2-7

 真司は下北沢のアパレルショップにいた。


 無論、アルバイトである。かなり有名な店の為、下北沢に来た客が一度は見に来るという触れ込みだ。当然それに合わせてバイト人数もかなり必要になってくる。真司もまた忙しい。


 ――ハズだった。ところがこの日。




「今日はやけに人が来ねえな……」


 もはやバイトさえ要らなかった。


 それなのに、真司は最後の砦とばかりに缶詰状態となっていた。傍から見れば近くのライバル店のイベントの為なのだろう。言うまでも無く、不機嫌。


 だが次の瞬間、その真なる理由にして目的たる人物が現れた。




「こんにちは~っす」


「おー、いつものメンツすか。いらっしゃーせー」




 美少女達。毎週土曜日に来ている常連だ。見た目も気立ても美しいので、真司は毎日見ていたい気分になる。何もアレな意味ではないが。


 だが今日は三人。いつもは四人で来ているハズが、今日は珍しく三人。


「どうしたんすか、今日は一人足りないっすね」


「ああ、アオの事?」少女の一人が笑顔を崩さずに言った。「今日は図書館で勉強だってさ」


「へえー」


「だから今日は来れないっぽいよ」


 別の少女が言う。それに続けて、また別の少女も言う。


「きっと動画のネタ探しでしょ」


「待て待て待て」可笑しいと思った真司が話を止めた。「あの子もう十分人気だろ?今のままで大丈夫な気がするんだが」


「いや、アオも『まだまだ』って思ってんじゃないの?」最初に口を開いた少女が言う。「どれだけ動画を作っても不満。多分、みんなの満足……世界中の満足の為に頑張ってるんじゃないかな」


「それで図書館で勉強かい」真司は苦笑した。「世の中で何が人を満足させるか、って勉強か?」


「いいや?」二番目の少女が答えた。「にしても言われてみれば、だよね。図書館で勉強って、配信者として何を勉強すんのかなって感じ」


「確かに」三番目の少女が同意を示した。「配信のネタが図書館で見つかる訳無いのにね」


 その途端、真司の脳裏を何かがよぎった。何か、不穏なもの。不吉なものが発生するのを彼は感じた。そして、何か策を弄する必要を。


「きっと、アイツはこっちに来ますよ」


 その上で、真司はそう言った。


「どうせ『図書館にネタが無かったよー』なんて、泣きついてくるでしょ」


「……そうね」


 最初に口を開いた少女が変わらぬ笑顔で答えた。それを見て、真司は次の行動に移る。


「だから先に家に帰っといて下さい」


「……はあ!?」


「冗談っすよ冗談」


 こうなる事は分かっていたが、少女達の返答には何かの威厳のようなものがある。一度逆らえば、酷い目に遭うのが目に見えるという程の。


「先に別の店のイベントでも見てていいよ、って事っす」真司は冷や汗を流して言った。「その時アオちゃんから電話がかかってきたら、『家に帰った』とでも言えばいいっすから」


