下卑た老爺の話

パンテオニウムには美しい神獣が棲んでいる。


その角は"歴史"をかてに光り輝き、あまねく人々を照らす。

数多の世界が闇に沈み幾多の命が夜へと還る中、唯一その国だけが神獣の加護を受けて形を保っていた。


神獣の角は光を放つたびに失われていく。

それが失われるとき、その時が神獣の死である。







神獣の巣へ至る手前の控室で、男はペンを片手に言った。


「では、貴方の"歴史"をお聞かせ下さい。無論、のこしたくない事柄については任意ですので構いません」


男の前に座る老爺ろうやは、その言葉ににやにやとした笑みを浮かべた。


「いいんですかい?神獣サマみたいな尊い方に、ワシみたいな奴の歴史を食わせちまって」


人を小ばかにしたような下品な笑い方である。

男は片眉をつい、と上げるが、平静を保ったまま老爺の問いに答える。


「歴史に貴賎きせんはありません。重要なのは長いか否か、それだけです」

「そうですかい。んなら、ワシも腹を括って話しますかいね」


曰く、老爺は小悪党だった。




老爺は、戦禍から遠い村に生まれた。

日々を怠惰に過ごし、親からの言いつけもろくに守ったことなどない。調子者で弁が立つ彼は、同じように粗忽者そこつものの大人からはよく可愛がられていた。

粗野な環境で育てば、当たり前に口をつくのは下卑た言葉ばかり。


猪口才ちょこざいな悪餓鬼を体現するといえば、彼以外に相応しい人物はなかった。


「おい、知ってるか?」


そんな老爺が青年だった時の話。


「あの野郎の墓、村の外れに置かれたとさ。あんな人目のないとこに埋められちゃ、墓荒らしにあっても誰もわかんねぇよ」

「あとで行ってみるか?物売りだったから、何か掘り出しモンが残ってるかもしれんぞ」

「墓荒らしなんて真似できっかよ、さすがに死体に唾掛ける勇気はねえよ」

「違いねえ」


どっ、と黄昏時の酒場に笑いが起こる。

女主人が雑談に興じる夫を咎めているが、酒精アルコールが入って上機嫌な男達は聞く耳を持たなかった。


ありふれた、村でのよくある一幕。


青年は仕事終わりの酒宴を横目に、酒場から出て行った。

勿論、さっきまで隣に座っていた男の、ポケットからはみ出した紙幣を抜き取ることも忘れない。

酒で酔った人間ほど、油断しているものはない。記憶だって曖昧だろうから、紙幣の一枚や二枚無くなってもどうせ疑われはしないだろう。雑にポケットで突っ込んでいるくらいだ、落としたと結論づけるのが関の山だ。


楽しそうな笑い声を背に、酒場を出た青年は早足に帰途へとついた。



さっさと自室に戻り、ランタンを持ち出す。

自分を居ないものとして扱う両親の横を通り過ぎ、青年は暗くなり始めた空の下へ飛び出した。途中、納屋に寄ってシャベルを持って行くことも忘れない。


酒場で聞いていた話を思い出しながら、村から離れた場所へ向かった。

目的はひとつ。


「死体が物持ちでもしょうがない。生きてるモンが有効に使ってこそだろ、な?」


自分自身に問うように、独りごちた。

青年の心を占めていたのは恐怖でも、ましてや後ろめたさでもない、純粋な損得勘定だ。

墓を荒らすなんて背徳と、死体がはべらせているかもしれない金品への期待。秤にかけて、後者を取っただけにすぎない。


墓場へは直ぐ辿り着いた。


青年はさっさと目的の墓の前へ行き、シャベルを突き立てた。

墓荒らしなんぞ、とは言っていたがあの大人達の気がいつ変わるかなんてわからない。そんな繊細な気遣いを持っているなんて、これっぽっちも思っていない。あれは、あの場の雰囲気で言っただけの言葉だと青年は思っていた。


そうでなければ、タダで手に入れられる物があるかもしれないのに、誰がそれを無碍むげにするというのか?


