其ノ玖 時人(中)

 鈴ノ屋すずのや妓夫ぎゅうとして働くこと早4ヶ月。その日は突然やってきた。

 深夜2時。不寝番ふしんばんとして、くるわを見廻っていた俺は、大門のそばで小さく鳴る鈴の音に気がつく。しゃらり——その音は忘れもしない、この時代にトリップする原因を作った黒い鈴のだった。

 

「……時人、ときひと!」

 

 声のする方を探ると、大門で隔たれた向こう側に人影があった。提灯ちょうちんを向ければ、あらわになった顔貌に俺は驚く。

 

「へへっ、久しぶり」

 

 おちゃらけた金髪。その襟足に手櫛を通しながらへらへら笑う男は俊介しゅんすけに違いなかった。

 

「久しぶり、じゃねえよ。お前これ、俺に言うことあるよな。なあ?」

「ま、待て時人。人目につくとまずいんだ。門のこっちに側に出て来られないか?」

「あ? 無理に決まってんだろ。くるわはこの時間、完全に閉鎖されてる」

「だよなあ」

 

 何やら考え込むように額を掻く俊介に対し、俺は冷静に言う。

 

「ってことはやっぱり。俊介、お前元々この時代の人間なんだな」

「え?」

「おかしいだろう。お前みたいなちゃらんぽらんが何にも知らずにこんなところに飛ばされたなら、俺と再開した時の第一声が“久しぶり”なわけがない」

「あのな時人」

「夢なら覚めるんだろうよ。だけどもう4ヶ月だ。なんで俺とお前はあの小屋に閉じ込められた? 小屋で縛られていた女は鈴ノ屋で働く夕霧ゆうぎりって名前の遊女だとわかった。けど、そいつは俺を見ても顔色ひとつ変えなかったんだ。俺になんて見覚えないって素振りで」

「それはそうでしょう。あの日、未来であなたが出会った夕霧は、この私です」

 

 突然の女性の声。提灯を俊介の隣へとスライドさせると、そこには見違えた姿の夕霧が立っていた。

 顔周りに貼り付けたようにうねるウェットな黒髪。頭に櫛は刺さっておらず、化粧もほんのり頬がピンクな程度。服装も遊女の着物という派手なものではなく、柄の少ない落ち着いた色のはかま姿だった。

 

「ありがとう時人。あなたのおかげで、私と俊さんは再びこの時代に戻って来ることができました。それも、このくるわの外に」

「夕霧にはすっかり騙されたぜ。まあ、俺は別に令和で生きるのも悪くないなって思ってたんだけどさ……あたっ!」

 

 夕霧は俊介の頭をノールックではたくと、何事もなかったかのように俺を見て眉を下げた。

 

「あなたを巻き込んでしまったこと、とても申し訳なく思っています。けれどあの時は、ああするしか他に方法がなかったのです」

「申し訳ないって、そう思うなら元の時代に帰る方法を教えてくれよ。それに、俺には他にも気になることが」

薄雲うすぐも太夫のことですね」

 

 まるで心を読んだかのように的を射た返事を寄越した夕霧に、俺は警戒する。

 

「未来で彼女……薄雲が突然消えた理由を説明できるのか。どうしてこんな時代に。あんな、顔に傷まで負って」

「全ては百墨花魁、あの妖怪の計画なんです。ここにその全容をしたためました」

 

 大門の格子の隙間から、夕霧は1通の封筒を俺に寄越す。

 

「直近で気をつけるべきは吉野。鈴ノ屋の吉野花魁です。彼女は百墨の馴染みの客、猪崎とやらと密通している。近頃この吉原で小火ぼや騒ぎが多いことにも関係しているはずです」

「待てよ。話が見えない。百墨花魁って刻飛楼の? 妖怪ってのは性格や振る舞いを揶揄して言ってんのか」

「いいえ。揶揄ではなく正真正銘の妖怪という意味です。あの女は刻を飛ぶ鈴の力で時代を超え、この遊郭という制度を未来にまで根付かせるつもりでいる。薄雲は、その計画のために未来から過去へと連れて来られたのです」

 

 その時。遠くの方から足音と共に、提灯の明かりが向かってくるのが見えた。すると途端に俊介は狼狽え始める。

 

