006.女の子の命
「まったくもう、着る服が無かっただけならちゃんと言ってよね」
瑠夏の絶叫が響き渡ってからおよそ一時間後。彼女はキッチンで冷蔵庫に向かいつつ呆れたように息を吐いた。
それは先程の事情の説明。おおよそ1時間かけて何とか誤解を解くことのできた俺はアイランドキッチンの対面に体を預けつつ「いやいや」と小さく呟く。
「そもそも聞こうとしなかったのは瑠夏だったじゃん……」
「なにか言った?」
「…………なにも」
圧。
スラリとキッチン下の収納から取り出したのは切れ味見事な三徳包丁。ライトに照らされてキラリと強調される鋭さと彼女の笑みを見て、俺は黙って首も横に振る。
「それで、私が学校行ってる間千晶はあの子と何してたの?……まさかあの子と一緒にお風呂入ったとか!?もしそうだったら、私……」
「っ…………!ないない!そんなことするはずないから!!」
そこで言葉が途切れた。
代わりと言わんばかりにストンと一切の引っ掛かりもなくまな板上の物が両断されるのを見て俺は慌てて否定する。
いつまでもびしょ濡れの白装束を着てるのを見て着替えてもらっただけだ!もちろん一人で!!
今にもその鋭い包丁で腹をプスリとされそうな圧と危機。なんとか回避するために身振り手振りで説得していると、コトリと数枚のお皿を目の前に置き、呆れたように肩をすくめる。
「はいはい。わかってるわよ千晶にそんな度胸がないことくらい」
「よかった……。んで、これは?」
「さっき切るとこ見てたでしょ?カステラ。今日特売だったのよ」
なるほど。
眼の前に置かれたお皿は三枚。そこには黄色と茶色の四角い物体。カステラが置かれていた。
おやつというわけか。圧から来る包丁に気を取られすぎて何切ってるかなんてサッパリ認識していなかった。
「さ、あの子も呼んでおやつにしよう?」
「そうだな……。お~いっ!
「はいっ!千晶様!!」
少しだけ遅いがおやつの時間。それも豪勢にカステラときたものだ。
そういや最近お菓子なんて食べてなかったなと思いつつ声をかけるのは奥のソファーに座る少女。彼女は俺から奪い取ったゲームを手にジッと熱中していたが、キリがよかったのか声をかけたタイミングで素直に駆け寄ってくる。
「…………ゆきな?」
「あぁ。朝は名前がないって言ってただろ?さすがに今後大変だろうから考えてみたんだ」
「はいっ!千晶様に名付けてもらいました!雪奈です!」
「ふぅ……ん」
俺の紹介とともにピシッと小さな敬礼を見せる雪奈。どうせゲームか何かで覚えたんだろうな。
雪のように白い肌と来たとされる奈良時代から一文字ずつ取って雪奈。
随分と安直な付け方だが我ながらちゃんとした名前を考えられたと思う。
少しだけ自信のある名前で鼻を鳴らしながらチラリと瑠夏を見たが、彼女は小さく返事をし目を細めるだけに留めた。心なしかどこかつまらなさそうだ。
「どうしたんだ?もしかして瑠夏も名前考えてたとか……?」
「………。なんでもな~い。 二人は先に食べてて。私はお茶淹れてから向かうから」
「お、おう……」
朝はあんなに楽しそうだったのに帰ってきてからは随分とご機嫌斜めだ。
なんだか機嫌よくなったり悪くなったりよくわからない瑠夏だな。女心と秋の空とはよく言ったものだ。
俺は雪奈とともに三枚のお皿をテーブルまで向かっていく。道中見えた庭に続く窓からは、夕焼けにならんとする夏空が広がっているのであった。
―――――――――――――――――
―――――――――――
―――――――
「むぅ…………」
夜。
少女は自室で一人ぬいぐるみを抱き、ベッドの上で唸り声を上げる。
それはまるで数時間前の学校での出来事のよう。しかし由来は全く違うものである。学校では少女についての悩みだが、今回は想い人に対するものであった。
「千晶のバカ……」
抱いたぬいぐるみに怒りをぶつけるが、当然返ってくるものなど何もない。
むしろそれで良かったとさえ少女……瑠夏は思った。こんな一面は千晶に見せられないから。
「雪奈ちゃんばっかり気にしちゃって……」
瑠夏の怒りの矛先は千晶。しかしそのきっかけは新たに現れた雪奈によるものでもあった。
学校が終わってからこっち、夕飯まで千晶とともに居た瑠夏だったが、肝心の千晶は常に雪奈のことを気にしていた。やれ味はどうだ、やれ寝床はどうするだの、その行動全てに"雪奈は"という主語が付いていたのだ。
