f 最後

大会当日。そわそわした俺は少し早めに来て時間になるのを待っていた。誰もいなかったが、事前に将棋盤と座布団が何セットか用意されていた。


 いつもの端っこに座っていると、続々と参加者が入ってきた。年配の方がいたり、子供がいたり、スーツ姿の人がいたり、様々な人が参加しているようだ。その中には海月の姿も見えた。


「ちゃんと来てくれましたか」


 彼女は俺の近くに座って話しかけてきた。人がいるからか、いつもより小声だ。


「まあな。代わりに、次の対局は絶対に手を貸してもらうぞ」


「まかしてください」


 海月は胸を叩いた。


「にしても、この大会結構色んな人がいるんだな」


 集まったと人たちは各々話をしたり将棋盤を触ったりしていた。


「まあ、この中にプロの人は一人もいませんから、アマチュア同士の交流が主な目的です。あ、もう始まりそうですね」


 海月が指差した方に司会者と思われる中年の男性がいた。


「えーそれでは、人も集まりましたので海月竜王主催の『くらげカップ』を開催したいと思います」


 参加者一同が拍手をした。そんな中、聞きなれない単語を聞いた俺は海月の顔を見た。


「竜王? いま竜王って言った?」


海月は顔をかきながら苦笑いした。


「まあ……、周りからはそう呼ばれてます」


 竜王。それは棋士が持つ称号の中でもトップクラスの価値のある称号である。つまり、彼女は霊界で最強の地位を築いていたわけである。どうりでプロであるはずの俺が勝てなかったはずだ。棋士としての格が違う。


「それでは、主催者の海月竜王に初めの挨拶とルール説明を行なっていただきます」


 なり始めた拍手と共に、海月は司会者のもとに近づいた。


「えー、初めましての方は初めまして現竜王の海月と申します。本日は私の主催するイベントに集まっていただきありがとうございます」


 海月は慣れたように人前で挨拶を始めた。


 海月はあいさつの共にルールの説明を始めた。今回の大会はトーナメント式。三十二人の参加者から一人の勝者が現れるまで対局を続ける。優勝した人はエキシビジョンマッチとして海月竜王と対局できるという内容だ。負けた人は帰宅可能観戦可能の遊びに近いイベントだった。


「そして! トーナメントで優勝してさらに私にも勝てたひとには景品があります!」


海月はホワイトボードを持ってきて頭上に掲げた。


『竜王』


「竜王の称号、あげます!」


 歓声が上がり、拍手が起きた。


 あまりの想定外の景品に頭の理解が追いつかない。景品に称号? 霊界ではお菓子感覚であげて良いものなのだろうか。勝手にこんなところで配ってもいいのか?


 唖然としていると挨拶を終えた海月が帰ってきた。


「もちろん日川さんも私に勝ったら貰えますよ。勝てたら」


 どうやら、海月はあくまで負けるはずがないという自信であの発言をしたらしい。にしても豪快すぎる。


「アマチュアしか集まってないんだろ? 多分俺優勝するぞ?」


「全く構いません。先ほども言いましたが、あくまで交流が目的ですから。じゃあ、エキシビジョンマッチで待ってます」


 そういうと海月は俺から離れた。


 壁にトーナメント表が張り出され、進行役の人が順番に対局の準備を始めた。表を見てみると、俺の名前もしっかりと確認できた。


『日川四段 プロ』


「えーそれでは日川さんとミフネさん、対局こちらになりまーす」


 俺の名前が呼ばれた。対戦相手は中学校に通ってそうな子供だ。俺と彼が座布団に座ると、既に対局の準備がされていた。


「じゃあ、さっそくですけどお互い準備ができたら自由に進めてもらって構いません」


「わかりました。よろしくお願いします」


 対局相手は真面目そうな子だった。お互い深々と頭を下げると対局が始まった。



 俺の初戦は、手応えはないものの思い通りに進んだ。普段同格相手に将棋を指している。その時には何手も考えて指して、それでも想定外の返しが来て面食らうことも少なくない。対して今回は、予定通りにことが進む、ある種退屈な対局だった。


 俺が敵陣に送り込んだ飛車は縦横無尽に飛び回った。重要な駒をいくつも持って帰ってきて、敵陣にはぽっかり穴が空いた。


「……負けました。やっぱりプロの方って強いんですね」


 彼は負けを認めながらもスッキリした顔をしていた。


「対局ありがとう」


 プロになって以来、負けは内臓に砂が溜まったかのような気味悪さを感じるようになったし、勝っても焦燥感を感じるようになった。そんな俺には、この少年の反応が懐かしいものに感じた。


