邂逅 2

やはり彼女は幽霊だった。対して害がなさそうだとホッとした俺は、将棋盤を挟むようにして彼女と話をした。


 彼女は海月(くらげ)と呼ばれているらしい。


「本当の名前は忘れました。生きてた頃の記憶は曖昧ですから。霊界はこういった人結構いるんですよ」


 彼女は笑いながらいった。


 ここにいる経緯や生きてた頃の情報は教えてくれなかったが、幽霊仲間と将棋を打って遊んでいることを教えてくれた。


 幽霊には随分昔に亡くなった人たちも大勢いるため、昔からある遊びは人気があるらしい。まさか死ぬ前に死後の様子を知ることになるなんて考えもしなかった。


「私も仲間内の中では結構強いんです」


「ほお、プロ相手にそんな方が叩けるなんて大層自信があるんだな」


「もちろんですとも、霊界でも名前が知れてますから」


 霊界の規模がどれほどかはわからないが、プロ相手にも怖気付かないとは肝が座っている。座る肝も持ってないだろうが。


「そんな強くなさそうって顔してますね。良かったら対局しますか」


「そっちから提案してくるとは。受けて立とうじゃないか」


 最近負けてばっかりだから、プロのプライドを取り戻すいいチャンスだ。


「持ち時間は十分でしましょうか」


「おう、先手はあげるよ」


 俺と海月は駒を並べ始めた。



「王手!」


 海月の声が和室に響いた。


 なぜだろうか、寒いはずなのに冷や汗が止まらない。俺は玉と相手の飛車の間に金を挟んだ。


「ちょっと! これもう詰んでますよね?」


「いや……まだ負けてない」


「さっさとアレを言っちゃってくださいよ! アレを! 王手!」


 海月の言うアレとは『負けました』のことである。将棋界で最も発するのが屈辱的な言葉。こんな小娘には言いたくない。


 俺は玉を僅かにずらした。その直後、海月が次の手を打った。四面楚歌。どう足掻いても負けるところまで来てしまった。


「……負けだ」


「やっと言いましたか。往生際の悪い」


 俺は畳に寝転がった。まさかこんなにも強かったとは。もしかして百年くらい幽霊としてさまよっているのだろうか。


「若いのに強いんだな」


「まあ、プロの試合だって全て現場で見てますから。何年も前から」


「へえ。もし生きてたらどこら辺まではいけそうだ?」


「そうですね」


 海月は駒を片付けながら言った。


「タイトルくらいは一つぐらい取れそうですけどね」


「それ、本気で言ってる?」


「まあ」


 タイトルといえばプロが一度でも手に入れたい称号のようなものだ。数個あるそれはどれもそう簡単に手に入るものではない。


 そんな格上だとは考えもしなかった。俺は最初から勝てる相手ではなかったと言うことだ。


「まあでも、打ち筋は良かったですよ」


しまいには慰められる始末である。


「……海月」


「はい」


「さっきプロの試合も現場で見てるって言ってたよな」


「そうですね、中継されている映像では対局してる二人が写っているように見えると思うんですけど、本当はあの周りに所狭しと幽霊が群がっているんです。私もその野次馬の一人というわけです」


「へえ。それ誰かにバレたりしないのか?」


「バレませんよ。私を認知することができたのは日川さんが初めてです」


 なるほど。ということは最近の対局についてもある程度詳しいわけだ。


 俺の頭の中に悪知恵が浮かんだ。海月は誰にも見えないというのなら、対局の時に連れて行くことも可能であるわけだ。そうすればタイトルホルダー級の助言を聞きながらワタナベと対局することができる。一人で戦うよりも遥かに賞賛がある。


 俺は海月を取り込むことにした。


「なあ海月。現世の棋士と対局することに興味はあったりしないか」


「そうですね。生きている方にも才能を持った方が数多くいますから、そう言った人とは対局してみたいですね」


「そうか」


 俺は心の中でガッツポーズをした。俺の作戦はこうである。現世での対局に興味のある海月の指示を受けて将棋を指す。実力は言わずもがななので当然結果を残す。それを繰り返すことで俺は将棋界へ残り続け、あわよくば今以上の結果を出そうというわけだ。


「なあ、だったら今度の対局俺と一緒に」


「お断りします」


「……え?」


「『俺の代わりに指してくれー』って言うお願いですよね。お断りさせていただきます」


 想定外の答えにうまく反応ができなかった。さっきは興味ありそうな様子だったはずなのに、一体なぜ。


「どうして! 現世の棋士と戦えるまたとないチャンスだぞ? この機会を逃したら二度とできないかもしれないのに」


 俺は必死に説得した。今度の対局がかかっているのだ。何としても納得させたい。


 それに対して、海月の意見はいたってシンプルなものだった。


「いや、二度とないチャンスもなにも、今の名人も竜王もあなたも、いずれこっち側に来ますから」


 そう言われればそうだ。俺は頭を抱えた。こっちというのは霊界側の世界の話だ。俺なんかの手伝いしなくたっていずれは全ての棋士と戦うことができるのだ。


「でも……、今から現世で結果を残すのもなかなかいいんじゃないか?」


苦し紛れの追い打ちをかけた。


「いや、それはあんまり興味ないですね。そもそも霊界にも公式の対局がありますから。そっちの方が私には重要ですし、さすがに両方に参加してたら時間がないです」


 今の俺でさえワタナベとの対局の準備でいっぱいいっぱいなのだ。その忙しさが二倍になると考えたら当たる時間が足りなくなるのは俺でもわかる。


「頼む! そこをなんとか手伝ってくれないか。次の対局で降格しそうなほど崖っぷちなんだよ」


 だめもとで正直にお願いしてみることにした。海月は露骨に嫌な顔をした。


「うわあ。やっぱり自分のために提案してましたか。嫌ですよ。せっかくそんなに勉強してるんですから自分の力で挑んでみたらどうですか?」


 昨日までは自分もそう考えていたが、いざずるできる方法があるとそれにすがりたくなるものだ。


「そこをなんとか! 絶対に負けられないんだ」


「嫌です。大人なんだから自分でどうにかしてください」


海月はそういうと立ち上がった。


「もう寝たいんで帰ります。負けたんで後片付けお願いします。では」


 そう言い残すと海月はぴしゃりと襖を閉じた。


 俺は壁掛け時計を眺めた。午後九時を過ぎたあたりだ。幽霊って早寝なんだな。

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