体力、筋力ともに溢れた青年が棺を掘り当てるのは、難しいことではない。

直ぐに見えてきた木の蓋を確認して、青年は下卑た笑みを浮かべた。


そこからまた暫く掘り進み、蓋が外れる頃には小さかった蝋燭の火は消えてしまっていた。

青年は躊躇いなく棺の蓋を開けた。


「おお、わりと豊作か?」


青年の目に飛び込んで来たのは、明らかに死んでいる顔色の男。

服は黒い染みが大量に付着していたが、それらは全て乾いていた。

そしてその周りに敷き詰められる、数々の品々。


「流石に金銀はそうそうないか」


大体は雑貨や衣類だ。装飾品は死体と共に埋葬するといえ、そう着飾った男でもない。

異国の意匠が施された食器や布なんかはそれなりに金になりそうだった。


「まあ、それなりにいい収穫だな……お?」


青年が不意に男の左手に目を向けた。

男の右手が完全に開いているのに対し、左手は不自然に握られていた。目敏い青年は飛びつくようにその左手に手をかけた。


埋葬していた時には硬直していただろう手は、存外簡単に緩んだ。


転がり出てきたのは、1対の指輪だった。


古い物のようで、拭いた形跡はあるが金属部分はくすんでいた。しかし、台座に付いていたのは不思議な色の石だ。

明らかにだった。


「ツイてんなぁ、誰かに取られる前でよかったぜ」


青年はニヤニヤと笑って、指輪をポケットにしまった。どこぞの間抜けとは違い、スられないようにしっかりと奥へ仕舞い込む。


使えそうな布を広げ、その上に金になりそうな雑品を遠慮なく置いて包んだ。思い残す事もなく、いつかはシケたこの村を出ようと思っていたが、それは案外直ぐになりそうだ。

申し訳程度に棺に土をかけ直し、青年は包んだ大きい荷物を背負った。


男への情けではない。

ただ、墓荒らしがあったという事実の発覚を少し遅らせればそれで良かった。


青年はさっさと自宅に帰り、今までこっそり盗んで貯めた金が入った袋を首から下げる。


「路銀としちゃ充分さ」


何より新たに得たもあった。

意気揚々と、両親がすでに寝静まった家を出た青年は町の方に向かってひたすら歩いた。





故郷から離れた町で、青年は村のときと同様に粗忽者の輪に混ざった。彼らは村の男達よりガラも悪く、犯罪者まがいの荒くれ者も多かった。

しかし、青年は持ち前の舌先三寸で直ぐに彼らと打ち解けた。


持ち歩いてきた荷は、青年の見立て通りそこそこの金になった。少しずつ売り捌きながら、青年は粗末な寝屋を得て生活の地盤を築いた。

ときには"仕事"をして余剰に稼ぐこともあった。


「ねェ、もっと綺麗なトコに住みなよぉ」

「要らねぇや。維持する費用がもったいないだろう?寝床と、屋根。その二つさえあればいいんだよ」

「ケチだねェ、こんな汚ったない家……本当ならもう二度と来ないとこだけど」


纏まった金があれば、それなりの生活は成り立つし、適度な贅沢もできる。路地で果てていく浮浪者や商人崩れを横目に、毎日酒を呑んだし、肉を食べたし、浮いた金は、女を買うのに使った。



青年は、下卑た性根が顔に滲み出たままの男に成長していた。顔立ちは良くないが、口の巧さと金払いの良さで彼を気に入っている者は多かった。


硬い寝台の上で睦言を交わしながら、男は女に意地悪く笑ってみせる。


「じゃあ二度と来ないでもいいぞ?」

「もぅ……軽口に決まってるじゃない」


女は膨れっ面で男の胸に顔を寄せた。女は上玉ではなかったが、その愛嬌は男の気に入るところだった。体の相性もとても良く、実際、暫く別の女を買うつもりはなかった。


愛情とはまた違う、愛玩に近い感情。


「それにしたって、今日は特に羽振りがいいよねェ。なんか大口の仕事でもやってきたの?」

「そんなとこさ。なんと言っても俺ァ運が良いからな」


男の言うように、彼はとても運が良かった。

粗忽者たちの仲間に入り込めたのは彼自身の能力だとしても、それ以降は降って沸いたかのような幸運に身を助けられた事が何度もあった。

リターンは高いがリスクも高い"仕事"を任されるときが何度かあったが、彼が参加するたびに、その仕事は最高以上の成果を出して終わった。

後ろめたいような事が殆どでも、今まで役人に追われた事は一度もない。


彼は幸運を呼ぶ男として重宝されたが、男自身は自分の気にいる案件にしか首を突っ込まなかった。


男は右手で女を抱き寄せながら、左手を灯りに掲げた。

人差し指と小指に鎮座する指輪が、ランタンの光を受けて鈍く輝いている。


墓から貰ってきた殆どを売り捌いたが、その指輪だけは気に入って手元に置いていた。

石の種類が分からなくて鑑定に出したこともあるが───結果は不明。ただ、宝石でないことだけは確かだ。1番の値打ち物だと思ったのに、ただの石とあってはそこまで売れる物でもない。


