007.着用をお忘れなく

 雷が落ちる。

 大きな大きな轟音。そして身を裂くような空気の振動。それは人々に恐怖を与えるものだった。

 所によっては木に落ち家に落ち、騒ぎになったところもあるという。


 雨が降り始めてから何日も経った。

 川が増水して氾濫し、家や畑が飲み込まれたところもあったと聞く。土砂崩れで道路が寸断されたとも。

 川に近い者はどんどん住む場所を追われ、比較的被害の少ない山の上へと避難する。

 そこには多くの者が集まっていた。山を管理する僧侶に村の顔役、随分と年を経た老人など様々だ。

 しかし一様に同じことを言っている。「こんなことは初めてだ」と。


 この一帯に雨が降り始めてから何日も経過した。

 夜明けと日暮れを通算して30日近く経っただろうか。不幸にもこの一帯の治水は決して良いものとは言えない。だから山崩れも起きたし川の氾濫だって起きた。

故に集まった人々は模索し、議論する。あと何日で雨は止むのか、どうすれば止むのかを。


 そんな中、村の顔役は思いついたように言い放った。


 「この雨はきっと、神の怒りなのだ」と――――


 この時代・・・・の人々にとって天気予報は神の力にも等しいものだ。

 だからこそ出る言葉。仕方ないのかもしれない。この者らは自然の脅威の被害者でもあるのだから。

 畏れは次第に伝播する。知らぬ者にとっては都合の良い方向へ。

 いつの間にか人々の意識は「神の怒り」として共通することとなった。そんな事決してあるはずないのに。


 次に議論するのは、"どうすればいいか"ということ。

 しかしこれもまた、顔役は言う。「神の怒りを鎮めるには生贄を捧げるしかない」と。

 けれどそこで「しかし……」と議論が止まってしまった。顔役にとって村人は命そのもの。おいそれと生贄を捧げることなんてできないからだ。

 だがここである者が思いついたように声を出す。「そう言えば……」と。


 ある者は続けた。

 自分の村に虐げられている人がいる。生まれながらにして親を含む誰にも似ず、真っ白な髪と碧い瞳を持った者がいる。

 その者は悪魔の子と呼ばれ虐げられ、親代わりだった寺の住職とも最近死別したと。


 そこから話は恐ろしいほどスムーズに進んだ。

 自身に影響がないときの議論は早い。それは古今東西変わらないかもしれない。関係ない者には恐ろしいほど薄情になれるのだ。

 だからこそ時に人は神をも恐れぬ結論を何喰わぬ顔で出すのかもしれない。


 そうして悪魔の子と呼ばれし者は白装束で雨振る川へと落ちていくこととなる。

 恐怖や悲しみなど感じない。ただ人生への諦めと、ここから離れられる安堵だけが浮かんでいた。


 そして――――



 ―――――――――――――――――

 ―――――――――――

 ―――――――




「ハァ……ハァ……ハァ…………」


 目覚めたときにはまるで全力疾走した直後のような息切れと一緒だった。

 心臓は破裂しそうなほど早く走り、気づけば拳が固く握られている。


 辺りを見渡せば自分の部屋だと気づくのにそう時間はかからなかった。

 カーテンからは朝の光が部屋に漏れ入っており、見上げた先にある時計にはちょうど7という数字が示されていた。

 ふと背中に嫌な感触を覚えて意識を向ければ、プールに着衣で飛び込んだかのようにシャツがベットリと張り付いている。どうやら随分と汗をかいてしまったらしい。早々に脱いで床へと放る。