「何言ってるの?」


二番目の少女が抗議する。三番目の少女も続ける。


「アオは大事な友達だよ?」


「だからこそのサプライズじゃん」真司は必死で説明に出た。「サプライズで服を買っててくれ、って事。いつもお疲れ様、って感じで」


「……ふ~ん」最初の少女が再び笑みを浮かべた。「なかなかエモい考えじゃん」


「言われてみれば」「確かに」


 二番目と三番目が口々に言うのを聞いて、最初の少女が続ける。


「だからさ、そうと決まれば……やろ?」




 という経緯で、三人の少女達は店を出た。少女達を遠ざける事に成功した真司は、店長の所へと赴いて、言った。


「すみません、家の都合があるんで帰ります」


 店長は特に考えるでもなく即答した。


「全然OK。Todayは全然来ないって分かってたから。あのGirlsが来るまで居続けた事だけでも褒めて遣わしたいよ」




「で、俺が今ここにいるって訳」


真司が店を出てから数分後。アオの首を腕で囲んだ状態で、真司は言った。


「『神徒』って……知りませんよそんな団体」


 アオが真司を睨む。


「知りません、だって?」真司は苦笑を浮かべた。「嘘に決まってんだろ。お前みてえな配信者が、図書館にネタ探しに行く事は無いと思うからな」











 怪人の右腕のガトリングが雑音を響かせる。しかしそのコンマ下1秒前、夏子は横に跳んでいた。


 ガトリングの弾が全弾、後ろの結界に吸い込まれていく。結界は未だ健在。それを確認して、夏子は怪人の足元に対して強く念じた。


 その瞬間、怪人の足元から槍が湧き出る。一本が怪人の体を刺し貫き、二本三本と次々にダメージが蓄積する。


「これで死んだら、ラスボスの名折れだよな?」


 夏子の挑発にも耳を傾ける余裕すら無いまま、怪人がその場に倒れる。


「……なんだ雑魚か」


 失望を顔に乗せながら、夏子は裕誠の待つ車に向かって歩く。


「終わったぞー、後はアタシもそっちで待つぜ」


 頭を掻きながら言う夏子。しかし。


 ドンドン、という音が微かに聞こえる。


「ん?」


 それは前からの音。結界の中の、車の窓を内側から叩く音。何かを訴えようとしているようだ。


「どうした?」


 だが夏子には聞こえない。


 それに気づいたのか、車を叩く少年――裕誠が夏子の方を指差す。


「何言ってるのか分かんねえぞ!」


 そして裕誠が口を開く。それを見て、夏子は50%勘づいた。


「う、い、お……う、し、ろ……後ろ……!?」


 夏子は後ろを見た。


 次の瞬間、夏子の足に鋭い痛み。


「ぐあっ!」


 突然の痛みに足を抱える。それでも夏子は前を見る。




 その犯人――機械腕の怪人が、地面に雄々しく立っていた。


 何事も、無かったかのように。




「ぐっ……流石は、ラスボス、か……」夏子は呻く。「そう簡単にはいかねえ、生命力も岩野郎とは段違い、かよ」











「普通だったら連続失踪事件で怯えて、どこへ行くにも友達と一緒のハズだよな?こんな時期に一人でどこかへ行くとは、やっぱり常人の精神力じゃねえ。解決に行こうなんてバカか、警察か。或いは犯人か。配信者のお前の事だから、そんなにバカじゃあねえ。それに配信者が図書館へ行くなんて、堅物の知識が欲しくなきゃ滅多に無えよ。だったら、犯人と言われてもおかしくないよな?」


「だから、自分で解決しようって事!そうすればより人気になれるのかなって」


「そうかい」男は歯をちらつかせ、含みのある笑みを浮かべた。「じゃあ?」


 それを聞いて、アオは希望を失いかけた。「三間茶屋」と言えば「なぜネカフェも図書館も無い三間茶屋に」と言われ、「渋谷・新宿」と言えば「何か有力情報とか見つかったか?」と言われる。よしんば「本当に図書館へ行った」と言えば、「じゃあ何を学んできた」と学習内容を問われるだろう。


 何も言い返せない。何も動きが取れない。スマホを取り出そうとすれば、この男は首を絞めるに違いない。仮にスマホを置いて逃げたとしても、殺人犯だと通報される恐れがある。その場合、この男だけ逮捕されたとしても自分の信用に傷がつく事も有り得る。


