5月は神隠しの季節-エピソード2-

プロローグ

 もういいよ、と遠くから声が聞こえる。

 それと被るようにお腹が鳴ったので、私は凍り付いた。


―やばい!見つかっちゃうかな…。


 息を止めて耳を澄ますが、誰も近づいて来ない。

 見つからなくてよかった。

 あとお腹の音も聞かれなくてよかった。

 私はホッとして、しゃがんだ地面に目を落とした。


 『桜花伝説おうかでんせつタカマノハラ』の主人公、サクヤの笑顔が、逆さまに見える。

 叢雲むらくもの剣を構えてカッコいいけど、笑顔が可愛い、高校1年生。

 去年の誕生日に、お母さんがプレゼントしてくれた、お気に入りの靴だ。


「うっ……」


 また鳴りそうになるお腹をなだめる。

 さーっと、葉っぱの擦れる音が通り過ぎていく。


「…お腹空いたなぁ…」


 誰にも聞こえないように、呟く。

 今日は楽しみな遠足だったのに、朝から最悪だった。


 お弁当を家に忘れて取りに戻ったら、あの人がリビングでテレビを見ていた。

 台所に行くと、包みを解かれて空になったお弁当箱が、シンクに放り込まれている。

 その時点で、嫌な予感しかなかった。


『弁当?あー、あれお前のだったの?悪りィ、腹減ったから食ったわ』


 お弁当を知らないかと聞いたら、あの人はニヤニヤと笑った。

 私のお弁当だって、分かってて食べたに決まっている。


 今日遠足なんです、と言ってみたが、お菓子食えばいいだろ、と男の人は私の方を見ないで答える。


 でもお弁当がないと、お腹が空いてしまう。

 コンビニで買うから500円下さい、とお願いしたら、テレビのリモコンが壁に叩きつけられた。


『はぁ!?何でオレが金出さないといけねぇんだよ!さっさと行けこのクソガキ!』


 私は恐怖のあまり、家を飛び出した。

 胸がどくどくする。

 息をしているのに苦しい。


 結局お弁当がないまま、天狗山に来てしまった。


 お弁当を食べられましたなんて、恥ずかしくて友達にも先生にも言えなくて、お菓子で我慢した。


 でもみんなと一緒にいたら、お腹が空いている事がばれてしまう。

 何となく森の中に入ってみたら、私と同じ年くらいの男の子がいた。

 少し小さい子たちも何人かいた。


 これからかくれんぼをするから、一緒にやろうと誘われて、加わった。

 きっと遠足で来た、どこかの小学校の子なんだろう。


 勾玉の形をした靴の飾りをいじっていると、どこからかふわっと風が吹いてきた。

 またお腹が鳴ってしまう。


 お母さんがあの人を連れて来たのは、今年の一学期が始まった時だった。


『●●君よ。お母さんと付き合っている人なの。今日から一緒に暮らすから、仲良くしてね』


 最初は、ちょっとカッコいいいかも、って思った。

 大人の男の人だし、タカマノハラに出てくる因幡いなば白兎しろうさぎが、人間に変身した時の感じに、少し似ていた。


 付き合う、がどういう事かあまり分からなかったけど、私から話しかけたりしていた。

 あの人もニコニコして、お菓子をくれたりもした。


 だけどそれは全部、お母さんが見ている時だけだと少しずつ気づいていった。


 あの人は、お母さんが仕事で家にいない時は、私の事を怒鳴ったり、意地悪をしてくる。

 アニメを見ていたら、うるさいと怒鳴られる。

 大人しくしていたら、何だよその態度は、と怒鳴られる。

 

 母親に言ったら殺すと言われている。

 殺す、の意味は私でも分かる。

 殺されるのは怖い。だから言えない。


 それにあの人は、何もしない。

 ご飯を食べても、食器は下げないし、洗わない。

 お母さんみたいに働いたりせず、家で寝ているか、パチンコに行ってる。

 これはお母さんも知っているはずだけど、何か言っている感じはない。


 家に帰りたくない。

 帰るのが怖い。

 もうあいつと一緒にいたくない。


 つい、声を出して泣いてしまった。


「見つけた」


 頭の上から声がして、あの男の子がいた。

 草のにおいに混じって、花のにおいがする。

 甘いにおいだ。

 男の子の周りの空気に、色がついているみたい。


「お前、泣いているのか?」

「な、泣いてない!」

「何か嫌な事でもあったのか?」


 男の子はしゃがみこむと、視線を合わせて来た。

 黒い髪に、黒い服。

 あれ、さっきは私と同じ年に見えたのに、背が伸びたみたい。


「わたしでよかったら、聞いてやる」


 男の子の声は、静かで優しい。

 それに『わたし』だなんて。

 タカマノハラの、八咫烏やたがらすみたい。


「…家出したいの」

「家出?親が心配するだろう」

「お母さんはそうかもだけど…あの男の人は、違うと思う」

「男の人?父親ではないのか?」


 男の子が首を傾げる。


「お父さんは、私が赤ちゃんだった時にリコンしたんだって。その人は、お母さんが付き合っている人」

「なるほどな。そいつに、何かされているのか?」


 気づいたら私は、男の子に全部話していた。

 怖い事。嫌な事。これがずっと続くと思うと、息ができなくなる事。

 泣きながら、全部話していた。

 

「…それは、毎日怖い思いをして、つらかったな」


 男の子の声は、温かい水のようにするすると、耳から入って来る。


「では、お前を私の秘密基地に、連れて行ってやる。お前には資質もあるようだ」

「ヒミツキチ?シシツってどういう事?」

「何でも揃っているぞ。まずは食事をして、腹を満たすがいい。他の子たちも、お前を歓迎するだろう」


 さぁ、と差し出された手を。

 黒く、綺麗な艶のある、羽毛で覆われた。


 男の子の背中から黒い羽が、カラスのような羽が、音もなく広がった。

 それを見た瞬間。

 視界が。


 あたまのなかが。


 まっくろにつぶれ……
















 かぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁ かぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁかぁォかァサン

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