003.お風呂と正体

「はぁ…………」


 脱衣所の扉を閉めて少女はひとつため息を吐く。

 ため息の理由はひとえに自分への怒りだった。


 この半年間、少女はこの家の整理整頓を買って出た。

 1階部分の掃除等やってきたし食事の作り置きだって用意した。次来た時に作り置きが食べられていたことは大層喜んだが、それでも瑠夏の前に千晶が姿を現すことはなかった。

 2階に突撃しようと何度も思ったが、勇気が出なかった半年間。ただ食事の減りようが生きていることの証で、それを支えに瑠夏はずっと千晶のサポートを続けてきた。


 しかしその結果があれだ。思い出すのは直前の光景。

 半年ぶりに会えた好きな人の顔。記憶と比較して目に隈ができていたしそもそも光が灯っていなかった。頬だって痩せこけていたのがロクに食べていなかったことを伺い知れた。

 結局彼の役に立っていなかったことが如実に現れた結果である。そう感じ取った瑠夏は自身の力不足が原因だと痛感する。



 でも、それならば何故今になって降りてきたのだろう。

 瑠夏は思考する。さっき何があったかを。

 今朝、学校に行く直前に轟音が聞こえてきた。

 まるで近くで雷が落ちたような音。けれど空は快晴。雲ひとつ無く雷なんて音すら鳴る気配がないのに突然聞こえてきたから大いに驚いた。

 リビングの母も聞こえていたようで飛び出してきて、2人で話し合った結果出処は隣だと判断した。

 そこは千晶の家。確かに聞こえた突然の轟音に目を丸くした瑠夏は、不安と警戒を持ちつつも家に寄っていくことに。

 震える手で持っていた鍵を使い扉を開ける。何もない。彼に何も起こっていないようにと願いながら。結果、扉を開放した瞬間飛び込んできたのは"白"だった。

 そしてつい先程の出来事につながる。瑠夏は玄関で見知らぬ白い女の子とバッティングし、遅れて千晶が降りてくる場面に。


 半年ぶりに見た顔に瑠夏は心底歓喜した。そして同じくらいの怒りが湧き上がった。

 自分への怒りはもちろんだが、その時は千晶に対しても怒っていた。自分がずっと悲しい思いをしている間、千晶は女の子を連れ込んでいたのか。そんな思いが瞬間的に吹き上がってついつい適当にあしらってしまった。その反省もあわせて彼の目が届かないこの部屋で息を吐く。

 元凶から離れて、段々と心を落ち着かせて再び先程の出来事を思い出す。さっきの千晶、なんだか普段の様子と違っていた。半年も会ってない時点で普段もなにもないけれど、それでも十余年一緒に居て分かるものはある。アレはヒミツがバレたとかそういうものじゃない。もっとこう……誤解を恐れる何かだったなと今一度思い直した。


 ならば言い逃れできないこの少女は何者か。

 今一度連れてきた少女に目を移す。白い……真っ白な女の子だ。線も細く華奢で触れたら壊れてしまうガラス細工のようだという印象を真っ先に抱いた。容姿もお人形さんみたいに整っていてまさしく男女ともに理想とする女の子、といった感想だ。

 女の子が羨むほど細く、男の子が心奪われるほど可愛い。まさに理想を体現した姿に思わず目を奪われていた瑠夏だったが、そんな折、白い少女が不安げに声を開く。


「あ、あの……?」

「えっ、あっ。ごめんねジッと見て」

「いえっ……」


 ジロジロと穴が空くほど観察して、ようやく自分が失礼なことをしていたことに気づいた。

 瑠夏は慌てて視線を外し背筋を伸ばす。同時に少女も目を逸らし、そこでふと気になるものを発見した。


「これって……なんでしょう」

「えっ、どれのこと?」

「これです。これは……私……?」


 何が気になったのか、突然横を向いたかと思えば小さく呟きつつ自らの頬を触ってみせる少女。

 突然不思議そうな顔を浮かべて頬をいじりだし、どうしたのだろうと不思議に思いながら瑠夏も同じ方向を見るも、そこには鏡があるだけだった。


「鏡のこと?それがどうかしたの?」

「鏡ですか?これが……?」

「…………?」


 なんだか不思議な様子。まるで少女の知る鏡とは別の物を指しているような反応だ。

 少女はそっと鏡に手を伸ばし、指が当たると同時に「ヒャッ」と声を上げ、不思議そうに自ら手を眺める。

 これまでの人生で鏡を見たことは無かったのだろうか。瑠夏は疑問に思うも口に出すことはなく、それよりもまずすることがあると、おもむろにセーラー服を脱ぎ始めた。


「キャッ!か、神様……!?何を……!?」

「何って、そんな濡れた身体じゃ風邪引いちゃうでしょ。鏡に気を取られる前に身体流して温まらないと!」


 そう。ここには何のために来たのか。

 その濡れた身体を暖めるためである。ならば少女一人でいいだろうとも思ったが、もしかしたら……万が一の確率で、少女が本当に千晶と何の関係もなくここへ突然やってきただけかもしれない。

