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 松ケ谷裕誠の朝は早い。


 アニメキャラの目覚まし時計のアラームで起き、作り置きしたカルボナーラを食べる。彼にとっては今日を生き抜く活気となる時間だ。少なくとも、学校から帰るまでの時間を生き抜くには十分だった。


 カルボナーラを食い終わると、彼は洗面台に向かった。


 鏡には可もなく不可もない、一応は整った髪を乗せた顔が映る。それが裕誠。だが覇気は無い。彼はまさしく『陰キャ』だった。ゲームやアニメに生きる男だった。それでもリアルの青春を諦めきれず、身だしなみを整えるぐらいの事はしている。


 歯を磨き、顔を洗い、制服を着る。これで家でやる事は全て終わった。朝の幸せな時間はこれで終わる。




 学校に着いた裕誠を待っていたのは、空き缶の落下だった。『陽キャ』グループの笑い声が教室に響き渡る。


「おーい裕誠じゃねーか」陽キャグループのリーダー格が嘲るように言う。「それ捨ててくんね?」


 裕誠は小声で「分かりました」とだけ言い、近くの缶捨て箱へ向かった。彼にとってこれはいつもの事だ。もはや言い返すのは野暮に思えた。しかし、気持ちが良いものでもなかった。これは単なる嫌がらせだと分かっていたが、それが逆に気持ちを損ねた。




 休み時間。


 裕誠は唯一無二の親友と話していた。


「お前無理すんなよ、ちゃんと俺がついてっから」


 彼は現役で不良をやっている、小学時代からの幼馴染である。今になってもジャンプを愛読し、バイクの免許も持っている。だが裕誠がピンチに陥るとジャンプを投げ捨ててでも助けに向かうような、熱血善人だった。


「あ、うん」


「ったく、そんなだからアイツらに目ぇつけられんだよ」


「でもアイツらに言い返したって逆ギレされるだけだし」


「ハァ……だから俺がいるんだろ?」


 彼は喧嘩相手に飢えていたので、正直に言えば裕誠が陽キャグループを怒らせるのを待っていた。


「怒りに任せてお前のとこに来た連中を俺が一人でズッガーン、ってな!」


「……出来るのか?」


「出来るか出来ねえかじゃねえ、やるんだよ!」不機嫌なのか上機嫌なのか分からない顔で不良の友人が言う。「出来るか出来ないかだったとしても俺には出来る。見ろ、ここは日本だ。アメリカじゃあるまいし、あんな陽キャどもも平和ボケで戦えねえ。だから俺が一人でボコせる」


「それは頼もしい限りなんだが」裕誠は溜息を吐いた。「お前、チャック開いてるぞ」


「?」


 友人は自分の下半身を見て、青ざめた。そしてすぐに顔を赤らめ、「っせーな、バーカ」と言った。




「そんじゃ、困ったらガチで俺に連絡しろよー!」


 現役不良は放課後のバイクツーリングに出かけ、裕誠はそれを見送った。学校が終わり、ここからは再び幸せな時間が始まる。青山一丁目駅から二本の電車を乗り継ぎ、秋葉原駅へ。




「大丈夫か?最近疲れてきてんじゃねえの?」


 店で働いていた中学時代からの友人が、裕誠を見るや否やいきなり尋ねた。


「っせーな、自分の心配をしろっつーの」


「またそう言って『自分は大丈夫』アピール……」友人は呆れ顔だった。「ま、そんな顔になってもそんな事言いながらVtuberの新作を探しに来れるお前の精神力が羨ましいぜ」


「陽キャどもに鍛えられてるからな」


「で、お目当ては宝鐘マリン?」


「星街すいせいだ」




 こうしてCDを買い、裕誠は帰路に就いた。その時だった。




 けたたましいクラクションが鳴った時は、もう遅かった。彼はもう避けきれずに、その時を待つしか無かった。


 裕誠の体めがけて、鉄の暴獣が突進する。




 ドシン、という音がした。しかし裕誠の体に衝撃は無かった。裕誠は恐る恐る目を開いた。


 そこに、トラックを片手で受け止める少女の姿があった。


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