2-8

「――起きたか」


 アオが意識を取り戻して最初に聞いたのは、年上少女の声だった。


「……ここは?」


 寝ぼけ眼で辺りを見回すアオ。そこに聞き慣れた男の声がかかる。


「テメェが夏子達を閉じ込めた、ゲームの世界の中だよ」


「……!?」


 聞くや否やアオは完全に目が冴えた。手足を動かし、逃げようとする。


 しかし。


「ん!っ……?」


「あーそうそう、お前が抵抗するといけねえから首筋チョップで気絶して貰ったぜ。そしてそのまま手足もな」


「んっ……」


 手足が縛られていた。アオには動かす事ができない。


 しかも既に、周りには三人の年上が、アオを囲むように居座っていた。


 そして――ゾンビの唸り声も何も聞こえない。


「あ……あなた達……ゾンビは!?」


 自分はゾンビをけしかけ、ターゲットを殺したハズ。よしんば生きていてもゾンビ化して終わり。そう思っていたが、当の本人達にはそんな気配が見えない。


「なんで……あなた達が、まだ生きてんの……!」


「決まってんだろ」三人のうちのポニーテール少女が、そう言い放つ。「全部『消毒』してやったんだ、アタシの火属性魔法でな」


 白い歯をちらつかせ、ポニーテール少女が笑う。


「魔法少女をあんまり舐めんじゃねえぞ?」


 それを聞いた途端、アオの顔から血の気が引いた。


 自分は、魔法少女に負けたようだ。




 その魔法少女は手負いで回復にも時間を要する程だった。しかし、ゾンビ化の兆候も何も無い。


 否。転生対象だった少年も、ゾンビ化する気配が全くしない。


 何も、うまくいかなかった。むしろ最悪の、この上なくマズい状況だった。


「それにしても……」


 魔法少女はさらに顔色を変え、挑発的な顔になった。八重歯をちらつかせながら、顔と同じくらい挑発的に言う。


「まさかアンタだったとはね、フォロワー10万のガキ。ちょっとばかし有名になったから人を裁けるようになった、ってか?」




「フッ……人を裁く?ちょっと意味が分からないな」


 アオは口元に笑みを浮かべた。恐怖を紛らわす為に、虚栄を張っているだけに過ぎないが。


 それでも虚栄を信じて、彼女は笑みを口元に乗せ続ける。


「『神徒』の事でしょ?あの素晴らしいボランティア団体の」


 その時――アオの首筋に刃が向けられた。


 アオの頭と同じくらいの大きさの刃が、その首元を狙っている。その刃は――魔法少女が両手で持つ、長い一本の棒に据え付けられていた。


 恐怖に気圧され、アオは息を呑んだ。


「何も分かっちゃいねえヤツだな」


 途端に魔法少女が言った。その顔はこれまでとは違って真剣。剣呑なる両目がアオを睨み、口からは重厚な声が発せられる。


「テメェ、『神徒』が今まで何やってきたか言えるか?」


「えっ」


「言わねえなら、今テメェの首を刺す」


 刃がアオの首を突いた。まだ刺さってはいないが、それ以上前へ動かせば刺さるだろうという力加減で首に触れている。


 泣きそうになりながら、アオは絞り出すように言った。


「わ……悪い人を懲らしめたり……あ、あとは……」


「『あとは』何だって?」


 魔法少女が重厚な声と共に刃を少し進めた。まだ刺さってはいないが、あと1ミリでも動けば血が出るであろうスレスレの力加減だ。


 精神を追い込むようなチクとした痛みに、アオは涙を流しそうになった。


「せ……」


「せ?」


「精神的に……追い込まれた人を、『別の世界』へ送ったり!」


「ああ、ソコなんだよ」


 突然、魔法少女が口を受け皿のように曲げて八重歯を晒した。同時に、刃がアオの首筋を離れる。


 アオは解放されたような気分になったが、恐怖はまだ抜けきらない。そんなアオに、魔法少女は言った。


「アタシと裕誠が、『神徒』の悪行を身を以て経験してる。だから教えといてやる」











「そんな……なんで、アオが……!」


 俺は困惑と怒りと悲しみの混じった何かに体内を搔き回されていた。


「こんな、こんな会い方ありかよっ……!」


 今にも誰かに飛び掛かりそうだった。体内に感じる何かの脈動と目の前に広がる現実が、これでもかとその衝動を搔き立てる。理性を保つだけで精一杯だ。




 天酒あまさかアオ。


 チャンネル登録・フォロワー数10万人越えの、中学生配信者。


 インフルエンサーとしての成長と子役としてのキャリアも期待された、日本で今一番うまくいっているであろう中学生。


 ゲームが上手く、ファンサも旺盛。


 俺の、憧れの人物。




 そんなアオが、なぜ『神徒』に……!




 夏子の言う通り、「有名になったから人を裁ける」と思ったからなのか?


 力を持ちさえすれば、人を思い通りに裁けるのか?