「悪いが時人、話はここまでだ」

「は? なんでだよ」

「同じ時代に同じ人間が存在しちゃまずいんだ。廓の中にいる俺や夕霧と鉢合わせにでもなったら、その瞬間に今ここにいる俺と夕霧は煙みたいに消滅しちまう。だから、俺たちはもうここには来ない。外の世界で夕霧とふたり、慎ましく生きていくことに決めたんだ」

「いやいや。決めたんだ、じゃねえよ冗談だろ? まだ何にも解決してねえのに、全部放り出すのか。大体お前らなんなんだよ。俺とお前らになんの関係が」

「そりゃ、時人は俺の——」

 

 言い終わる前に、夕霧は再び俊介の頭をはたいた。

 

「なんだよ痛えなあもう! 夕霧といい時人といい、人の頭ばかすか叩きやがって」

 

 頭を抑える俊介の腕を引いて、夕霧は数歩大門から距離をとった。

 

「時人さん、これだけは覚えておいて。歴史を変えてはならない。起きるべきことは起きなければならない。でなければ、未来はその形を大きく変えてしまう」

「覚えていろったって、俺はどうしたら」

「わっちを、助けておくんなんし」

 

 それだけを言い残して、夕霧と俊介は踵を返した。走り去るふたりの背中はすぐに闇夜にのまれて消える。その数秒後、肩を叩いてきた男の顔を見て俺は目眩を覚えた。

 

「時人。今お前、誰かと話していなかったか?」

「……別に」

「そうか。なんだか顔色が悪いようだが」

「なんでもねえよ」

「かっ、相変わらずいけすかねえ野郎だなお前は。初めて顔合わせた時も仏頂面だったが、俺ももう刻飛楼こくひろうの妓夫として馴染んでしばらく経つ。おんなじ城の中、鈴ノ屋のお前と立場は対等だろうが」

「あー、はいはい。またその話かよ。持ち場交代な、頼むわ」

「あ、おい待てよ時人!」

 

 目頭を押さえれば、じわりと熱が目の奥に染みる。数秒前に走り去っていった俊介が、金髪頭から散切頭ざんぎりあたまへと変化へんげして目の前に現れるさまはマジックショーさながらだ。

 俊介はいつの時代に居ようと、うるさいことこの上ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 この時代の文字が読めなかった俺は、夕霧ゆうぎりからの手紙を読んでもらおうと薄雲うすぐもの部屋に来ていた。本当なら大部屋で過ごすはずだった薄雲だが、遣り手としての活躍を買われて楼主から個室を貰っていた。

 薄雲は黙ってしばらく手紙に視線を落とすと、全てを読み終わって顔を上げる。

 

「これは……なにから話せばよいやら」

「大丈夫だ覚悟はできている。書いてあること、全部教えてくれ」

 

 薄雲は何度か小さく頷くと口を開いた。

 

「まず。時さん、あなたは夕霧さんと俊介さんとの間にできた息子でありんす」

「……はあ?!!」

 

 俺の覚悟はすぐに吹き飛ぶ。

 

「ま、待てよ。俊介が俺の、親父?」

「そうです。ともすれば、今現在夕霧さんのお腹の中にいる稚児ややは時さんかと」

 

 俺は額に手のひらを当ててぎゅっと目を瞑った。そうだ。たしかに今、夕霧は妊娠している。

 

「……じゃあ、あれか? そもそも俺はこの時代の人間で、あの妙な鈴の力で未来に飛ばされていた、そういうことなのか」

「もっと言えば、産まれてすぐの時さんと一緒に夕霧さんや俊介さん、そして百墨ももずみ花魁も未来に飛んでやす。百墨花魁は未来で猪崎耕太郎いざきこうたろう殿を妖術に嵌め、再びこちらの時代へ」

「猪崎? それって確か百墨の馴染み客だったよな、呉服屋かなんかの。なんの目的でそんなこと」

「遊郭城という名の廓街くるわまちを未来に造るため。手紙には、そう綴られておりんす」

「未来に廓を造る……」

 

 “都市伝説だよ”

 

 ふと、ガソリンスタンドの店長の顔が浮かんだ。必死に理解しようと顔を顰める俺に、薄雲は更なる衝撃を口にする。

 

「その猪崎が未来から持ってきた“ガソリン”なるものを、どうやら吉野花魁が手にしたようで。わっちが顔に火傷を負ったあの火事も、吉野花魁の仕業だと」

「ガソリンって。あんなもの撒かれて火をつけられたら、臭いや燃え跡ですぐに分かるぞ」

「そんな名の代物には覚えがありんせん。知らぬものは導けぬ。でも確かにあの火事の時、鼻をツンと刺すような妙な臭いがした覚えがありんす」

「それを、吉野が」

 