 ここは素直に従って、反撃の機を待つしかない。


「……言えません」


「分かった」男は静かに言った。「とりあえず駅まで行くぞ。大丈夫、通報はしないから」


「ホントに?」


「今の時点ではな。実を言うと、俺はお前らの仲間になりたい」


「……え?」


「お前の次の行動次第だ。良いか、絶対に『誘拐犯』だとか言うんじゃねえ。何を聞かれても『デート』だと思わせる言動を取れ」











 痛みの残る足を、槍を支えにして立たせる。


「ったく……雑魚じゃねえなら、ちゃんとHPバーが付いてるべきじゃねえの?」


 痛みに耐えながら、不敵に笑う。


「他のゾンビ共と同じだったら、炎で生命力を削れるハズ……」


 夏子が強く念じる。


 その祈りに呼応して、怪人の足元から今度は炎が沸き上がる。まるで東洋の竜のように。


「これでお前は終わりだろうな」


 だが。


 先刻の槍から学んだのか、炎を見るや否や怪人は後ろに跳び退いた。


「避けやがった!?」


 夏子がもう一度強く念じる。炎が竜の形を取り、怪人の方へと飛び掛かる。


 しかし怪人は横に跳び、全弾を避けた。


「クッ……」


 避ける動作を終えた怪人が、歯ぎしりする夏子を眼に捉える。


「ヴオオオオアアアアアアッ!!」


 その途端、怪人が唸る。かと思うと、いきなり夏子の眼前に跳び込んだ。


「っ!?」


 反応の時間など無かった。


 横腹に激痛を感じると、自分の体は横に飛んでいく。


「ぐああっ!」


 凄まじい速度で横飛行。結界を張ったのとは別の車が、彼女を受け止める。


「ぐぅ……っ!」


 鈍い痛み。痛む喉にレモン汁を流し込んだような感覚を数倍に増幅した感じが、横腹と背に重く乗りかかる。アザになれば、当分は消えないだろう。


「まだ……行ける……っ」


 己を鼓舞し、なんとか体を起こそうとする。


 しかし、それを嘲笑うかのように、眼前15メートル先でガトリングが短く放たれた。ばら撒かれた弾丸が、夏子の頬を斬り、その腕と足に痛みを残した。


「ぎっ……!」


 重なる痛みに思わず目を瞑り、夏子は地面に首を垂れてしまった。




 夏子は驚いていた。15メートル先の大男のスピードに。魔法少女をも軽々と薙ぎ飛ばす、彼の膂力に。そして彼の強さをより一層引き出す、機械の腕に。魔法少女でなかったら、既にこの世を離れている。


 この怪人も、ウイルスによってできた怪物の一種だろう。それならばゾンビのように知能は低下している、と思っていた。だがこの大男は違った。


 炎の攻撃を、回避してみせたのだ。恐らく、槍が地面から湧き出た事から学習でもしたのだろう。ゲームを見る限り、これを並の人間が倒す設定なのだから恐ろしい。




「アイツに、負け、たら……終わる……」


 それでも夏子は勝たねばならなかった。裕誠と共に、無事に元の世界に帰らねば。それが無理だとしても、この世界で。


「アタシの人、生……テメェなんかに……ぐぁっ」


 ならば、ここで痛みに負けてはいけない。


 仮にも――二年前、激闘を生き抜いた魔法少女だから。


 槍を支えに立ち上がり、自分に発破をかける。


「終わりを告げられて……たまるかよ!」











 来た線路を逆戻りし、三間茶屋に降りる。


 アオは恐れていた。自分がやった事の露呈を。


「なんで……私がやった、って」


 恐る恐る男に問う。すると男は自分のスマホを取り出し、笑みを浮かべた。


「どっかに電話したんだよ、伝えたい事があったから。でも出なかった。そして俺が電話を掛けたのは、いつもお前らが来る時間。という事は……分かるよな?」


「でも寝てただけかもしれな――」


「アイツはこんな時間に昼寝はしねえよ。電話を掛ければ、いつだって応える」


 否定も何もできない。


 アオは静かに「はい……」と呟く事しかできなかった。


「よーし」男はスマホをポケットにしまい、笑顔を崩さずに言った。「今からお前が行った所に案内しろ。俺もそこに用があるんだ」











 アオの案内に従って、俺は三間茶屋を練り歩いた。終始怯えた風のアオだったが、演技にしては自然過ぎる。まあどちらにせよ、コイツが犯人であるという確証は揺るがないが。


「なあアオ」


「……何ですか」


「さっき言ってた『どっか』っての、実は俺の友達ダチなんだ」


「えっ」


 アオが目をぱちくり。


「もし俺のダチの家に寄ってたんなら……?」


 アオに答える事はできなかった。


「まあいいさ」俺は笑顔を崩さず、気楽に言った。「どうせ後から聞けば分かる。もし『神徒』じゃなかったら、ダチに紹介してやる。連続失踪事件の捜査もやってるから、お前も役に立つかな、と思って。詫びも兼ねて、な」




