004.ささえあい

「ここがあの子を召喚した部屋……。千晶ってば随分大変なことしてくれちゃったわね……」

「……悪い」


 リビングでの食事を終えて暫く経つ頃。

 俺たちは2階のとある部屋の前に立ち、その奥に見える惨状を見て頭を抱えていた。

 隣の瑠夏は頑張って笑みを作ろうとしているもの、惨状を見て頬が引きつっている。何かを堪えている彼女の声色にそっと目を逸らして静かに謝罪した。


 朝。太陽も起床を始め、頂上に向けてえっちらおっちら山登りを始めている時間帯。

 幼馴染である瑠夏を引き連れてたどり着いたのは、少女を呼び出した書斎だった。


 真っ白な肌と髪を持つ不思議な少女。

 突然この家に現れるやいなや俺たちを神様と勘違いして、そして鏡やシャワー、トーストを初めて見たかのように目を丸くした、不思議な雰囲気の少女。

 あの偏りまくった知識はただごとじゃないと察した俺達は幾つかの問答の末、奈良時代から来たのではないかという仮説を立てた。



 奈良時代。

 西暦700年頃に迎えられたという。今からおよそ1300年近く前の時代だ。

 最も大きな流れは平城京に遷都されたことだろう。あとは仏教が庶民に広まったり、奈良の大仏ができたのもこの時代らしい。

 一体どういう原理で、どんな縁で現代にやってきたのかわからない。けれどもしそれが本当なら、とんでもないことをやらかしてしまったのではないかと今更ながらに背筋から嫌な汗が出る。


 だが、後悔しても何も始まらない。彼女をこのままにはしておけない。元の場所へ返さなくては。

 そう考えた俺たちは二人して何か手がかりはないかとあの惨事が起こった書斎へと舞い戻ったのだ。掃除も兼ねて。


 ちなみにくだんの少女は今テレビにかぶりついている。

 「箱の中に人が!!」「棒を押しただけで私にも呪術が扱えるように!!」などと中々に面白い反応が見れたけどここでは割愛。

 あの子がテレビに夢中になっている間に上がってきた。画面にへばりついていたし、そっとしておこう。


 階下から微かに届くテレビの音を聞きながら今一度書斎へと目を向けると数十分前と変わらぬ光景が広がっていた。

 爆発?の影響で棚に整頓されていた本は土砂崩れのようになっており、机の向かいにあった椅子なんかは部屋の角で横に倒れている。

 そして部屋の中央、俺が呪術を行使した場所には黒い布に書かれた魔法陣が消しゴムで消したかのようにかすれまくっていて蝋燭はソファーや隅まで吹き飛ばされている。

 中央に置いていたタライが消失していることが唯一の救いだろう。もしアレが現存していたら中のナマモノが吹き飛ばされて今以上にやばいことになっていた。


 瑠夏はそんな産卵した部屋を一歩一歩踏まないようにしながら中央まで向かっていく。

 サラリと魔法陣を撫で、指に何も付いていないことを確認してから振り返った。


「これがその呪術の魔法陣なんだね。掠れてるのは最初から?」

「いや、今回の発動で掠れちゃったみたい」

「ふぅん……。じゃあ、これを作り直してもう一回同じ呪術使えばいいんじゃない?」

「……難しいと思う。アレには死者の復活って書いてあったし一方通行のはず」


 調べ物の前にまず掃除と判断したのだろう。

 本を拾い上げながら聞いてくる瑠夏の問いを眉間にシワを寄せながら首を振る。

 あくまで父さんの注釈前提だが、あれは死者の復活と書いてあった。反対に送ることに一切言及はない。つまり送り返すことは全く考えてなかったということ。タライが消えたのだから可能性は無きにしもだが、逆にそれで命を落とすとか、いしのなかにいる!とかなったら本末転倒だ。


「じゃあその……おじさんが残した本?にまた別の役立ちそうな術があるんじゃない?」

「それは……」


 再びの問に俺は少し考え込む。


 それは……ありえなくもない話だ。

 俺もあの本のすべてを解読できた訳では無い。あくまで父の注釈を頼りに幾つもの本から文字一つ一つを重ね合わせてなんとか分かるようになったにすぎない。

 他のページも解読を続けていけばいつかはあの子の帰還に役立つすべが見つかるかもしれない。


 フッと考えをやめて顔を上げれば、こちらをジッと見ている瑠夏と目が合った。

 きっとそれしか可能性と言えるものがないのだろう。その瞳に少し不安の色が見えている。

 科学を超越した別のなにか。俺もまさか成功するとは思っていなかった呪術が未だに信じられないが、今はまだ頼らせてもらうしかない。


「ありえなくはない、かも。調べてみる」

「うん、お願いね。警察に頼れない以上、千晶だけが頼りなんだから」

「……あぁ」


 警察には頼れない。それはひとえにあの子の身元がないからだ。

 現代に突然現れたのだから当然戸籍なんてものはなく、もし奈良時代に戸籍制度があったとしても1000年以上前のことなんてどう考えても無効だろう。そもそも信じてもらえない。