 そんな事ありえるのかと瑠夏自身も疑問に思ったがゼロではない。だから勝手がわからないと思われる少女のために一緒に入ることにしたのだ。


「身体を流す……ですか!?でも水が……川だって流れていませんのに……」

「川?こんな町中の川なんて入れるわけ無いでしょ。湯船も貯まってないしシャワーで済ませちゃお?」


 そう言って先に服を脱ぎ去った瑠夏は浴室に入ってシャワーを出す。

 同様に少女の身体を流そうと手招きするも視線は瑠夏に向いていない。瑠夏の方を向いてはいるが視線の先はただ一点のみ。お湯の流れ出るシャワーへと向けられていた。

 ただボーっと驚いた顔で立ち尽くす少女に瑠夏も訝しげな顔を浮かべる。


「……どうしたの?」

「――――ったんですね」

「えっ?」

「川もないのに水が出てます!!やっぱり神様だったんですね!!」

「――――――」


 ――――空いた口が塞がらなかった。

 ただのシャワー。水道管から出ているだけのただの水にそこまで驚きと歓喜の顔を向けるとは。

 鏡だけならなんとか説明もできよう。しかし今のそれは世間知らずを超えたまた別の"何か"を感じさせた。

 そういえばさっきも神様云々と言っていたことを瑠夏は思い出す。あのときは"夫婦の"が先に来てついつい逃してしまったが、よくよく考えればおかしな話じゃないか。ただの人を神様と見間違えるなんて。


 この子は何者なのだろう。一体どんな縁で千晶と一緒に居たのだろう。

 びしょ濡れの見知らぬ女の子と二人きり。その時点で千晶はギルティだったけど、やっぱり無罪なのかもしれないなと評価を改める。


「……とりあえず服脱いで。身体温めよっか」

「はいっ!」


 色々と聞きたいこと、そして不審なところはたくさんあるけれど先ずはシャワーを優先しなければならない。

 持ち前の面倒見の良さでとりあえず思考を後回しにした瑠夏は、今一度手を差し伸べ少女を誘う。


 瑠夏を神様と勘違いしているからだろうか。落ち着きを取り戻した少女もその言葉を受けて何の疑いもなく服を脱ぎ去った。

 そして一歩浴室に入った矢先、今度は瑠夏の目が大きく見開いてしまう。


「これは…………」

「……神様?」


 お湯をかけようとして、その寸前で瑠夏の手が止まった。

 突然の停止に少女が不思議そうな声を上げるも瑠夏の耳に届く様子はない。


 彼女が目に止まったのは少女の身体だった。

 細い……細すぎる手足。胸周りはアバラが浮き出て腹部に関しては僅かながらに膨らみが見られる。明らかにおかしい体型。ここから読み取れる可能性は……二つ。


「ねぇ……あなた」

「? なんでしょう?」

「変なことを聞くかもしれないけど、妊娠ってしてないよね?」

「ふぇぇっ!?に、ににに……妊娠ですか!?そんな、そんな事ありえませんっ!!ましてやそんな経験すら…………!!」


 瑠夏の問いに一気に頬を紅潮させた少女はブンブンとその長い髪ごと大きく首を振っていく。

 妊娠ではない。でも、それはそれで事態は深刻なのかもしれない。今一度彼女の身体をジッと見る。

 少女の身体。白装束によって隠されていた身体は驚くほど痩せこけていたのだ。千晶や瑠夏の痩せ具合がお遊びに見えるレベル。お腹が膨らんでいたのはおそらく飢餓。栄養失調によるものだろう。