 そして俺達は着いた。


 その場所は――裕誠と夏子が住むアパート。


「ここか?」


「……はい」











 拳を振り上げた怪人が、雄叫びを上げて突進してくる。


 それを見た夏子は、3つの傷と背中、脇腹にそれぞれ結界を張り、槍をしまう。


「ヴジョアアアアアア!!」


 怪人が叫んだ。そのままガトリング腕が夏子めがけて突き出される。だが。


「とりゃ!」


 地面を蹴飛ばし、夏子は一気に車の上へと空中を後転。彼女めがけて突き進んだ砲身が、車の横腹に突き刺さる。


 その勢いで車が横転を始めた。


「っと……」


 咄嗟の判断で、夏子がロンダートを始めた。絶妙なタイミングで車の脇腹に手を置き、さらに絶妙なタイミングで車の底面に着地。


「どりゃあっ!」


 瞬時に膝を曲げ、次の瞬間、夏子は跳んでいた。


 槍を再び虚空から召喚し、石突きで地面を突き飛ばす。再び殴ろうとしていた怪人の腕が空を切る。そして夏子が怪人の頭部を踏み台に、またも滞空時間を延ばす。


「3コンボ」


 そう呟き、夏子は怪人から少し離れた場所に着地した。残っていた勢いで、彼女の靴が地面をスライドする。


 夏子が後ろに回り込んだ事に気付いた怪人が、後ろを向いてガトリングを構える。


「させねえよ」


 夏子の槍が炎を纏った。彼女が、それを怪人めがけて投げつける。


 槍は過たず、怪人の右肩を貫いた。それを確認し、夏子は呟く。


「今度はこっちのターンだぜ」


 再び槍を虚空から召喚し、夏子が地面を蹴った。


 怪人との間合いが詰まっていく。その夏子のスピードたるや、打ち上げられる花火玉に匹敵する程。


「近距離は体験してねえだろ!」自信の溢れる笑みを浮かべ、彼女が槍を構える。「まずはさっきのをもう一発!」


 それを目にした怪人は、右のガトリングを発砲。その状態で、体を回転させる。紛れも無い、防御動作。




 だがそれでもお構い無しに夏子が近づく。普通ならとても考えつかない、まさに自殺行為。


 案の定、その体は再びガトリング腕の薙ぎ飛ばす所となり、遠くへ――。




 とはならなかった。




 ギュイン。


 夏子の体に触れたハズのガトリング腕は、勢いを落とさずに――


「ヴ!?」


 動揺した怪人が乱射を止め、左腕で地面を押して回転を止めた。彼の息が上がっているのが、明確に音として聞き取れるようになった。


 怪人が辺りを見渡す。


 しかしどこにも夏子の姿は無い。雄叫びを上げて怒りを表現するも、夏子が出る事は無かった。


 逃げたものだろうと諦めたのか、体を休める怪人。




 そこに――一本の槍が怪人の体を突き破って湧き出た。




「ヴオアォ!?」


 動揺を隠しきれぬ怪人。


 しかしすぐさま、二本目三本目と次々に槍が生えてくる。地面からではなく、なんと虚空から。何も行動を取れぬままの怪人を、次々に槍が襲う。


 グシャ、グシャ、グシャ、グシャ、グシャ。


 次の瞬間には、怪人の体は毬栗イガグリのようになっていた。




「「「「「「「「「「「「驚いたかい?」」」」」」」」」」」」


 少女の声が朗々と響き渡った――しかし。


「「「「「「「「「「「「も、経験してねえだろ」」」」」」」」」」」」


 何故か、幾重にも同じ声が響いている。怪人には急すぎた状況。しかし次の瞬間に怒った出来事で、ようやく理解が追い付いた。


「――よお、怪人さんよ」






 怪人の周りを、が取り囲んでいた。




「でもお前には教えてやれねえよ。来世でアタシの世界に来て、アタシの知り合いに会ったら聞くといいぜ」


 夏子のうちの一人が言うのを合図に、残りの夏子達が手を怪人の足元に向けた。


 足元から、120本の炎の筋が舞い上がる。




「ヴヴヴオアアアアアアアオオオオオオアアアアアアアオオオオオオオヴヴヴッ――!!」




 炎に巻き取られ、怪人が呻き声を上げながらガトリングを乱射する。しかしそれも、次に出た槍によって止められた。


 右腕の痛みに、怪人が吠えた。ガトリングの動きが止まる。


 二秒後、怪人は動かなくなった。




 それを見て、十一人の夏子達が炎となって消え去った。一人になった夏子が言う。


「これで生きてたら、流石ラスボスって事だな……。ま、ダメ押しにもう一本、行くか」


 もう一本、槍を怪人に刺す。動かない事を確認してから、夏子は車に向かった。











 結界を解き、夏子が車の中に入る。


「待たせて、悪かったな」


「全然」傷だらけの夏子を見て、その体を支える。「それより大変な傷だな……よくあんな怪人を倒せたんだな、って」


「ありがとさん」


「それにあの技……分身できるのか?」


 俺の興味津々に気付いたのか、夏子が素直に答える。


「『Karmesinカルメズィン Heiligerハイリガー Geistガイスト』、『真紅の聖霊』さ。アタシの意思で自在に動き、アタシの意思で勝手に引っ込む。やろうと思えば攻撃も通り抜けるぜ」