 しかしあの夢は何だったのだ。

 普段見る夢は波に飲まれる砂城のように目覚めると同時に消えて無くなっていくものだが、今回の夢は消える気配がない。

 今も脳裏にこびりついている夢を思い出すと、それはおおよそ俺の知る世界とは全く違う世界のようだった。

 科学よりも信仰を重んじ、みな神を畏れている世界。そして最後に出た"悪魔の子"と呼ばれた少女のこと……。


 見に覚えがない。しかし心当たりがないこともなかった。何故夢に見たかは疑問が残る。

 俺の知らない景色、聞いたこともない情報が多分に含まれていた。それに本当にあの夢が"直前の様子"かさえも断定できない。


 疑わしい夢を見たからって夢は夢。幻とそう変わらないものなのだ。

 そう自分に言い聞かせていると段々と落ち着きを取り戻していき息も整ってくる。

 握られた拳をゆっくり解き、ベッドから降りようとする。あんな夢を見た後だ。眠れる気配もないし、何より喉が乾いた。

 散々汗をかいたからだろう。一刻も早く水を目一杯飲みたい。こんなことなら近くにペットボトルでも準備しておけばと思いつつベッドの縁に手をかけた。


「んん…………」

「…………?」


 しかし降りようとした俺の手は縁に付くことはなかった。

 なにやら柔らかな感触。そして聞こえてくる声。そのどれもが間違いなく俺のものではないと断定できるものだった。


 ならば何事か。

 寝起きで動かない頭そのままにゆっくりと視線を下げる。

 どうせ幻聴だ。感じた柔らかさだって暑くて放り投げたタオルケットの塊だろうと高をくくりながら。


「…………!?!?」


 そんなボケっとした俺の頭は驚きによりあっという間に晴れることとなった。

 ベッドの縁にあった柔らかさ。それはタオルケットなどではなく、人の腹。そして声を発したのは幻聴ではなく現実そのもの。

 驚きのあまり降りる側とは反対の壁に後退りした俺は、壁に張り付きながらそこに居る人物に目を向ける。


「雪……奈……?」

「むにゃ…………」


 目を見開いて見下ろす先。そこには漏れ入る光に照らされた雪奈が心地よく眠りについていた。

 俺の横で寄り添うように、そして柔らかなベッドを心ゆくまで堪能しているのか気持ちよさそうに笑顔を浮かべて。


 一方で俺の頭には"何故"の二文字が占められる。

 雪奈は昨日、夕飯後一旦という形で瑠夏が引き取ったハズ。なのにどうして家に!?

 俺の家と瑠夏の家は隣同士、窓を伝っていける構造でもない。そもそも施錠はしていた。

 ならば考えられるのは正攻法。普通に玄関から入ってきたというルートのみ。


 瑠夏の家とは家族ぐるみの付き合いだった。だから合鍵も互いに共有してある。

 俺は利用したことないが、実際に瑠夏は実際に俺が引きこもっている半年間この家に出入りしていた。

 となると考えられるのは…………


「まさか…………」


 トン、トン……

 と、階段を昇ってくる音がする。

 その足音は数歩進んだと思いきやこの部屋の前で止まった。


 ゴクリと喉が鳴る。

 ゆっくりと扉が開いて現れたのは――――


「もう~、雪奈ちゃんったら千晶一人起こすのにどれだけ時間かかってるの~?起こしたのなら早く下……に…………」

「お、おう。おはよう」


 ゆっくりと扉を開けたのは間違えることのない幼馴染、瑠夏。

 ここまでは予想通りだった。雪奈が居たということは瑠夏も来ていることだろう。そして寝ている状況から察するに、起こしにきて眠ってしまったこともお見通しだ。


 しかしここからが俺の予想を遥かに上回る。


「なっ……なっ……なっ……なんで裸なの!?」

「………へっ?」


 それは俺の予想とは違う反応。

 裸……?裸って雪奈が!?


 …………違う。彼女は若干乱れ気味ではあるけれど服を着用している。

 となると考えられる可能性は――――


「――――!! い、いや、違うんだ瑠夏!これは…………」


 彼女が示した予想外の反応の原因は間違いなく俺だった。

 眠る雪奈。そして肝心の俺はといえば上半身裸。さっきびしょ濡れになったシャツを脱いだせいだ。

 しかし経緯を知らない彼女が導き出した結論は違うものだったのだろう。目を見開いたまま廊下の壁に向かって後ずさりする。


「やっぱり千晶は……千晶は……雪奈ちゃんのことが……」

「だからな……聞いてくれ瑠夏。これはそういうものじゃなく……!」

「っ――――!!」

「ちょっ……!!罵倒より逃げられるほうが辛いんだけど!?」


 まるで恋人の浮気現場を見て逃げる彼女のような。

 口元に手を当てて無言で踵を返す彼女を俺は大慌てで追っていく。



 そうして瑠夏の誤解が解ける頃には焼いていたトーストが真っ黒焦げになり、一緒に作り直そうと提案してなんとか機嫌がもとに戻るのだった―――――。


 もちろん、上裸のままで。

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