005.志保

「はぁ…………」


 少女――――瑠夏は考える。これまでのことを。


「はぁ…………」


 更に考える。これからのことを。


「はぁ…………」


 考えども考えども答えにたどり着くことはない。

 それもそのはず。今回脳内会議で提示された議題は科学を……人知を越えたものだからだ。


 呪術。

 それは科学とは正反対に位置する不思議な力。

 魔法と読み替えても良いかもしれない。人の知識を越えた原理の分からない力のこと。


 椅子に座りながら机に頬杖をつきアンニュイな表情で前を向きつつも、その実何も見ていない。

 現実から離脱して考えているのは呪術の事…………朝にあったことの全てだ。


 大好きな幼馴染、千晶。彼が瑠夏の前に姿を表した時、そこには見知らぬ少女が立っていた。

 彼が亡くしてしまった両親を蘇らせるために使ったとされる呪術。その結果現れた奈良時代からやってきたとされる少女。原理もなにもかもすべてが不明。唯一わかるのは只事じゃないということだけだ。

 人の理解を超えし者。わからないことだらけで頭から煙を吹きそうになる。


 パラリと机の上にある本を捲れば目に入るのは細々とした文字の数々。ここには日本でこれまで何が起こったかの歴史が書かれている。

 しかしピンポイントで奈良時代について書かれた本は中々見つからない。そもそも見つけたところでその時起こったことが纏められているだけだから、結局のところ今の行動に意味なんてない。考えている結論なんて出るわけがないのだ。

 今日一日の行動全てが徒労という二文字に集約される。それがわかっていても瑠夏はパラパラとページを捲り、もう一度ため息をつく。白い少女についての手がかりなんて何もない。そしてひたすらに不安の気持ちが嫌という程募っていく。



 瑠夏の不安の先。その先はただひたすらに千晶へと向けられていた。

 家に置いてきた二人。白い少女は少し痩せ気味だがそれでも断言できるほど可愛く、そして愛嬌もよくてひたすらに可愛い。

 可愛いが二つも付いたけれどそれほどだ。初めて見るものにキラキラと目を輝かせて興味を示し、笑顔でこれは何かと問いかける。あの魅力は同じ女として「悔しい」と思わせるほどだった。


 そんな不安が湧き上がると同時に瑠夏は自分がイヤになる。

 少女は知らない時代、知らない土地に来て不安なのに。そして千晶だってこれまで縋っていたものがこんな結果になってしまって辛いに決まっている。

 それでも瑠夏の考えているのは結局は自分のこと。二人の心配よりも結局は自分本位になっていることを自覚して、嫌になり、それをごまかすように息を吐く。


「はぁ――――」

「な~……に、ため息ばっかりついてるのっ!?」

「――――ひゃぁっ!!」


 3度目のため息。

 自分の中から大きな息が出ると同時に突然、背後から肩を勢いよく叩かれたことで悲鳴にも似た驚きの声を上げる。

 同時に喉から心臓さえも出そうになったがなんとか堪え、高鳴る鼓動を抑えつつ後ろを振り返ると、同じ服に身を包んだ一人の少女が立っていた。


「どうどう!?びっくりした!?」

「もう~。脅かさないでよ志保しほ~」

「ニシシ~!」


 まるでやってやったかのように私が肩を落とすのを見て笑うのは志保。瑠夏の通う学校のクラスメイトだ。

 茶色いミディアムショートの髪を揺らし、まだ朝夕は肌寒いにも関わらず半袖で健康的な手足をさらけ出した元気な女の子。

 中学入学して以来ずっと瑠夏と行動をともにする友人である。志保は脅かし成功したことに満足し、瑠夏の肩を持って左右に揺らす。


「瑠夏ったらず~っとボーっとしてたからねっ!なになに、なにか悩み事!?」

「悩み事っていうか……う~ん……」


 揺れる身体、煮えきらない返事とともに目を向けた手元をにつられて志保は小さく声を上げた。

 二人の視線の先にあるのはさっきまで瑠夏が読んでいた本。普段の瑠夏を知る志保にとってその組み合わせは珍しく、思わず「あれっ」と声を出す。


「瑠夏が心以外の本を見るなんて珍しいね。それ次のテスト範囲だっけ?」

「テストってわけじゃないんだけど……」

「もしかしてぇ……朝遅刻してきたことと関係してたり!?」

「そっ、それはぁ……うぅ~ん……」


 目ざとい。

 まるで朝のことなど見透かしているかのような志保の言葉にヒヤリと嫌な汗をかいた。

 この半年間、瑠夏は瑠夏なりに千晶を立ち直らせる方法がないかどうか必死に探してきた。

 図書室では決まってトラウマや心身異常など心に関する本を読み、それ以外にも料理や戻ってきた時用のノートなど、どうにかまた元気になって欲しいと奔走してきた。それくらい1年の頃から付き合っている志保もよく知っている。だから志保にとって瑠夏の行動は"千晶に関すること"か"テストに関すること"の二択である。故にどちらの共通点もない本を読んでいる瑠夏を不思議に思ったのだ。