 瑠夏は先程羨むほど細いと思ったことを心の内で謝罪する。これはそういう健康的な痩せ方じゃない。それだけははっきり見て取れた。


「何でもない。ごめんね変なこと聞いちゃって。さ、ここに座って」


 ようやくフリーズから戻った瑠夏は気を取り直して少女を誘導し、大人しくバスチェアに腰掛けたのを見て優しくお湯を頭からかけていく。

 鏡のこととかシャワーのこととか痩せ具合のこととか色々と気になることは多いけど、まずは千晶を問い詰めてからだ。優しく少女を温めながら瑠夏は固く心に誓うのであった。




 ―――――――――――――――――

 ―――――――――――

 ―――――――




「美味しい……!美味しいです!! これが神様の食べ物なのですね……!!」


 リビング中に歓喜の声が響き渡る。

 彼女が属しているのは何の変哲もないトーストだった。突然『軽食を』とか言われ、料理スキルも皆無な俺が困りに困って捻り出した答えがトーストだ。

 食パンを焼いてバターを塗っただけのシンプルすぎるもの。せめて卵焼きが欲しかったが時間がないので諦めた。


 そして歓喜の声を上げるのは言うまでもなく白い少女。

 一口ごとに声を上げ、もはや感涙までしているレベル。トーストでそこまで喜ばれるのは嬉しいが、逆にどんな食生活を送ってきたのか心配になるレベルだ。


 それに「どうぞ」と食事を促した途端床に置いて食べ始めようとした時は目玉が飛び出るかとさえ思った。

 さすがにそれは不味いと何とか椅子に座らせて食べてくれてはいるが……。


「ねぇ、ちょっと」

「ん……」


 涙を流しながら食事をする少女を見ていると、隣からこちらを呼ぶ声が聞こえてきた。

 瑠夏だ。少女の向かいで隣り合わせになっている俺たちだが、瑠夏は彼女に聞こえないよう気を遣うように手を口元に添えながら小声で呼んでいる。


「この子は一体誰なの!?鏡もシャワーも知らないで、世間知らずにもほどがあるよ!?」

「ん~…………」


 まぁ、そりゃあ聞くよな。


 さて、どこから話そうか。

 正直この子の理解度は俺も瑠夏もそう変わらない。むしろお風呂入った時間を考えると俺よりも瑠夏のほうが接した時間が長いほどだ。

 だから話すとするなら、そうだな……


「俺がこの半年間何してたか知ってるか?」

「? ううん、全然。何してたの?」

「この半年、呪術の勉強してたんだ。父さんがそういう本集めてて、偶然開いたページに『死者の復活』が載ってて」

「なっ…………!?」


 少女と半年の間に何が関係しているのだろう。そんな様子で頭に疑問符が浮かんでいた瑠夏だったが、『死者の復活』という言葉とともにみるみる顔が驚きへと変貌する。

 そりゃあ驚きもするだろう。半年も籠もって何してるかと思えば禁忌にも名高いことをしようとしていたのだから。


「もしかしてあの轟音は……。それで、その、せ、成功したの……!?」

「成功というか失敗というか、その結果があの子だ」

「あの子……」


 俺が目を向ける先に瑠夏も視線を送る。

 向かうのは正面。そこにいるのは一人しか居ない。白い少女だ。ムシャムシャと頬を膨らませながらトーストを頬張っている姿を見た瑠夏はバッと勢いよくこちらに向き直る。


「も、もしかして千晶、人を……作っちゃったの……?」

「…………かもしれない」


 まさかと思う仮説。俺が否定しなかったことで瑠夏の顔がサッと青くなる。

 人を作り出すなんて何を馬鹿なことを。しかし現に女の子は目の前にいる。知識だって赤ちゃんレベルで何も知らない。知らないのは今生まれたからではないだろうか。まさかの結論に至った瑠夏は青い顔のままテーブルに肘をつき顔を覆う。


「そんな…………」

「瑠夏……」


 気持ちは分かる。俺だって信じたくない。

 でも呪術の結果がこれなのだ。嫌でも信じる他ない。

 瑠夏は震えた声でなんとか声を出す。しかしそれは、俺にとって予想だにしない一言だった。


「まさか千晶が人知れず子供を作っていただなんて…………」

「………んん?」


 ――――んん?

 なんて言ったこの幼馴染は?

 子供?俺が?なんで?どうしてそうなった?

 不思議な結論に思わずこちらが首を傾げる。


「なぁ、なんで俺が子供を作ったって……?呪術だぞこれ……」

「だってそうじゃない!呪術とはいえ千晶が作り出したってことは子供ってことよね!?でも、そうしたら母親は……?」


 …………そう、なるのか?

 確かにあの時血を捧げまくった。それが素で作り出されたとなれば子供、ということでいいのだろうか。

 なんだか納得できるようなできないような、不思議な感覚が体の中を駆け巡る。

 しかし否定できる材料もない。どう返答しようかと考えていると、瑠夏は少し前のめりになって少女に笑顔を向ける。


「ねぇ、ちょっといい?」

「はい?」

「あなたはその……この人が父親なのかしら?」

「おい瑠夏っ……!」


 本人になんてこと聞いてくる!?

