「あんたがたどこさ」の主題による幻想詩
梶浦ラッと
-通常版-
「あんたがたどこさ……」
山の狩人はそう口ずさみながら目を凝らすも、狸を見失ってしまった。
「くそう。逃したか」
山の狩人は手に持った猟銃を肩で支え、格好つけて舌打ちをした。その後に溜め息をする。
「今日の晩飯はご馳走と思ったんだがな。ちぃと小さくはあったが、狸なんて滅多にお目にかかれねぇというのに」
刹那、気違いのように叫ぶ。
山の狩人は道を引き返そうと思い、狭い山道の崖に近い方に足を置いた。するとその足元の腐葉土が崩れ、彼は強い傾斜の中へと瞬きの間に消えた。
ふぁ、軽い音を立てて彼の居なくなった木の葉は空高く舞い、その中を狸は駆けていった。その間にも地球は彼の手をひく。
叫び声は常緑樹の子守唄にも満たず。
幾らか人体ピンボールを終えた後であろうか、山の狩人は青い空を仰ぐように五体投地していた。不意にラッパの音が聞こえたような気がして、まどろんでいた意識がぱちりとした。
「まあ、生きているだけ幸せか」
なんて呟けるほどに。
転げ落ちた際にばらまかれた山菜を拾って、腰の竹籠に少しだけ投げて、入れる。これが、漢の格好つけっちゅうやつよ。
「おっと危ない」
それはベニテングタケである。
狩人が山のほとりの村に帰ったところ、丸太に座った狩人の仲間たち三人の内の一人が声をかけてきた。
「よお、どうだったい、山の収穫は」
「熟れた果実が九つ、山菜が九種の、うめぇキノコが九個だ。九の三つセットだな」
「まあ、ぼちぼちってところか」
「んなことより聞いてくれよ……」
皆の関心が薄くなってきたことを感じた狩人は、気を惹こうと芝居気に話し始める。
「それがな、惜しくも取り逃がしちまったんだが、狸を見つけたんだよ。いやー、あれは大物だった」
逃した魚は大きいとは正にこのことである。この場合、魚ではなく狸ではあるが。
その言葉に彼らは笑う。
「狸も狩れねぇでどうすんだよ」
狩人はムッとした。
「本当に大物だったんだよ。うん、俺が両手を広げたのよりもでけぇ奴だった」
「でけぇだけなら格好の的だろ」
「いいや、もうあれは狸じゃなかった。狸の面を被った怪物だよ」
彼らの内の一人は鼻で笑う。
「化ける狸の化けられ姿ってか」
「お前らも、山へ行くときは気を付けろよ」
「へいへい」
また違う一人が、急に立ち上がって、叫び狩人に抱きついてきた。
「おいおいどうした。男が男に半べそかいてすがるとは、女房に見られたらなんて言うかな」
体裁など気にせずに、その男は腰を抜かしたまま狩人をよじ登ろうとする。
「く、蜘蛛ぉ~」
「蜘蛛だぁ? こんな小せえ蜘蛛、踏みゃイチコロだろ」
「お前はいつまでたっても蜘蛛が恐えんだな」
「お前が蜘蛛を恐れるなら、俺は饅頭が恐いかな」
皆はガサツに、「ガッハッハ」と笑った。
やがて陽は山に隠れ、村は眠った。
向こうの山頂に陽は灯り、村は背伸びをし始めた。
「よお、今日も山で狩りかい」
「乾物にする材料を採ろうと思ってな」
いつもの丸太に、一人で座っている仲間は、いつものように狩人をからかう。
「狸の怪物が恐くてもチビるなよ」
「チビらねぇよ。お前こそ、怪物が恐くて山に行けねぇんじゃねぇのか」
「ばかいえ」
狩人は背中の大籠を背負い直して、山へずんずん入っていった。
腰には猟銃一丁。
狩人の胸のざわつきとは対照的に、森の木々は風を宥めて永遠のように眠っていた。
狩人は頭上になっている赤や青の木の実をせっせともぎ取っていく。薪に良さそうな木もあればそれも籠に入れていった。
そろそろ満杯、南中が近づいてきて、腹も減ったから帰ろうと狩人は踵を返す。
「うおっ」
狙ったかのように、ごおっと風が吹いて、狩人の体をぐらっと揺らした。
未だ木霊の合唱団はざわつき、鼓動を強く強くさせる。
木の葉の舞う音がして、山の斜面の上を見る。
「なるほど」
視線の先には気高き獣。
狩人は木を二つ挟んだ先の狸とじっと目を合わせたまま、今日初めて猟銃を腰から抜いた。
踏みしめた靴底の音で、二人の時は動き出す。
いつまでも来る木の根、荒ぐ息の
森は安寧を混沌に変える者を拒む。古い大木は活発に隆起し、百足は千の隊列を成す。風は葉笛を不安定に鳴らし、キツツキが殺人斧の音を真似する。
狸は欺く。
狸へ伸ばした狩人のその手の指先が、やっと微か掠めて、「やった!」も刹那。
狩人は白濁の急流に消えた。
狩人に有無を言わさず流れるその滝のような川は、彼の全くの死角から現れ、彼を引きずり込んだのだ。
彼は必死にもがくも、手に触れるのは水と少しの泡ばかり――掴んだ!