綺麗なフリをしてその実、宝石でもなんでもないただの石を付けたこの指輪が、途端に可愛く思えたのだ。


「いっつも付けてるけどさァ。昔の女のか何か?ペアのモンでしょ、それ」

「さぁ?どう思う?」

「まぁ、あんたガタイはヒョロいからねェ。女モンでも一緒に付けていられるから良かったじゃん」


どうやら女は見事に勘違いしたらしい。

嫉妬心を隠そうともせずに、そっぽを向いた顔は顰められていた。束縛は男の嫌うところであったが、事この女に関してはそうでもない。飼い犬が不貞腐れているようにしか感じられなかった。


「ただ昔に"仕入れた"だけのモンさ。気に入ってたから売らなかったけどな」


そして、女の言った通り実入りのいい仕事を片付けてきた男は、本日殊更に機嫌が良かった。


「やるよ」

「えっ」


男は小指から指輪を抜き取って、女へ差し出す。

飼い犬に首輪をくれてやるのも、たまには良いだろう。

指輪のことを気に入ってはいたが、ずっと手元に置いておきたいわけではない。それよりは女の機嫌を取って、今後とも都合良く使い回せる方が断然有効だ。


「要らないのか?」

「い、要る!要るよ!」


慌てて受け取った女が、指輪を灯りに翳して頬を染めていた。

指輪を渡すという行為がどのような意味を持つのか、分からないわけではなかったが……自分のような男が、情愛でそんなものを渡すと思っているのだろうか?金で買ってる女に?


