていたところ、根は真面目なユリハが『置き傘、あるわよ』と主人公と最寄り駅まで歩くところだ。


 左で傘を持つ主人公と、右を歩くユリハ。


『アタシ、こんなコトしていいのかな……』

『こんなことって?』

『別に、なんでもないけど……』


 ここで、画面にユリハのカバンに入った折り畳み傘が映る。


『……秘密だからね』


 陽毬ユリハは、そっと口にする。


『囁く』と『喋る』の間の絶妙な温度で。


 その瞬間、スタジオには無音の秋雨あきさめが降り、陽毬ユリハの上には和柄の傘が咲く。


 帰り道、湿度、まだ明るいのにともり始める蛍光灯。


『何が?』


『うるさい、ばーか』





 その後、実際に録った声や劇伴BGMや効果音を整音して動画と同期させる作業をしていた。


「これで完成だな」


 ふう、と椅子にもたれかかる師匠に、ずっと感じていた違和感を俺は師匠に話す。


「この相合傘のシーンなんですけど……」


「ん?」


「右にPANを振るのってどうですか?」


 つまり、右のスピーカーからだけ流れるようにする、ということ。


「どうしてだ?」


 こんなに大胆な案を師匠に伝えるのは初めてだ。


 しっかりと、伝わるように、口にする。


「相合傘って……その、普通よりも近く感じるんです。傘が天井になってるから少し独特の響きをするし……ここって、ユリハが秘密を主人公とだけ共有するシーンじゃないですか。だから、打ち明けられる主人公の方の気持ちになって視聴者にも聞いてもらうっていうか……。ASMR的にというかフォーリー的にというか、右からユリハの声が聞こえたら良いと思うんです」


「……やってみるか」


 師匠がぐいっとつまみを回す。少しくぐもった陽毬ユリハの声が右から聞こえてくる。


「うん、いいんじゃないか。これでいこう」


「……ありがとうございます!!」


 俺は誰かさんみたいに、小さくガッツポーズをした。






 その回が放送された当日のこと。 


 陽毬はうちのリビングでジェラートピケのパジャマ(これは収録から放送の間に買いに行ったのだが、また別の話)を着て珍しくスマホを見ていた。


「『ユリハと相合傘本当にしてるみたいでどきどきした、演技力神すぎるだろ』『ひまりん、普段のぽわぽわした感じがなくてかっこいい』……」


 相合傘のシーンはSNSで話題になっているらしい。褒められている投稿を読みながら、なぜか陽毬は口をへの字にしている。


「エゴサとかするの珍しいな」


「エゴサじゃないよお、伶くんサーチだよ」


「俺の名前で検索してんのか?」


「じゃないけどさ、でも見たいのはこれじゃないんだよお」


「どういうことだ?」


 俺が眉根を寄せると、むう、といいながら陽毬も眉間に皺を寄せていた。


「伶くんのアイデアが褒められてない!」


「なんだそれ」


「何で笑ってるの?」


 俺が評価されてなくて不満げな陽毬と、


「別にいいんだよ。俺は裏方だから」


 自分の機転が陽毬の評価にちゃんと繋がっていて嬉しい俺がそこにいた。

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