「そんなにか」言っている事が凄すぎて頭が冴える。「ホントに何でもできるんだな」


「ま、それでもここから出られはしねえからなぁ」


「確かにな……流石に夏子でも、時空転移はできないよな……」


「そうなんだよ……でもまだアイツがいるだろ、真司だったっけ」


「う~ん、アイツそう簡単に察しが付くかね……?」


「お前の友達ダチだろ、信じてやんなくてどうすんだ」


 生物災害発生地のど真ん中、俺達は車の中で談笑する。普通なら、もう帰れない事を気にして気が狂う所だ。


 しかしまだ希望は残っている。誰かが犯人をここに連れて来れば、ここから出る事が可能。尤も、犯人の事だから脅しでもしない限りここから連れ出してはくれないだろうが。


「とりあえず安全な場所に逃げるとするか」


 夏子が車のエンジンを掛けようとした。


「えっ?」思わず声が漏れる。「夏子……運転できるの?」


「親父の見様見真似だよ」


 しかし掛からない。


「免許持ってない子はここで待っとくしかない、って事だよ」


「なんでだよ!」


 夏子の元気なツッコミ。それを聞くとなんだか安心する。


「ありがとう」


 つい、変な言葉が漏れてしまった。


「おい……ありがとう、って」


「えっ、なんか、ごめん」


「人が真面目にツッコんでんのに何だよそれ!」


「だから謝ってるだろ!」


 次の瞬間、夏子が吹き出した。


「プッ……ハッハハハハ!」


「え!?」


「こっちからも言わせてくれよ」


 夏子が満面の笑みでこっちを見た。そして一言。


「ありがとな」


 俺は数秒間、動けなかった。それから自分の顔が暖かくなるのを感じ、一気に心臓の鼓動が聞こえた。


「ヘッ。ウブかよ」小さく笑う夏子。傷が痛んだのか、声を漏らした。「てっ」


「無理するなよ」


 俺は彼女に対する感謝と共にそう言った。


「ああ、気遣いありがとさん」


 太陽のような顔から太陽のような声。


 そう言うと、夏子は静かに、座席に体を委ねた。




 ズシン。


「「!?」」


「何だ今の!?」


「多分アイツだ、まだ生きてると思う!」


 突然の大きな物音に、二人同時の大驚愕を経験した。下方向に緊迫の種を感じ、車の下を見る。


 そこに、機械腕の怪人。


 車の下で左腕を伸ばして立っている。即ち、左腕で車を持ち上げている状態。


「嘘だろ、アイツまさか」


「生きてたんだ!クソッ、アイツまだ死なないのかよ……!」


 次に起こる事を予想し、シートベルトを着ける。


「なんて生命力だよ!裕誠、アイツどうやったら倒せんだ!?」


「まさかあれでも死なないなんて思う訳無いだろ!攻撃しまくれ、としか言えないよ!」


「じゃあ何回攻撃すればいいんだよ!」


「知らないよ!あの生命力は作中でもトップクラスなんだから!」


「「って、うわあああああ!?」」


 言い合っている最中に車内の重力が傾いた。窓の外に怪人の歪んだ顔が見える。


「まさか……!」


「ホントに投げる気か……!?」


 その問いに対し、怪人が行動で示す。


 車内重力が二転三転し、かなりの恐怖を俺に投げ込む。どんな絶叫系マシンよりも酷い動きを2、3回繰り返した後、車が火花を上げて道路をスライディングした。俺達が叫んだのは言うまでもない。




「う、うわあ、あ」


 思考回路に大きなダメージ。何も頭に入らない。あの投げ技しか脳に浮かんでこない。