 そんなハズは無い。嘘だと言ってくれ、アオ。




 そう思いながら、首筋に槍を突き付けられるアオを見ていた。嘘なら、助けなければならない。本当なら、彼女が泣き喚いても助ける理由が無い。客観的に見れば、夏子の方がアオを脅す悪役にも見て取れる。どちらを取るか、という葛藤が俺の感情を混ぜ、曲線に、或いは球状にしていた。


 しかし――次の一言を聞いて、混じりまくった感情が直線になるのを感じた。




「『神徒』の事でしょ?あの素晴らしいボランティア団体の」




 聞いた瞬間から涙が零れた。


 困惑が消え、悲しみと怒りだけで構築された涙。


 悲しみと怒り、どちらが強いかは分からない。しかし、アオに対する怒りが内包されていないのは確かだ。


 彼女は――洗脳されていたのだ。彼女の事を認めた『神徒』に、都合の良いように利用されていただけ。


 アオは悪役ではない。いや、ビッグリグスも、悪役ではなかったのかもしれない。


 『神』が、唯一無二の悪役。この場面は、そう示していた。




 改めて『神』への憎しみ、怒りがこみ上げる。しかし、アオへの憎しみ、怒りはおかしいくらい感じない。


 何故なら、自分は涙を堪えるだけで精一杯だったから。


 だからこそ――次に自分の目に映った光景が、そこで夏子が言った言葉が、夏子なりの慈悲であるかのように感じられた。











「『神徒』はな、『社会に必要無い』と勝手に判断したヤツを、勝手に殺人や転送で異世界に追放していく……この上なく、身勝手な野郎共だよ」











「アタシも裕誠も、お前の同僚に襲われた。トラックを人にぶつける、『ビッグリグス』とかいう野郎に。危うく死ぬ所だったんだぞ」


 笑ったかのように見えた相手の表情は、怒りの顔だったのだろうか。




 アオは困惑していた。


 これまで弱者の味方、善良なボランティア集団だと思っていた『神徒』。そのメンバーによる殺人未遂に遭った、と目の前のポニーテール少女は言っている。その口ぶり、表情から見るに、作り話とも思えない。


 自分を守りたい一心で、必死に声を絞り出す。


「……ホントに、ビッグリグスさんが殺しに来たのかなあ?あなたたちの事を、どこか素晴らしい遊園地に連れて行くところだったかもしれないよ……?」


「いや……確かにアイツは殺しに来てたさ」


 口を開いたのは魔法少女ではなかった。その隣にいた、眼鏡の少年。ターゲットとしてビッグリグスが狙っていた、オタクの高校生。


「夏子が助けてくれなかったら……俺は死んでた。それが、俺と夏子の出会い――『神徒』との戦いの始まりだ。だから、『神徒』が人を平気で進んで殺す集団だって確信を持って言える」


 眼鏡の少年はそう言うと、アオの手を柔らかく握った。


「っ……」


 手を握られて息を漏らすアオに、少年は優しく言った。


「でもお前は……洗脳されただけ、なんだろ?いや、お前の能力からして……んだろ……?」


 そう言われて、アオは自らの『権能』を思い出す。




 人を『ゲームの世界』に引きずり込む能力。


 殺傷能力もなければ、精神汚染も何もしない、無害な能力。


 それを使って、今まで何人もの悩める人々を『素敵な世界』へ送ってきた。今頃はあの人らも、与えられた力で快適に過ごしているだろう。




 ではなぜ、目の前の魔法少女はそれを邪魔しようとするのだろうか。




「――おい、アオっつったか?」


 魔法少女の声で、アオは現実に引き戻される。


「ひっ……」


「テメェはまだ、人を殺してない。まだ誰も、だ」


 再び神妙な顔つきを取る魔法少女。


「だからこそ、お前はやり直せる」


「やり直す……?」


「ああ。そしてアタシには、もうやり直す事なんてできない」


 そう言うと魔法少女は、槍を再びアオに向けた。


「えっ……何……?まさか……」


 自分を殺すのか、とアオは予想した。しかし裏腹に、夏子は言うだけだった。


「この槍で、アタシはビッグリグスを殺しちまった」魔法少女の顔には、もはやプラスの気など無かった。「殺さなくても良かっただろうにな。でも警察に突き出した所でアイツは死刑が確定だった、って思うようにしてる。けど、それを思い出す度に、アタシはもう戻れないって確信してるよ」


「な、何を……」


「だから、やり直せ」魔法少女は槍の狙いをアオから外した。「全てが終わったら、ゲーム世界から被害者を連れ戻せ。そして、今度こそボランティアとしてアイツらを救ってみろ。何も異世界に追放するまでもねえ。アイツらには、心が充足する場所さえあればいい」




「……ふん」


 アオはまだ、この者の言う事が理解できなかった。


 心が充足する場所など、この世に生まれるハズが無い。所詮は『一軍』の、さらなる利益と娯楽の為の消耗品なのだ。だったら私は、それを利用して『一軍』になるしかない。


 だから配信者になったのだ。勝ち組として、負け組から巻き上げる為に。


 所詮この世は階層構造。上と下に、どうしても別れる。ならば『上』になればいいだけ。なれないヤツから『下』になるのだ。そうなれば、惨めな生活が待っている。




 だがこの考えを遮るように、再び刃がアオの喉元に触れた。


「んっ!?」


「まあお前みてえな勝ち組が、理解できる訳なんて無えだろうな」


 魔法少女が軽く笑みを浮かべ、しかしどこか重い声で言った。


「今後その力で、絶対に『神隠し』なんてやらなきゃいいだけさ」


 そしてアオの縛られた手首に飛びつき、槍の刃を首筋に当てた。


「ひっ……!」


 怯えるアオに対し、魔法少女は物凄くにやついた顔で言った。




「もしまたやったら――お前を***の相手にして、その後散々槍で傷付けてからもう一回***で嬲った上で殺す」

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