 慌てて引き留めようとするも手で制された上睨まれてしまった。俺は渋々席につく。

 瑠夏によって作り出された張り詰めた空気が場を占める。彼女は何て言うのだろう。もし本当に俺のことを父と呼んだとするならば、俺はこれからどうすればいいのだ。

 もし俺が父となれば、そういう経験もなく子供ができたということに……。


「神様がお父さん……。いえ、私の親は別にいます」

「……そっか」


 答えを聞いた瑠夏が席につくと同時にフッと張り詰めた空気が弛緩する。

 よかった。父親じゃなかった。なぜだかその答えを聞いて俺も心の底から安堵する。


 …………ん、でも父親を認識してるってことは記憶がある?それってつまり、今作りだされたわけじゃないのか?


「じゃあどこから来たの?名前は?」


 瑠夏も俺と同様の疑問に行き当たったのだろう。すかさず次の質問が飛んできた。

 それは俺も知りたい。親を知っているということは出身地を知っている確率も高いだろう。近ければ今日中に送り届けられる可能性だってある。


 良かった、希望が見えてきた。

 フッと自然に頬が緩む。けれど問いを聞いた少女は対称的に顔に影が差し、トーストを置いて目線を下げる。


「……名前は、ありません。つけられる前に死んじゃいましたから」

「それは……。でも、だったらどうやって呼ばれて来たの?」

「"おい"とか"白いの"とかで……」

「………………」


 希望を持って待った答えは、彼女にとっての暗い過去だった。

 名前もなくそんな呼び方で……。いまどきそんなことが許されていただなんて……。


 彼女の口から出てきた言葉たちに俺も思わず目を伏せたが、瑠夏は少しでも情報を引き出そうと気持ちを堪えて次の問いを探し出す。


「なら、来た場所は?」

「それも詳しくは…………。"出雲国いずものくに"と呼ばれていたことだけは覚えてます」

「出雲……」


 出雲は聞いたことがある。でもどこだったか覚えていない。


 サッとポケットからスマホを出して机の下から調べてみると……あった。

 島根の古い地名?なら普通に島根って言えばいいのに。なんでそんなわかりにくい言い方なんかしてるんだろ。


「なら島根に行けば何か手がかりがありそうか……って、瑠夏?」

「…………」


 何にせよ手がかりを得たのは大きい。

 あとは現場に行って更につながるものを見つけ出せたらだ。

 安直な考えをもって横を向くと、楽観的な俺に対して瑠夏は何やら真面目な表情を浮かべていた。

 唇に手を当てジッと考えている様子。その真剣な様子に言葉が止まってしまう。


「もしかして……。ねぇ、それじゃあ最後に。その国で一番偉い人って誰か分かる?」

「一番偉い人、ですか……すみませんそこまでは…………」

「そっか…………」


 何を思ってその問いをしたのだろう。

 瑠夏は何も引き出せないと悟るや諦めたように背もたれに身体を預ける。偉い人……知事とかその辺か?悪いが俺も名前なんて覚えちゃいないぞ。あ、でも国って言ってたし総理大臣とかそういう感じ?

 しかし分からなければ何の意味もない。そう思って諦めムードが一瞬流れたが、突然「あ、でも!」と少女は思い出したかのように声を上げた。


「で、でも近隣で偉い人なら聞いたことがあります。なんて呼ばれてましたっけ……確か……文武天皇もんむてんのうが崩御されて、新しい人は元明天皇げんめいてんのうになったって…………」

「元明……天皇……」


 その名を聞いてピンとくることはない。

 けれど最後の二文字、"天皇"という言葉を耳にして真っ先にスマホに目を向けた。

 日本でその言葉を冠することのできる人は決して多くない。調べれば確実に出てくるだろう。その名を検索すれば思った通り真っ先に出てきた。安堵すると同時に詳細ページを開き、目を見開く。それは俺の想像を越えたことが起こってしまったという証明だった。

 隣に目を向ければ同じくスマホに目を向けていた瑠夏が真剣な顔そのままでこちらを向き、ゆっくり頷がれる。


「瑠夏……これって……」

「うん。もしかしてこの子、奈良時代からタイムトラベルしてきたんじゃないかな……」


 タイムトラベル。時間移動。

 文武天皇とは奈良時代の人物である。そして新しく就いたということは………。


 少女の言葉を100%信じるならその答えに至るしかない。

 トーストに感動する姿、まじない師だという勘違い、そして瑠夏から聞いたシャワーを知らなかった事実。

 状況証拠的には完璧だ。なにせ本当に知らなかったのだから。俺たちを謀ろうという気がないのであれば、彼女は呪術によって奈良時代から現代に来てしまった女の子だと示していた――――

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