 しかし問われた瑠夏は詳細を話すことができない。

 更にこのまま黙ってチャイムを待つことはできない。まだ5分以上あるからだ。

 もし問われた内容そのままに瑠夏の口から「呪術が~」などと大真面目に出たら志保は迷わず保健室に引きずって行くだろう。もしくはまだ授業が残っているにも関わらず救急隊員をこの教室まで招き入れるかもしれない。

 そんな予感が、確信があった。更に誤魔化すこともできない。目ざとい志保のことだ。自身の誤魔化しなんてすぐに見抜くだろうと瑠夏は理解していた。


 どう答えるべきか。次第に志保の目が細まっていく。

 進めば地獄。戻るも地獄。止まることなどできやしない。どうすべきかジッと志保の目を見つめながら考えていると、不意に志保がニッと笑ってみせる。


「な~んて……ね」

「へっ……?」

「別に言わなくてもい~よっ!わかってるから!」


 不意に笑った友人。彼女は返答を待つこと無く笑っておもむろに瑠夏の頭を撫でだした。

 さっきまで尋問の構えだったのに突然雰囲気の変わる志保に困惑を隠せない瑠夏。伸びる手にされるがままになってしまう。

 わかってるって何のことをだろう。頭の上に疑問符を浮かべながら大人しく撫でられていると、志保はおもむろに腕組をしてその大きな胸を張る。


「うんうん、私にはお見通しだからね。どうせ不登校になった千晶君が顔見せてくれたけど問題発生!とかそんな感じでしょ?」

「うん、そうだけど…………って、えぇぇぇ!?なんで知ってるの!?」


 自ら名推理と言いたげな志保の言葉に同調しかけた瑠夏だったが、あまりに真に迫る発言に思わず声を荒らげてしまった。


 今日一日、瑠夏が投稿してからこの時間まで一度も志保と話してこなかった。

 むしろ調べ物に夢中になっていたせいで学校の生徒誰とも話していない。だから誰一人として朝の出来事など知っているはずがない。なのに志保の口から出てきたのはまるであの時あの場で見てきたかのよう。

 だからこそ瑠夏は志保の真実を突いた言葉に驚きの声を上げ、すぐにクラスメイトたちが一斉にこちらに目を向けられたことに気がついて縮こまってしまう。


「な、なんで志保がそのことを……!?」

「そりゃあ見てたらよ。わかりやすいもん瑠夏って」

「そう……かな……」


 口元に手を当てながら小声で聞いてくる瑠夏に、志保は苦笑して肩を竦める。

 そんなにわかりやすいかな……自らの頬に手を当てて確かめるがそんな自覚など一切ない。ムニュムニュとまるでスライムをこねくり回すかのようにモチモチとした頬にふれる瑠夏を見て、「自覚無かったんだ……」と志保は小さく呟いた。


「そりゃあ、今朝遅刻してきた姿を見れば誰だって『なにかあった』ことくらい気づくよ。自覚してた?瑠夏ったら先生に怒られてもすっごく満面の笑みしてたんだよ?」

「そう……なの?」

「そりゃあもう!先生が呆れるくらい!瑠夏が笑ったのなんて半年ぶりだし、そのせいでクラスの男子どものハートを根こそぎ奪っていっちゃったんだもん。ほら、今も視線に気づかない?」

「視線?」


 志保の促しにつられて少し顔を上げれば同じ部屋を共有するクラスメイトたちが遠巻きにこちらを見ていて、目が合うと同時にサッと視線を外される。

 朝、先生も遅刻したのに笑顔の瑠夏を見て何かを察したのだろう。遅刻した当初は特に何も言わず席につくよう促されたことを思い出した。

 そっか。そこまでわかりやすかったのか……。


「あ~あっ、いいなぁ千晶君はこんなに瑠夏に愛されて。私も瑠夏にいっぱい愛されたかったな~!」

「べっ、別に私は千晶のことなんてっ……!」

「はいはい、ごちそーさま。わかってますよわかってますよ~!」

「うぅ~!!」


 その感情をも見通したその物言いに瑠夏は必死に抵抗するが、まるで赤子を相手にするかのようなあしらいにボッと顔が熱くなる。

 瑠夏は千晶のことが好きという事実を誰にも言っていない。けれどそれは周りにとってモロバレの周知の事実である。だから必死に抵抗しようとしても何の意味もなさない。しかし隠したい事実を感づかれていることに何も言い返すことができず黙って志保をにらみつける。


(…………その顔見せたら千晶くんも一発なのになぁ)