「ハァ……ハァ……ハァ」


 俺が我に帰れたのは、30秒経ってからの事だった。


 ……良かった。生きてる。


 だが油断はできない。あの機械腕巨人が、まだ俺達を狙っているハズだから。


「夏子……夏子?」


 俺は最後の希望となる夏子を見た。


 夏子は――気絶していた。


「おい、夏子?返事をしてくれ……夏子、夏子!」


 幸い息はしているが、ここで気絶されたらアイツの格好の的だ。


 背骨を折るような着地を避けるように、自分のシートベルトを外す。


「いっ……」


 背骨は折れてない。頭に痛みは走ったが。


 こうしている間にも怪人の迫る音が肥大化していく。


「夏子、夏子、夏子!」


 夏子の体を必死で揺さぶり、俺は助けを求めた。だがそれでも気絶したまま。空しさを強調するかのように、怪人の足音がどんどんハッキリしていく。


「ん……?」


 その途端、聞き慣れたような声。朝、起きる時の声。


「夏子?」すぐさま声の方を向いて、夏子の体を揺さぶる。「夏子、大丈夫か?夏子」


「……裕誠……って事は、生きてる、のか……」夏子の意識が戻りかけている。「アイツ……まだ、倒れて……ないだろ……?」


「ああ。さっさとトドメを刺すべきだと思う」俺は夏子にそう言った。「刺し方は俺が考えた」


「そうか……ハッ」


 怪人の姿が見えたのか、夏子が完全に意識を取り戻した。


「さあ、早くここから出よう」


「なんでだ?」


「これを爆発トラップとしてヤツに送るんだよ、夏子の炎だったらいける」


「……そうだな、まずはここから出るか」


 夏子が承諾した。


 しかしその承諾に、何か違和感が感じられる。


「お前も早く出ろよな」


 夏子の言葉で、呆然としかけた俺は自分を保てた。


「わ、分かった」


 二人で車を脱出する。


 しかし。


「――危ねえっ!」


 いきなり夏子が俺の腕を引いて跳び退いた。


「ういいっ!?」


 次の瞬間、金属が破砕される音。その方向に、怪人が車を破砕した図が見える。


「危ねえ危ねえ」夏子が息を漏らした。「予想通り、爆発トラップにはできなかったか」


「どうすんだよ夏子!何か策は」


「黙ってろ!!」


 ふと、夏子が大きく叫んだ。


「え――」


「いいから黙って見てろ。アタシにはまだ、があんだよ」


 その顔に、迷いは見られなかった。


 次の瞬間、夏子が目を閉じる。


「???」


 十秒は意味が分からなかった。まるで何かを祈るかのように、夏子が目を閉じている。その手には、槍。こんな時に何を、と思った。


 だが次の瞬間、その意味が分かった。


 彼女は、本当に祈ろうとしているのだ。何か、特別な魔法の準備をしている。その証拠に何か魔力のようなものが、俺の体を撫でた。


「こ……これは――」


 暖かい、神聖な空気が周りを包む。


 そして――彼女は叫んだ。




「来い――『Himmelヒメル Dracheドラッヘ』!!」




 次の瞬間、彼女の周りを神々しい炎が包んだ。聖なる、という言葉が最も相応しい、邪悪さを全く感じさせぬ炎。


 それを槍が吸収して、槍が肥大化。彼女一人では持てない程に巨大化し、関節までもが生まれる。さらに槍の穂先が先端から綺麗に割れて、何か生物的な頭部のようなものとなる。しかしそれでも、神々しい炎は未だ消えない。