極めつけがあの名付け。正直瑠夏も名前についてはすっかり失念していた。それでも彼はしっかり考えていた。そして"雪奈"という素晴らしい名前まで考え出した。
気配りという点に関しては素晴らしいと思う。彼の視線が瑠夏に注がれていないことを除けば。
間違いなく彼の目は雪奈へと向けられている。自分で呼び出した分当然かも知れないが、瑠夏はその事実にたまらなく心を乱した。
事故の日まで彼の目はずっと自分に向いていたのに。それが今では別の人へ注がれている。
むざむざと突きつけられた放課後だった。故に放課後はご機嫌斜めだったわけである。
本当なら向こうに泊まりたかったところを何とか自制して家まで帰ってきた自分を褒めてやりたい。そう思ってチラリと見たテーブルには瑠夏と千晶の二人で撮った写真が飾られていた。
事故の前に撮った写真。本当なら一晩中彼のそばについてお世話してあげたい。課題も見てあげたいし、ご飯も食べさせてあげたい。お風呂も一緒に入ってあげたいし、何なら寂しい夜には胸の内に抱いて一緒に寄り添って寝てあげたい。
彼のすべてをお世話してあげたい。むしろ部屋から出なくてもいいくらいにしてあげたい。
…………でも、我慢。そんなの彼が許すはずもないし、そもそも彼は人形ではない。れっきとした一人の人間だ。
そう自分に言い聞かせて瑠夏は枕に顔を埋める。
そんな考え、よくないことくらい瑠夏にはわかり切っていた。結局自分中心のエゴである。わかってるからこそ心の奥底から湧き上がってくる感情を押さえつけるのにグゥと枕がたわむくらいに顔を押し付ける。
わだかまっている感情を吐き出すように「あ~!!」と枕で口を塞ぎながら叫んでいると、不意に閉じられた扉がノックされる音が聞こえてきた。
「――――! は、はいっ!!」
「あのぉ……。瑠夏様、今よろしいでしょうか……?」
聞こえてきたのは控えめな少女の声。
ベッドから体を起こしつつ慌てて乱れた髪を整えた瑠夏は縁に腰掛けチラリと鏡を覗く。……うん、問題ない。
「えぇ。どうぞ」
「失礼します………」
緊張しているのだろうか。少しオドオドした様子で扉を開けたのは朝出会ったばかりの少女、雪奈だった。
花柄のパジャマという、瑠夏が昔使った服に身を包み、湿らした髪をいじりつつも部屋に入ってくることもせずその場でモジモジしていた。
そんな姿を見て瑠夏はポンポンと自らベッドの隣を示す。
「お風呂上がったのね。ほら、そんなところに立ってないで一緒に座らない?」
「は、はいっ!」
隣を示してようやく座ってくれるのは、自己肯定感の低さからだろうか。
千晶の生活力とか書斎を含むグチャグチャな部屋の状況を鑑みて一旦家でお泊りとなり、連れ帰ってきてから常々感じていた。落ち着いて以降雪奈は様々なことに興味を示すも、指示されない限り動くことは決してない。
そこには遠慮という言葉がありありと見て取れた。あの時代の人はみんなそうなのか、それとも彼女だけの個性なのかはわからない。しかし可愛いのだから少しくらいは自分に自信を持てばいいのにと、瑠夏は隣に座る雪奈を眺めながら思った。
失礼します。そんな言葉とともに隣に腰掛ける雪奈。フワリと家で使っているコンディショナーの香りが漂ってくる。
「お風呂、問題なかった?」
「は、はいっ!使うものは教わりましたし湯船にも浸かれました!温かいお水は慣れませんでしたが……」
彼女はどうやらお風呂というものすら初めてだったらしい。
けれどしっかり湯船で暖まったようでポカポカとした熱気がこちらにも伝わってくる。
――――しかし、こうして改めて見ても可愛い。
痩せすぎてはいるが、それを補ってあまりある程の可愛さだ。白い髪に長いまつげ、整った顔に守ってあげたくなる雰囲気。
これですっぴんというのだから驚きだ。現代の食生活を続けて肉付きもよくなり、化粧等を覚えたら一体どれだけ魅力的な子になるのか想像もできない。
だからこそ、千晶の隣にいるのが末恐ろしく感じる。もしかしたら彼が彼女に夢中になるかもしれないと。
そういう危機感・嫉妬心から少しだけ瑠夏は雪奈に対して苦手意識を持っていた。
だが――――
「あ、あの……瑠夏様!」
「なぁに?」
「その……瑠夏様の旦那様についてですが……!!」
「――――――――」
………彼女はなんて言った?