岸か!
狸か!
木の葉である。
藁にも満たぬ、木の葉である。
やがて、ぎりぎり川の相貌を呈していた流れも滝となり、勢いそのままに狩人を宙に放った。狩人は滝壺を外れ、後頭部が鋭利な岩に刺さって、止まった。
そこに狸がやってきて、後ろ足で木の葉を一掛け。彼の周りに散らばった果物や肉を咥えて、走り去っていった。
「あいつ、帰ってこねぇな」
「何か、あったのか?」
暗くなり始めた村で、狩人のいない仲間たちは話す。
「狸に襲われたとか」
「ま、まさか、そんな恐いこと言うなよ」
「明日になってもいなかったら、山は一旦封鎖するか」
「あいつのことは残念だけど、一人を探して大勢を使うわけにはいかないからね」
今朝丸太に座っていた仲間は、足元を見つめてジリジリと蟻をすり潰していた。
そこに河沿い住みの婦人がやってきた。
「なんだい、柄にもなく暗い雰囲気で話して。あれ、一人まだ出掛けているのかい?」
「丁度そのことで、暗い雰囲気なんだよ」
「きっと俺らも狸に食われちまうんだ!」
「その人は狸に食われたって言うのかい?」
婦人は訝しげだ。
「そうだよ、見た目はただの狸だけど、少しでも逃げ遅れたが最後、見るも無惨に食いちぎられるんだよ!」
「そいつぁ恐い。皆に知らせにいかなきゃ」
婦人と蜘蛛嫌い以外の二人はひょうきんに肩をすくめた。
さて、陽が一周して、また西に傾いても狩人は帰ってこなかった。丸太の空席は静かゆえに目立つ。
村の皆は山に近づかないようにし、必要なものは近くの河で採っていた。
もう一つ空席が。
――なんだ、こんなに草だらけだったか?」
早起きをする仲間は山に来ていた。誰にも悟られぬよう、籠も何も持っていない。彼は青々しい草木を踏みながらずかずかと奥へ入っていく。
村はまだ明るくも、山には陽が差し込まない時間帯。彼は狩人を探して八方に注目しながら、ひたすらに歩いた。
しばらく捜索しても、狩人を見つけることはできなかった。
もしかしたら狩人は既に生還して村にいるかもしれないと彼は考え、道中見つけた空籠だけ背負って、来た道を戻ろうとした。
すると狸が群れて行く手を阻み、振り返ると背中側も囲まれていた。
「うわっ、やめろ、こそばゆい」
彼は狸に襲われ、籠を落とした。
しかし、今は籠に食べ物は入っていないため、狸たちの腹を満たすことはできない。
どうしても空腹が抑えられない狸たちは、そこに倒れている大人サイズの男の人間に目を付けた。
「あぁ、」
どんな叫びも、森は隠すのだった。
蜘蛛嫌いの仲間は怯えていた。狩人が消えて、早起きの仲間が山に入っていくところを見かけたきり、帰ってこずに日が暮れたことに。それにあのおぞましい狸の化物。もはや彼に心の落ち着きなどなかった。
そんな様子を心配した彼の女房が酒を出してきた。
「最近、頑張ってくれてるでしょ。これでも飲んで、ちょっとは気分を晴らしたら」
「ありがとう、じゃ、遠慮せず」
そう言うと彼は一升瓶をラッパのように一気飲みした。
「お陰で気持ちが安定したよ。ちょっと、夜風に当たってくる」
「なら良かった」
彼は外に出て、空を見上げる。
こうして星を見ていると、もっと気分が楽になる。
細くたなびいた目に、涙は溢れずに溜まっていった。
涼しい風と壮麗な星。歩けばロマンティック。