 しかしそう簡単な話でもない。呪術の本に書かれていたたった一つの呪術を調べるのに半年かかったのだ。幾つも調べるとなると相応の時間がかかることだろう。いくらノウハウがあるとはいえ一朝一夕のことではないことは確実だ。


 しかしどこから取り掛かるか。

 父さんが残した呪術本は一冊ではない。少なくとも10はあった。アレを全部解読するとなると何年かかるかわかったものじゃない。

 ならばまず注釈を読み込んでそこから本ごとの傾向を知り、それから目的の術に関わりそうな本を――――


「えっ――――」


 あの子の帰還に向けて、さっそくどう解読を進めていこうか頭の中で計画を立てているさなか、突然聞こえてきたポスッとした音とともに俺の思考が停止してしまった。

 彼女に続いて拾い上げていた一冊の本が床に落ちるもそれを拾い上げることすらせず、ただただ黙って自らの胸元に視線を下ろす。


「る……か…………?」


 眼下にいたのは瑠夏だった。

 俺の胸元、眼の前には柚菜の頭がそこにあった。

 暖かな体温。フワリと漂う香り。そのどれもが本を放り出して掛けてきた瑠夏のものだった。


 突然胸へ飛び込んできた幼馴染の少女。

 あまりに唐突なことで俺の思考は一瞬停止し彼女の名前をポツリと呟く。


「会いたかった……」

「…………」

「会いたかった!この半年どれだけ心配したことか!!」

「…………瑠夏」


 その口から飛び出してきたのはこれまで溜めていた感情の発露だった。


 おそらく二人きりになって耐えきれなくなったのだろう。

 立ち尽くす俺へ飛び込むようにスッポリと胸の内に収まった彼女は、ギュウと背中に手を回しながら涙混じりの声で抱えていた思いを吐露する。


「ずっと心配して……後悔してたんだよ!喧嘩した後に事故に遭って、あの時私がムキにならなかったら……おじさんとおばさんは……!ずっとずっと……私は……」


 胸の内から聞こえるその叫びを一心に受け止める。


 あぁ、瑠夏も頑張ってくれていたんだな……。

 旅行の直前、俺と瑠夏は喧嘩をした。それは些細なこと。それでも彼女はずっと後悔していたんだ。不安で辛かっただろう。眠れない日もあっただろう。胸の内で震える彼女の肩にそっと手を触れ、ゆっくりと笑みを向ける。


「心配、かけたな」

「ホントよ。何度部屋に突撃しようと思ったか……」

「はは……。でも助かったよ。瑠夏が御飯作ってくれてなかったら、俺多分死んでたから」

「冗談でもそんな事言わないでよ……。不安になるじゃない……」


 涙で震える声がほんの少しだけ収まったような気がした。


 実際、柚菜がご飯を作ってくれていなかったら俺は餓死していたことだろう。

 塞ぎ込んでいた日々。ふと1階に降りてきた時見つけた食事。それを口にした時に感じた暖かさと優しさには涙を流さずにはいられなかった。

 あの一度の食事がなければここまで立ち直ることすらできなかった。書斎に来て本を見つけることすら叶わなかっただろう。


 そんなずっと支えてくれた彼女が震えている。そんなのは嫌だと俺はその背中にそっと手を回した。

 彼女の身体に触れた途端、驚いたように身体がピクンと震えたがそれ以上は何の反応もなく、受け入れてくれた身体をギュッと抱きしめた。


 細い…………。

 


「……瑠夏、ちょっと痩せたか?」

「誰のせいだと思ってるの。千晶だって、人のこと言えないじゃん」

「…………スマン」


 細い腰に細い腕。そしてさっき見た彼女の顔を思い出すと、半年前の瑠夏とは少し印象が異なっていた。

 成長したからではない。痩せていたからだ。頬は痩せこけ目の下には隈。彼女にも随分負担を掛けてしまったのだろう。そう思って謝罪すると、突然コテンと瑠夏の頭が胸に預けられる。