「……?志保、なにか言った?」

「なんでもな~いっ! ほら、最後の授業は移動教室でしょ?そろそろ行かないとまた遅刻しちゃうよ?」

「えっ……あ、うん!」


 いつの間に彼女は準備していたのだろう。

 どこからか取り出した筆記用具とノートを手に、逃げるように教室を出ていこうとする。

 そんな姿を見て瑠夏も慌てて机から道具を取り出して彼女の後ろ姿を追っていった。




 ―――――――――――――――――

 ―――――――――――

 ―――――――




「ふぅ……。今日も疲れた。 二人は元気にやってるかなぁ?」


 長い長い一日の授業が終わり、放課後。

 瑠夏は終業が訪れるやいなや、早々に帰路についていた。

 何も今日に限った話ではない。普段のこと。今日までの半年間、瑠夏は学校が終わると同時に教室を飛び出し、スーパーに寄ってからまっすぐ千晶の家に行くことが日課になっていた。


 今日も右手には袋いっぱいに買った食材が詰め込まれている。人も増えた、そしてオマケにタイムセールかつ特売と重なったこともあってついつい白熱してしまったのだ。

 今日は何作ろう……袋の中身を思い出しつつ考えるのは、朝残してきた二人のこと。仲良くやっているだろうか。元の時代に帰す調べ物は進んでいるだろうか。


「……ふふっ」


 色々なことが頭の中を駆け巡るも、最終的に嬉しい気持ちでいっぱいになって思わず笑みが溢れる。

 不安なこととか心配なことももちろんあるけれど、やっぱり千晶の元気な顔を見れたのが一番うれしかった。それだけではない。今日までのことのお礼を言われ、挙句の果てに抱きしめられもしたのだ。

 朝のことを思い出すたび笑いが堪えきれず表情に出る。色々とあったがすべてが報われた気がしたものだ。


 だから今日も袋には千晶の好きなものをたくさん入れた。

 ひき肉に卵に鶏もも肉に……。何だって作れそうだ。とりあえずもも肉は明日に回すとして、今日はハンバーグがいいかもしれない。


 そうこう考えている内にいつの間にか足は家にたどり着いていた。

 瑠夏自身の家ではない。その隣にある千晶の家。彼女は袋片手にスカートのポケットから鍵を取り出して慣れた手付きで施錠された鍵を開ける。


「ただいまっ!二人とも仲良くして――――」


 二人は今日一日何していただろう。久しぶりに会った千晶と久々の対面。顔には笑顔を浮かべながらリビングの扉を開けるも、その言葉が最後まで紡ぐことはできなかった。

 そこに居たのは二人の人間。言うまでもない。千晶と少女だ。白の髪と黒の髪の二人がいる。ここまでは問題ない。問題は……………二人が重なっていることだ。


 二人が重なる――――千晶が床に寝そべり、白い少女が彼に抱きつく形で上に乗っている。

 その姿はまさに浮気現場そのものだった。信じて置いてきた二人がまさか…………眼の前の現実を認識できなかった瑠夏は一瞬その場でフリーズする。


「もっ、もうちょっとでボスが倒せるんですっ!お願いします!最後の……最後のぉぉ……!!!」

「駄目だっ!制限時間過ぎたって言っただろっ!これでおしまいだ!」

「神様……!御慈悲を……御慈悲を!!」


 それは二人の情事現場。愛する者同士が抱き合う姿…………ではなく、懇願する少女とそれを拒否する千晶の姿だった。

 千晶の右手にはゲーム機が握られていて、少女は取り返そうと必死に手を伸ばしている。

 決められたゲーム時間を過ぎた子供からそれを取り上げる絵。しかし思考がフリーズした瑠夏には真実を認識することはできない。


「そんなものはない! 早く諦めろ!こうしている姿を瑠夏に見られたら大変なことになるんだから!!」

「瑠夏様?瑠夏様でしたらそこに……」

「…………えっ」


 まさに最悪のタイミング。

 少女に促された千晶は、顔をあげると扉前で立ち尽くす瑠夏と目が合った。床で重なる二人。そこだけ切り取ると床の上で抱きしめ合っている様子だ。


 それも…………"彼シャツ・・・・"で。


 少女が乗っているせいで引きはがすこともできず、千晶は仰向けのまま瑠夏と目を合わせ「あはは……」と乾いた笑いを向ける。


「お、おかえり瑠夏……その、これはだな……」

「――――ぁきの…………」

「えっ?」


 千晶が笑うのを見て瑠夏も笑みを返し、ホッとする。しかしそれが千晶にとって命取りだった。

 笑みを浮かべたまま小さく呟く瑠夏。しかし聞き取ることができず思わず聞き返す。


 そして、瑠夏がフッと笑みから怒りの表情に変わったと認識した頃にはすべてが遅かった。

 きっと笑みを返された時点で耳を塞いでいればまだダメージは少なかっただろう。しかし次の行動を読み間違えた千晶にはそれを防ぐすべなど無く。


「千晶の…………バカァァァァァァ!!!!」


 絶叫。

 まさに信じていた者に裏切られた瑠夏は今日一番の叫び声を発する。

 彼女の魂の叫びは外まで届くほどの、朝の轟音の繰り返しのようだったと、隣家に居た瑠夏の母親は後に語るのであった。

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