 次の対局、俺は同年代の男の人と戦った。家庭を持ち、久々の対局らしく、同様に負けても清々しい態度だった。次も勝った。その次も勝った。


 とんとん拍子に肩を重ねた俺は、対局を眺めている海月に話しかけに行った。


「なあ、決勝まで来ちゃったけど、本当に買っちゃっていいのか?」


 海月はずっと眺めているからか眠そうな顔をしていた。


「ええ、別に問題ないですよ。私もさっきまでの対局見てました。危なげなく勝ちますね」


 それは将棋に向き合ってきた時間が違うのだから当然といえば当然だ。


 周りを見てみると、始めよりも人が少なくなっていることに気づいた。負けた人から徐々に帰っているらしい。


「次で決勝ですね、勝てそうですか?」


「まあ、今までみたいな相手だったら勝てるんじゃないかな」


 今までの対局相手はほとんどが将棋をかじったことのある程度の人ばかりだった。この調子だと、決勝も今までと同じような結果になりそうだが、どうなのだろうか。


「それでは決勝の対局を始めます」


 進行役の人がアナウンスを始めた。


「じゃあ、行ってくる」


 俺が言うと、海月は手を振った。



 決勝の顛末は対局するまでもなく、一目見て分かった。


「げ、子どもじゃないか」


 対局相手の身長は俺の腰あたりまでしかなかった。落ち着きがなさそうなこの子は、大人に勝たせてもらってここまでやってきたらしい。


俺は二人分の駒を並べてやって、対局が始まった。


 子供は将棋のルールをわかっていないのだろう、コマがあり得ない挙動をしたり勝手に俺の駒を自陣と取り込んだりした。


 この対局、俺もわざと負けた方がいいのだろうか。まだルールもわかってない子どもの前に、俺の気持ちが揺れる。この大会の目的は交流だと海月も行っていたし、負けてやる方が子どものためになるのかもしれない。しかし、プロの根性が負けたくないと叫んでいる。俺は子どもの動きに合わせて指した。


 悩みながら指していくが、最適解が見つからない、ついには子どもが王手に差し掛かった。ここはとらせてやるべきだろうか。考えが決まる前に駒を触ってしまう。ついには、子どもが王を取った。


 俺は勝ちを譲ってしまった。果たして海月はこの子ども相手に勝つのだろうか。俺たちと同じ負けようにも、彼女は竜王の座をかけている。遠くにいる海月の顔を見ると、困ったように腕組みをしていた。


 まさかの子どもの優勝。大人たちが動揺しながらもエキシビジョンマッチの用意をしていると、その子は衝撃の告白をした。


「ぼく、もう帰らなきゃ」



 結局、今回の大会は子どもが優勝。エキシビジョンマッチは辞退という結末になった。残った人たちは協力して後片付けをした。


「終わっちゃいましたね。まさか日川さんもあの子に勝ちを譲るなんて」


「俺も最初は勝とうと思ったんだけど、なんかみんなの将棋見てると気分が変わっちゃって」


 自分の成績と関係のない試合をしていると、娘と二人でした対局のことを思い出した。金は人生のかかっていない純粋な交流としての勝負。


「せっかくなんで、後で相手してくれませんか?」


 海月が言った。彼女は今日一度も対局をしてないのだ。


「いいぞ」


 俺は快諾した。大会の関係者が帰った後、俺たちは再び将棋盤を引っ張り出した。



 すっかり暗くなった外を眺めながら、俺たちは対局をした。


「別にこの対局に勝っても、称号は上がれませんけどね」


「わかってる。それより、約束忘れないでくれよ?」


「わかってますとも」


 パチパチと駒を指す音が部屋に響いた。


 俺は海月に気になったことを聞いてみた。


「そういえば、なんで海月って幽霊になったんだ?」


「なんでって、どういうことですか?」


「幽霊になるのにも理由があるはずだろ、未練とか怨念とか」


 幽霊といえば浮かんでくるものはまずこれだ。なにか現世に心のこりがあるものがこの世を漂うというイメージがある。


「そうですね」


 海月は顎に手を当てて考えた。考えなければ出ないほどのものなのだろうか。


「会いたい人がいるから。とかですかね」


「へえ、その人には会えそうか?」


「うーん。そこはちょっと、複雑というか……」


 幽霊にもいろいろあるのだろう。


「逆に日川さんは今未練になりそうなこととかありますか?」


「そうだなあ」


 俺も顎に手を当てて考えた。あるといえばある。今必死に将棋の世界にしがみつこうとしている原因が。


「やっぱり、娘がプロになるのを待ってやりたいなあ」


「やっぱりそれですか」


 海月は笑った。


「大丈夫ですよ。日川さんなら娘さんを待ってやることもできると思いますよ」


「そうかなあ」


「ここで弱気になってどうするんですか。今度の対局、勝ちますよ」


「そうだな。ありがとう」


 初めて娘に目標ができたのだ、その目標に向かって走っている姿をずっと見守っていたい。いつまでも。幽霊になったとしても。


「王手」



「あれ、海月竜王。まだいたんですか」


 進行役をしてくれた知人が襖を開けて話しかけてきた。


「ちょっとね、一人で遊んでた」


 私は片付けを始めた。一つ一つ駒を摘み上げる。


「彼の方はもう帰られたんですか? あの、日川四段と言った方は」


「今さっき帰っちゃった」


「そうなんですね。にしても彼は誰だったんですかね。今の将棋界に日川なんて名前の四段いませんよね」


「そうね。きっと彼は……。ズバリ、幽霊よ」


 私は両手で幽霊のポーズをして見せた。彼は私の方を見て、「そうですか」とだけ言った。



 二十年前、ここ森本ビルでは大規模な火災が起きた。その火災によってビルの管理人と私の父、日川四段が死んだ。その日から、このビルは幽霊が出るとして噂がたった。


 初めて父の姿を見た時、彼は自分の死んだことに気づいてなかった。ただ、来ることのなくなった次の対局に備えて一人で和室に佇む彼は、地縛霊と化していた。


 父は私との対局が終わると消えた。無事成仏したのだろうか、それとも一旦姿を消したのだろうか。それは定かではないが、父が残した未練である、娘がプロになるまではプロでい続けたいという願いはもしかしたら叶ったのかもしれない。


「にしても、名人戦が控えてるこの時期にイベントとは大変ですね、忙しくなかったんですか?」


「まあね」


 私は言った。


「これは儀式だから」


「なんですかそれ」


「儀式は儀式よ、わかんなくていいの」


「そうですか、そんなことしてて名人戦は大丈夫ですか?」


「当たり前じゃない」


 将棋を通して、亡き父に触れることができた。しかし私の将棋人生は、今のままじゃ終わらせない。


「次は、名人。とるわよ」



 終

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