「バカ。そんな言葉が聞きたいんじゃないわよ」

「……今までありがとな。この半年間ずっと支えてくれて」

「…………バカ」


 御礼の言葉に罵倒で返してきたが、嬉しい罵倒だった。

 不安や不満すべてを呑み込んで、たった二文字に込めた心。罵倒でも蔑みでもない、信頼。


 互いに言葉を必要としなくなり、自然と静寂が場を包む。

 あぁ、これじゃあ掃除ができないな。まぁ、それでもいいか。

 半年ぶりに感じる彼女の体温は暖かかった。随分と久しぶりの人肌だ。人のつながりとはこうも暖かなものなのか。


 自然と腰に回す腕の力が強くなる。

 もっとぬくもりを感じていたい。もっとこの繋がりを保っていたい。そんな思いから。

 しかし、さすがにそこまでは想定していなかったようで、突然眼下から「キャッ」と小さな悲鳴が聞こえてくる。


「ど、どうしたの千晶……」

「……ダメか?」

「駄目じゃないけど……。もぅ、半年経って幼馴染に甘えたくなった?仕方ないわね……」


 それでも彼女は拒否することはしなかった。

 そう、仕方ないんだ。半年ぶりなんだから。そう自分の心の中でも誰に向けてかわからない言い訳をしながら受け入れてくれた彼女をもっと引き寄せて―――――


「ジー…………」

「ぇっ…………。キャァッ!!!」

「なっ、なに!?」


 ――――引き寄せようとしたが、それは叶わなかった。

 俺がグッと腕に力を込めた瞬間、それ以上の力で彼女の腕が胸を押して力づくで引きはがされた。


 悲鳴まであげて、まさか本当は嫌だったのか!?

 やっぱり半年もウジウジする男に抱きしめられるなんて嫌だったのか……

 ずっと支えてくれていたのも結局は幼馴染だったからなだけで家族的な感情。そしていくら家族といえども抱きしめられるのは年頃の女の子的に受け入れられないと……。


 段々と心が闇に染まっていく。

 やっぱり俺は一人部屋に籠もっていたほうが……そんな思いがふつふつと湧き上がりながら一縷の望みを掛けて瑠夏を見ると、何故か彼女は俺を見ておらず横を向いているようだった。

 つられるように俺もその視線を追っていくと、彼女の取った行動の理由がようやく判明した。


 立っていたのは一人の少女。まさに「あわわ……」と顔を真赤にしながら手を覆い隠しつつ、それでもあいだの指からまっすぐと俺たちを目に収めている。


「あっ!すみません覗いてしまって!やっぱり夫婦神だったのですね!どうぞお構いなく!!」

「「違うからっ!!」」


 俺たち二人揃っての否定。

 その視線の先、ジィっと興味深そうな目でこちらを見ていたのはさっきまでテレビを見ていた白い少女その人だった。

 もはやさっきのムードなんて吹き飛ばされた俺たちは再び抱き合うなんてことは当然できず、一つ息を吐いて少女と向かい合う。


「ど、どうしたの!?テレビ見てたんじゃ!?」

「はい。先程までてれび?を見ていたところ、突然謎の板が震えだしまして。そういえば二人とも同じ板を持ってたなと思い報告に……」

「謎の板…………?」


 少女の口から出たのはなんともわかりにくい報告だった。

 現代の物について知らないのだから当然だ。瑠夏は何のことか察しがついていないようで首を傾げる。


 板……?板……?震えるとくれば、まさかそれって……。


「板ってもしかしてアレじゃないか?スマホ。俺はポケットにあるけど瑠夏のは?」

「スマホ……。そう言えば机に置いたままだった……」

「やっぱり。どうせ学校関係の連絡だろ。時間的に」

「えっ……?がっ……こう……?」


 ポカンと。

 瑠夏は何のことかサッパリわからないかのように目を丸くして俺を見つめてくる。

 そんな彼女に俺は言葉で返事をすることはせず、黙ってスマホをかざした。

 表示するのはディスプレイ。そこに書かれた数字は9と30。9時30分。

 つまりどう考えても遅刻の時間だ。学校ということをすっぽり抜けていたらしい瑠夏はようやくその意味を理解したのか段々と顔が青く染まっていく。


「なっ……なっ……なっ……!遅刻!?千晶!どうして教えてくれなかったの!?」

「え、だって俺学校行ってないし。瑠夏も休むのかなって」

「休むわけないよっ!! ごめんね。ちょっと私、学校行ってくるから!」

「えっ、あ、はぁ…………」


 少女の報告を受けて突然豹変してしまった瑠夏の慌てぶり。

 それを目の当たりにした少女は理解を示せずポカンとした返事をするのみだった。


 大慌てで床を蹴った瑠夏はそのままダッシュで書斎を出て行ってしまう。…………あ、戻ってきた。


「千晶!私が学校に行ってる間その子と変なことしないでよね!!」

「するか!ほら行って来い!!」

「むぅ~…………信じてるからね!!」


 その言葉を最後に今度こそ家を出ていったのか玄関の扉が開く音がする。

 取り残されるのは俺と少女の二人だけ。まさに嵐のような退出にポカンとした少女はこちらを見てきて首を傾げる。


「あんなに慌てて、どうしたのでしょう………」

「学校……まぁ、お勤めの時間みたいなものだ」

「はぁ……」


 学校も立派な仕事の内みたいなものだしな。

 じゃあ行こうとしない俺はどうなるかという話になるが今は気にしない。とりあえず瑠夏も去ったことだし今ここでしなければならないことは……。


「それじゃあ……この部屋の片付けをしようか。手伝って貰える?」

「あ、はいっ!」


 いなくなってしまった彼女のかわりに俺は少女と今度こそ書斎の掃除を再開する。

 そうして部屋がきれいになる頃には、山登りを始めた太陽が頂上を越えていたのだった――――

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