 一連の変形動作を終えてなお聖なる炎を纏うその姿は、もはや『天の炎龍』と呼べるもの。


 槍が、一体の東洋龍となったのだ。




「フウゥウゥウォオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォッ――!!」




 邪悪さの欠片も飛び散らない綺麗な鳴き声が響いた。あの槍――いや『ヒメルドラッヘ』の鳴き声だ、とすぐに確信できる。視覚で圧倒された俺は、口から何の言葉も出せなかった。


 その龍の口から、一つの直線。見た俺の心も浄化されていくような、橙色に輝く光。


 光が、怪人の右足へと吸い込まれていく。


「ヴヴオオヴヴッ!?」


 邪鬼の短い呻き声。


 バランスを崩す怪人に、すぐさま二本目の光が刺し込まれる。そのまま三本目、四本目、五本目、と次々に放たれ、怪人の傷が同じだけ穿たれる。


 怪人は力を振り絞り、右腕の砲身を胴体の前へ持ち込む。ヤツにとっての精一杯の防御態勢。しかし新たに放たれた光は、ものともせずに砲身ごと貫いた。


 砲身から煙と火花が上がる。その機能いのちが終わった、という明確なる宣言。




「よしっ……」


 俺は心の声を漏らしていた。聞こえていたのか、夏子が清らかな芯の強い声で言う。


「まだまだこれからさ――行けよ、ドラッヘ」




 待っていた、とばかりに――龍が怪人へと突き進み始めた。


 怪人は龍の突進を受け止めきれず、殺されない勢いと共に後ろへと下がっていく。


 彼を受け止めたのは――高架橋の柱。


「ヴヴゴガガヴォガゴゴゴガゴッヴ!!?」


 怪人の体が柱に据え付けられる。しかし龍が、を柱から抜く。怪人の血が、その胴体から放り出される。だが次の瞬間――龍のはもう一度怪人を貫いた。


 同じ行動を、10秒のうちに10回行い、龍はそれ以上柱から鎌首を動かさなかった。怪人は、もう自在に動く事もままならなかった。砲身の壊れた右腕を、上下微かに動かすので精一杯だった。




「トドメだ」


 夏子が、涼しい笑みでそう言った。




 龍のに光が集まる。怪人は何を察しても、逃れる事は叶わない。




 清流のような音を立てて、龍の頭から光が噴き出した。











 高架橋の一部が、綺麗にくり抜かれていた。


 その下には元の大きさと姿に戻った、槍が一本横たわっている。しかし怪人の体は、その近くにも、遠くにも映らない。


「すっげぇ……」


「だろ?」


 呆然と心の声を漏らす裕誠に、涼しい顔と声で夏子が言う。しかし傷の痛みにより、時折その涼しさは崩れそうになる。


「これがアタシ達がやってた、『武具守護獣化魔法』だよ……アイテッ」


「大丈夫か夏子」


「平気……だよ」夏子は倒れそうになりながらも、涼しい顔を保ち続ける。「それよりも、本命はコイツじゃねえって事忘れたのか?」


「あっ」思い出した裕誠が短く漏らす。「そうじゃん、すっかり忘れてた」


「でも心配はいらねえよ」


 笑顔のまま、夏子は高架橋の逆側を指差した。裕誠もつられてそちらを見る。


 そこに、二人は見た。




「やっぱ異世界に送られてたかー……今助けに来たぜー!」


「……」




 気絶した少女を小脇に担いだ、無傷の不良が向かってくるのを。


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