 薄雲の顔の右半分には、相変わらず白い和紙が貼られている。その俯く顔を見ながら、俺はついしょうもない問いを口にしてしまう。

 

「薄雲。大丈夫か」

 

 大丈夫なわけ、ないのに。

 

「大丈夫でありんす。吉野の気持ちは、痛いほどに理解できんす。それより問題は」

「……今の話、詳しく聞かせておくれやす、薄雲太夫」

 

 部屋の襖がタンっ、と開いた。俺と薄雲が振り向けば、そこには真っ赤な着物を纏った禿かむろ浜路はまじの姿。

 

「浜路! いつからそこに?」

「吉野花魁が薄雲太夫に怪我を負わせた。今の話、間違いありんせんか」

 

 どうやら、刻を飛ぶくだりは聞かれていないようだ。

 

「時さん! 間違いありんせんか!」

「え? あ、いや。噂だよ、あくまで噂。浜路、吉野は今どこにいる?」

「馴染みのやすさんに付いてやす。部屋では、若梅わかうめ姐さんが仮面かぶって三味線を」

「そうか、今日はその日か。鈴ノ屋はこれから花魁を2人・・置く、そう若梅に話したら、あいつがどうしても実力を試したいって聞かねえから」

「時さん、すぐに部屋に向かっておくんなんし。近頃薄雲太夫にまとわりついていた妙な客が、部屋に入れろと暴れてやす」

「ああ、すぐに行く。薄雲悪いな、また後で来るから」

「お気になさらず」

 

 俺は立ち上がると薄雲の部屋を出た。

 浜路の言う通り吉野のいる客間に向かうと、そこには若梅に絡む客がいて。いなすついでに若梅の道中と花魁就任を告げれば、逆上した吉野は血相を変えた。

 

「何を勝手な! そんなこと、何故新参のお前に言われなきゃならない! 大体薄雲に道中を彩る金などあるものか! あの女はもう客も取れないではありんせんか!」

「その客が取れなくなった原因を作ったのはどこのどいつだ!」

 

 勢いに任せて口をついてしまった。だが狼狽える吉野の顔を見て、俺はさっきの手紙の話が事実だと確信する。

 

「さようならだ、吉野。荷物まとめてすぐにこの城から、鈴ノ屋から出て行くんだ」




 

 俺は吉野にそう告げて、すぐに薄雲の部屋へと走った。

 嫌な予感がする。あの雷の日と同じような、嫌な予感が。目の前にあったはずのものが唐突に消える。そんな胸のざわつきに呼吸を乱しながら、俺は廊下を走り抜けて薄雲の部屋の襖を開けた。

 

「薄雲!」

 

 見ればそこには、右手に剃刀を持ち鏡台に向かう薄雲の背中。その鏡の中、薄雲の左目と目が合った。

 俺は薄雲のそばまで寄ると手から剃刀を奪い取る。その慌てぶりに、薄雲はくすりと笑ってみせた。

 

「なにがおかしい」

「そんなに面食らって。一体どうしんした」

「それは、薄雲がまた、剃刀を」

「ふふ。これは女の身だしなみ。時さんの早とちりでやす」

「……そうか」

「わっちが、死ぬとでも思いんしたか」

 

 俺の方に身体を向け直した薄雲の顔に、和紙はなかった。ただじっと。着物姿で正座した薄雲は背筋を伸ばして、立ったままの俺を見上げている。

 

「わっちはな、時さんを好いておる。心の底からお慕い申し上げてやす。たとえ未来という場所が、ここより多分に恵まれている場所であったとしても。そこに時さんがいないのなら、そこは荒野と同じこと」

 

 すくと立ち上がった薄雲は、迷わず俺の胸に頬を埋めた。その小さく弱々しい身体を、俺は持っていた剃刀を落として目一杯に抱きしめる。

 

「死にんせん。この世が地獄だろうと、時さんがいる限りわっちは生き抜いてみせる」

「薄雲」

「だから……未来に帰るなんて言わないで。時さん」

 

 震え声の薄雲を落ち着かせるように、俺はその背中を優しくさすった。

 

「ああ。ずっと薄雲のそばにいる。約束するよ」

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