カット5. 部活帰り
キーンコーンカーンコーン——
窓から差し込む光が幾許か弱くなった、そう視界の端で感じると共に、予鈴が学校全体に響き渡る。
ふう、と一呼吸おいて視界を休ませ、ぱたんと活字の羅列を閉じる。
「じゃあ、今日はここまでにしようか」
疲れ切った声音を喉から吐き出した。体力的、ではなく精神的である。
締まりのない声に「わかりました」と何人かの返事があり、途端に静寂に包まれていたはずの部屋は慌ただしくなった。
東高校文芸部。本日の活動は終了だ。
「おつかれさまでしたー」
ばたばた部屋を出て行く物音に、「おつかれー」と適当極まりない声を返す。
一応、これでも文芸部部長なので(推薦で決まったようなものだが)、部室の戸締りは僕の仕事だ。
重厚感のあるカバー製本を棚にしまえば、再び部室に静寂が戻ってきた。
窓の鍵をかけて、カーテンをたばねる。後は部室の鍵を職員室に返せば、業務は終了だ。
ふと、壁に掛かった時計を見やれば、普段よりも三十分ほど早かった。
活動時間は変わっていないはず……。となれば、部室に来ていた部員が今日に限って少なかったことや、重量のある本を読んでいたせいであまり冊数を読めず、片付けが楽になったことが原因だろうか。
さっさと帰れるー、と歓喜したいところだが、そうは問屋が卸さない。のっぴきならない事情があるわけではないが、三十分は時間を潰さないと行けなさそうだ。
が、そこは文芸部。時間を潰す策はいくらでも転がっている。
ただ、三十分と時間がどうにももどかしい。一時間であれば、物語に没頭することが出来るが、その半分となると微妙だ。注意散漫な状態で本は読みたくは無いし、かといって三十分は意外とひま——いや、諦めるか。
本に夢中で時間に遅れてしまったら元も子もない。なら、待ち合わせ場所に居座っていた方がよさそうだ、と僕は判断する。
そうと決まれば、僕は部室の鍵を握りしめて扉を閉めた。
天高く馬肥ゆる秋、とは実に的を射た表現だと実感する。
頭上に広がっている雲一つない空は、その濃淡の曖昧さから遠近感が掴めない。どこまでも広がっていく、というよりかは、終わりが見えない。恐怖すら芽生える。
吹き抜けた秋風をもろに受けてしまったのか、はたまた人間が敵わない自然の壮大さに恐怖したのか、小刻みに強張った身体を僕はほぐすように伸ばした。
視界を天から落とせば、校庭で走り込みをしている運動部が目に入った。
つい最近まで半袖だったはずが、今や彼らはジャージを纏った完全装備だ。丁度すれ違ったサッカー部の生徒は、耳と鼻を真っ赤にしていた。
秋なのか? そんな疑問が浮かぶほど寒々しい光景を眺めたせいで、体感温度だけじゃなく、気分まで落ち込む。冬は嫌いだ。
段階的に寒くなってほしい、とお天道様に願いつつも、そろそろだろうか、とスマホをポケットから取り出す。
部室を出てから大体三十分が経とうとしていた。
その行動がきっかけだったかのように、一人、また一人、と校門を抜けていく生徒が増えていく。とりわけ、ジャージやウィンドブレーカーを纏った生徒が多く、運動部の帰宅時間に間違いはなさそうだ。
とっくに分かっているだろうが、僕は一人の生徒を待っている。
わざとらしくスマホを眺めているかのような仕草をして、無心で画面をスワイプした。
「おまたせ」
少しすると、人混みの中から聞き馴染みのある声が飛んできた。
ゆっくりと視界を上げれば、
「ごめんね、おくれちゃって。顧問の先生に呼び止められちゃって」
申し訳なさそうに両手を合わせて頭を下げている彼女の姿があった。
「……えっ、ああ……大丈夫だよ」
声が詰まった。それもそのはずだ。
さっきまで、殺伐とした明朝体の羅列を眺めていたせいか、彼女が一段と可愛く見えてしまう。のろけですまない。
ぺこりと謝りながらも、何処か許してもらえると思っているその明るい声音。加えて、ジャージ姿ときた。
相対評価ではなく絶対評価で可愛い。
「待ってくれたの?」
上目づかいで覗き込むように彼女は言った。その言葉が耳をくすぐり、心拍数が跳ね上がってしまう。
「いや、そりゃ、ね。今日は約束してたし……」
「たしかに! でも、寒くなかった?」
「寒くは……まぁ、あったけど」
「あったんだ」
「あったね」
実際、冬かと思ったし……、と言おうとしたら、くすりと彼女は笑った。
「そういうところで見栄を張らないところ、好きだよ」
「…………ありがとう」
寒さを感じないのに顔が火照っていくのを感じた。けど、それは彼女も同じらしい。
小さな耳元がほんのりと上気していた。
お互い人との交際経験が無い。だから、距離感が分からない。
たまにこんな風にぶつかって、照れ合ってしまうのがどうもこそばゆかった。
ただ、いくら経っても慣れないことがある。かたや本の虫、かたやバスケ部主将。カーストの差を如実に感じる。
バスケ部主将という言葉があっているのかすら分からない、虫みたいな存在だし。
それの劣等感とも言えないような、はがゆい感覚が心の底にある。
けれど、そんなことを考えていると、
「あっ、今もしかして、私の彼氏としてちゃんと出来てない、って思ったでしょ!」
彼女は必ず見透かしてくる。
「……顔に出てた?」
「顔に書いてあったよ」
ぴしっと人差し指を指される。
「私からすればね、君はすごいかっこいいの」
「本読んでるだけだよ?」
「本読んでるところかっこいいし! 私は本を読むのが苦手だから、「だけ」じゃない」
「そう……」
「そうなの!」
だから自分を卑下しないでって何回も言ってるよね、と注意された。
「ごめん……」
「いいよ、許してあげる」
なんて優しいんだ。言われたことをいつまで経っても直さないのに、毎回慈悲をくれる。優しい。
俺は感謝を告げるべく、口を開く。
「僕は、君がいつもみんなのために努力しているところが、好きだよ。後輩の面倒をちゃんとみて、部活全体をしっかりまとめて、責任感があって、先生からの信頼もあって、仲間想いで、何より自分に厳しい。そんな君が好きなんだ」
精一杯の謝罪だった。
文芸部部長なのに、語彙力が悲しいのは自分でも十分わかっている。だから、代わりに嘘偽りなく自分の想いを伝えた、はずだ。
許してほしいという思いあれど、言葉に偽りはない。
ただ彼女は許してくれなかったらしい。俯いて、返事をしてくれなくなってしまった。
やってしまった……。これだから女性経験の少ない読書家は……。
「……ごめん」
浅はかな真似をしてしまった、と頭を下げた。が、どうやら僕が考えていることはお門違いだったらしい。
「……くくっ」
「え?」
「あははっ!」
弾けた笑い声がその場に響いた。
「なに謝ってるの! 私は褒められて嬉しいのに!」
けらけらと笑みを零す彼女は、綺麗としか言えない。俺は少し視線を逸らした。
「もうっ、ありがとねっ!」
「うん」
ためらう心地は彼女の笑い声で霧散してしまった。
「帰ろっか」
「そうだね」
丁度、校門前の横断歩道の信号が青になった。
「ゆっくり行こうよ」
「そうだねっ、ゆっくり」
そう言いながら、お互いの体温を感じる距離で俺達は歩き出した。
1カット~誰かの日常の一幕~ 雑記 秋 @zakki-aki
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