ズボンのポケットに両手を突っ込んで、散歩していると、足を踏みはずして河へ落ちた。
「冷たくて気持ちがいいな」
以上が遺言である。
朝が来て、残った一人は知る。
「あいつらは?」
村の隅から隅まで探しても、仲間はいない。そこかしこを走り回った後、彼は膝に手をつき肩で息をしていた。
「まさか、全員狸に……?」
見るにも耐えない程、彼は痩せこけていた。一昨日の見る影もない。それは村の他の男たちも同様だった。
それに引き換え、子供はすくすく育ち、女は艶やかな肌を保っていた。
「そんなこと、もうどうでもいいか。どうせ明日だ」
彼は諦めていた。それは村の他の男たちも同様だった。
それに引き換え、子供は未来を呑気に待ちわび、女は肉を昨日より多く欲していた。
「こんな饅頭も、もういらない」
「あんた、そんなご馳走があるなら渡しなさいよ。ほら」
彼は言われるがまま、饅頭を差し出した。その饅頭は見ず知らずの彼女に一口で食われた。
次の日、村のどこにも男の影はなかった。なにもしなかった者半分、逃げ出した者半分。
「ちょっと、もう肉が無いの?」
「無いったら無いの。はいはい帰った帰った」
「嘘だ、絶対この中に隠してる筈さ」
女性がクローゼットを開けると、家の主の浮気相手と思わしき男が飛び出していった。
「待て! そこの男! 新鮮な男!」
そのまま彼女は飛び出していった。
家の主は、呆然と立ち尽くしていた。
「出た、出たわ!」
不意に、どこからか甲高い声がキンと村中に響いた。
「狸が、出たわ!」
山から降りてきた狸たちは、ドタドタ音を立てて家を荒らし、子供をさらい、女たちを追いかけた。それは村一帯を遍く掃除した。
さて、村に人間はいなくなり、ただ聞こえるのは狸たちの咀嚼音だけとなった。
くちゃくちゃとした、唾液の混じった咀嚼音だった。
それを聞くものもいない村だった。
狸たちの襲来から何年も経った凪の日の話。
「ここが心スポのせんば山?」
「ジャストここね」
「ほ、本当に入るのか?」
「心霊なんて、不安から生まれる非科学的なものです」
高校生四人組は村を訪れていた。廃墟となった村は心霊スポットになっているようだ。
枯れ葉は彼らの知らない後ろで宙に舞った。
「んじゃ、暗くなる前に行こうぜ」
「レッツゴ~!」
「ま、待ってー」
高校生たちはどんどん奥へ進んでいった。
「なんだ。ちょっと赤いだけでなんもねぇな」
「赤いだけって、十分気味悪いわよ」
ガサゴソと何かが蠢く音を耳にしつつも、彼は進む。
「見ろ、この丸太が村のはじっこだな。なんだ、こんなもんか、しけてやがんの。ほんと拍子抜けだったな」
振り返り、誰も居ない。
「おーい?」
ガサ……。
「なんだ?」
ゴソ……。
「まさか、はは」
ドタドタ……。
「ああぁぁあぁ!」
彼は走り、走った。ほとんど地平線のところまで走った。
しかし、友達はどこにもおらず、あの蠢く音は消えない。
どこへ行っても消えない。
行っても消えない。
消えない。
消えない。
あぁ……。
絶望の淵で視線を感じながら、彼は言った。
「あいつらはどこだ」
真っ赤。
「あんたがたどこさ」の主題による幻想詩 梶浦ラッと @Latto
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