「嬉しいなら、暫くサービスくらいしてくれたって良いよな?」

「その為にくれたワケ?……別に良いけどね、アンタ以外にアタシを買う男なんてそう居ないし」


艶然えんぜんと女が笑うが、その声には隠しきれない喜びが滲んでいるのに男は気付いていた。

まったく、単純な女だ。

男は声に出さず、そんな女の様子を笑いながら眺めていた。




金銭を交わさず情を交わして十数年。

女は男にとって実に都合のいい駒になっていた。

自分を内縁だと思い込み、様々な方法で男の役に立とうとした。男が他の女を買わない事が、更に女の思い込みを加速させていたのだろう。

彼女が体を売った際に得た情報はとても役に立った。男が身を立てれば立てるほど女はさらに献身的になり、やがて男は女を疎ましく思うようになっていた。

度を超えた情を向けられるのは、男にとってこれ以上ないほど煩わしかったのだ。

元々、良くもない器量は中年に差し掛かる頃には更に衰え、男が気に入っていた愛嬌も失われていたことも原因かもしれない。


男はあっさり女を捨てた。


「なんで!なんでさ!?あんなにアンタに尽くしたじゃないか!?」


身を立てるほどに増えていった下っ端に女を捨てに行かせた。

あの指輪だけではない、十数年の分の手切れ金としてしっかりした宝飾品まで渡してやったのに、面倒な女だと思った。


「明日は久々に大口の盗みだ。役人どもの動きには十分気をつけといてくれよ」

「そう言ったって、アンタが悪いことする時には、不思議と役人が別事で出払ってんだ。今回もその運の良さにあやからせてもらうさ」


女の叫びをバックに、男らは笑った。

今回もいつものようにさっさと盗る物を盗って逃げて、別の町で売り捌く役割の者に渡して、素知らぬ顔で売上を待つだけだ。


そのはずだった。


「くっそ、なんでだよ畜生が!」


その日に限って、盗みに入った場所には役人が大勢配置されていた。

今まで男らの尻尾を掴めずヤキモキしていた彼らは、ここぞとばかりに男の仲間を捕らえて行った。


うのていで逃げ出した男は、なんとか追っ手を振り切ったものの、孤独に路地で身を隠していた。

仲間を置いて逃げ出したのだ。家の情報など、バラされているに決まっている。


「畜生、畜生、なんでだ?誰かが裏切ったか?」


考えてもキリがなかった。

綺麗なことなんてしてこなかった。恨みなど、数えきれないほどには買っている。


とりあえず、この町を離れなくては。


立ち上がった男の腕を、不意に誰かが引っ張った。


「お願いします、なにか、少しでもお恵みを」


汚らしい子供が、男の手にしがみついていた。

ただでさえ全てを失ったばかりなのに、他人にたかられて男は苛立った。


振り解こうとするが、子供はなかなか離れない。


「お願いします、お願いします!」

「触ンじゃねぇ!!」


なりふり構わず手を振り回せば、ようやく子供は路地の脇に吹き飛んで離れた。

肩で息をする男が掴まれた手をさする……と、何か違和感に気付いた。


指輪が、なかった。


男に残された最後の財産ともいえるそれがなかった。子供が掴んだときに握っていたのだろう。ならば、彼と一緒に吹き飛んでしまったのだ。


「おい、テメェ!」


声を荒げて子供に掴みかかろうとしたときだった。


「見つけたぞ!確保しろ!」


男の体が複数の手によって地面へ押し付けられた。


頭から足の先に至るまで押さえられて、指一本すら動かせない。男はもがいたが、のし掛かる役人たちはびくともしなかった。


まさかこんなところで終わるとは思っていなかった。

こんな唐突に全て無くすなんて。


「ふざけンなクソッタレがあああ!!」


男が最後に見た空は、皮肉なほどに星が美しく瞬いていた。





「あとは牢にぶち込まれて、今朝神獣サマに歴史を食わせろっつって今に至るというわけでさァ」


老爺は肩を竦めた。

相変わらずニタニタと下卑た笑みは張りついたままだ。


ペンを紙の上に滑らせた姿勢のまま、男は視線だけを老爺へ向けた。

今の歴史を聞いていても、彼が自らの人生に対して一切反省も後悔もしていないのはよくよく理解できた───いや、最後にしくじったことだけは、例え老爺といえど後悔しているだろうか。


「それで終わりですか?」

「つれねェですな、歴史官サマは。ワシの話を聞いて、なんか感想でもないんですかぃ?」

「特に何も。聞いたままに書き記すのが私の役割ですので」


初めに老爺へ言ったように、歴史に貴賎はない。


だが、それを紡いだ人間が咎人かそうでないかは男の態度を左右する大きな一因と言えよう。

男はたったいま書き終わった老爺の歴史を束ねて、机の端に置いた。


「最後に……この"歴史"をどう扱いますか?身寄りがないようですので、公衆の保管所に預けない場合は破棄されますが」

「ンじゃあ残しといてくだせェ。折角喋ったんだ、勿体無いことは避けたい主義でしてね」

「お望み通りに」


簡潔に答えて、男は巣に至る扉の前にさっさと老爺を案内した。牢屋はおとなしくついて来ていたが、扉の前で唐突に口を開いた。


「神獣サマが死んじまったら、この国も終わるんだよな?」

「それがどうしました?」

「聞いただけさ」


老爺は笑って、男が開けた扉をくぐっていった。





森を模した、緑溢れる巣の内部。


男が窓から見ている目の前で、老爺は年齢に見合わぬ速度で神獣の背に乗った。


鹿や馬にも見えるその背は、さぞや乗りやすかったに違いない。人間に似た上半身の首に、そこらから拾って来たのか太い蔦を巻き付けて、老爺は叫んだ。


「神獣サマが死ンじまったら、国が終わるンだろう!?ほら、こいつの命が惜しければ、さっさとワシを外に出せ!」


窓越しに、そんな要求が聞こえた。


窓からその様子を眺めて、男は嘆息する。

そこに焦りなど僅かたりとも存在しない。


神獣の首が傾ぐ。

明らかに人間ではあり得ない角度で後ろを向いた神獣の顔が、老爺を真正面から見ていた。


老爺の戸惑ったような悲鳴。





神獣の角が眩く光り輝き───



その光が収まった頃、老爺の形は完全に"失われて"いた。


「……お前のような考えの者もいると分かった上で、そもそも神獣と咎人を2人きりにはしないだろう」


男の呟きは、もはや牢屋に届かない。


先ほどよりも明らかに伸びた神獣の角を確認して、男は満足そうにその場を離れたのだった。

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