突然の言葉に瑠夏は思考が停止する。
「えっ……と……。私の、なんて言ったの?雪奈ちゃん」
「ですから千晶様のこと、雪奈様の旦那様のことで…………ひゃぁっ!?」
――――だが、評価が一転した。
彼女の口から出るとても素晴らしい表現に感極まった瑠夏は感情の勢いそのままに雪奈の背中に手を回す。
濡れた髪のせいで服が濡れようが気にすることはない。ただただ目いっぱいの愛情表現から驚く雪奈をそのままにギュッと抱きしめた。
「えっと……瑠夏……様?」
「え~?私と千晶ってそんなにお似合いかなぁ?えへへっ、そんな事ないよぉ恥ずかしいよぉ!」
困惑しつつされるがままでいる雪奈と、嬉しさマックスで抱きしめる瑠夏。
そっかぁ旦那様かぁ……。そんなふうに見れちゃうかなぁ?
もし本当に千晶と一緒になれば毎日ご飯を作ってあげてお金だって頑張って働いてどうにかしちゃう!千晶は今のまま呪術を研究するのもいいし、また別のやりたいことをするのだって良い。なんなら毎日ゲーム三昧でも――――
「……ん?」
――――ジワリ。
そんな音が頭の中から聞こえてきた。
なんだか自らの身体に異常が起こっている気がする。
一瞬トリップしかけていた瑠夏だったが、不意に感じる異常性に思わず現実へと帰還していた。
感じる箇所は……腕。雪奈の背中に位置する部分だ。そこが何かに、ジワリとした感触を筆頭に侵食されている気が…………
「…………雪奈ちゃん、これドライヤー、かけた?」
「ぇっ……?ドライヤー、ですか?」
瑠夏の恐る恐るとした問いにコテンと首を傾げる雪奈。
そっと引き抜いた瑠夏の腕の部分にはビッショリと水が侵食してきていた。よくよく見れば彼女のパジャマも濡れた髪のせいでところどころ色濃くなっている。
「雪奈ちゃん、現代の生活においていちばん大事なことを教えてあげる。知っておかないといけない死活問題のことを」
「は、はいっ……」
ゴクリと雪奈が喉を鳴らす。瑠夏はグッと力を込めて立ち上がり、強い口調で言い放った。
「覚えておいて!現代の女の子はね、髪の毛は何よりも大切な命そのものなの!お風呂上がりにドライヤーしないと髪なんてあっという間に死んじゃうんだからっ!!」
「は、はいっ!!」
グッと握りこぶしを作って出た力強い言葉に雪奈も思わず背筋を伸ばしてハッキリとした返事を返す。
そのまま腕を引いて雪奈を立ち上がらせた瑠夏は、まるで一刻も早くと言わんばかりの速度で部屋から出ようとする。
「ほらっ、ドライヤーかけにいくよっ!大丈夫、1から100まで全部教えあげるから!」
「えっ?あ、はい!お願い……します!!」
駆け足で一緒に部屋を出ていく姿はまるで姉妹のよう。
瑠夏は雪奈の「旦那様」発言がきっかけで、一生の妹にしようと心に固く誓うのであった。
なお1階に降りた直後、ドタバタしたことが原因で母親に怒られたのは言うまでもない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます